花少女
6
翌日病院に行くと、再び、杉木医師から話があると呼ばれた。妹の病室へ向かう途中、またこの間とは違った看護師から呼び止められたのだ。その看護師は何度も見舞いに通う私の顔を覚えていたらしい。気さくな雰囲気で、この間の無愛想な看護師よりも好感が持てた。杉木医師の部屋に入ると、医師はまたも書類と本との間からぬっと姿を現した。二度目なので、今度は私もいちいち驚いたりしない。医師は私に、椅子に座れ、というような手振りをした。私が座ると、小卓の上に、一枚のレントゲン写真が置かれた。
「何ですか、これは?」
私が杉木医師を見上げると、彼は渋面をつくり、それを崩さないまま正面に腰掛けた。そして少しの間じっと私の手にある写真を見ていたが、やがて重々しく口を開いた。
「それは、おととい撮った、妹さんの胸部ですよ」
妹さん、と杉木医師は言った。この間のような、親しみをこめた『小夜子さん』という呼び名を使うことを、忘れたようだった。私は医師の言葉に、もう一度じっくりと、渡された写真を見つめた。そしてすぐに、ある不可思議なものが写りこんでいることに気付いた。
「杉木先生、これは……」
我と我が目を疑いながら、私はソレから目を放すことが出来ないでいた。そのため医師の表情をうかがい知ることは出来なかったが、言葉の調子から、杉木医師も私と同じ心境にあることが分かった。しかしそれも、後に思い直してみればの話であり、そのときの私には、杉木医師の感情になど気を払う余裕は無かった。
「何とも、……こんなことは、初めてです。そんな症例は、……見たことがない。これは正しく難病、いや奇病……でしょう」
私には、返す言葉がなかった。奇病には違いない。しかしこんなことが、どうしてあり得るのだろう。私はただただ、ソレ――妹の身体に這った、いや張り巡らされつつある植物の根――に、目を奪われるだけであった。初めそれは血管だろうと思った。だがしかし、その網状の管の大元に、一つの種のようなものを見つけたとき、それが根であると確信した。
妹の身体に、植物が根を張っている。
「でも、どうして」
「……分からないのです」
訳が分からなくなり、私は更に写真を凝視した。見れば見るほど、それは植物であった。正真正銘の、植物であった。そして驚くべきことには、その植物は妹の体の隅々にまでその勢力を広げようとしているのである。
「…………花が」
白く写ったソレは、花の形をしていた。根の先の先、末端に、ぷくりと膨らんだ萼があり、それに守られるようにして、花が咲いていた。極々小さい花である。それでもその花は、立派に咲き誇っていた。妹の体内で、その植物は生命を謳歌していた。
その花を認めたとき、私は先日妹の病室で目にした花弁を思い出し、身震いをした。アレは、もしやこの花だったのではないだろうか。妹の発作時、体内から飛び出してきた、アレはそういう花だったのではないだろうか。
「その植物がどうして妹さんの体内に入り込んで、これまで生き続けることが出来たのか、それは分かりません。……でもどうやらその植物は、妹さんの内臓器官と上手く折り合いをつけて、貰うべき栄養をその身に蓄えているようですね」
客観的な物言いに、しかし反感は抱かなかった。そんな余計な感情を抱くだけの、心の余裕などなかった。私は、ただ混乱に身を任せるほかなかったのだ。
「でも、どうして」
それだけの言葉をかろうじて口から出し、私はそれでも写真から目を離せないでいた。それを凝視すればするほど、事実が事実でなくなるような気がしていた。まるで、昔に見た夢の続きを見ているようだ。悪夢、というよりもそれはむしろ。
「原因は分かりません」
暗く沈んだ調子で、杉木医師は言った。
「しかし、この植物は妹さんに悪影響を及ぼす前に枯れるものと見ています。また、これから、必要以上に植物に栄養を与えないように、配慮した点滴や食事を出そうと思っています。大丈夫です、こんなケースは滅多にないものですが、植物は人間の体内で生きるようには出来ておりません……大丈夫です」
そう言いつつも、杉木医師は予想外の出来事に、私と同じくらい混乱しているようだった。それは、パニックに陥りつつある私の耳にも明らかなほど、震えた声音で分かった。それが逆に私の心を落ち着かせる結果となったのは皮肉と言えよう。
「妹は、それじゃあ命に別状はないんですか」
「おそらくは、……。ええ、大丈夫だと思いますよ」
「…………」
おそらくは、という杉木医師の言葉が、無闇に部屋の中に響く。確証のない、保障されていない、答え。私が求めていたのはそんなものではなかった。快活な、明朗な、落ち着いた答えが返ってくるものと信じていた。
杉木医師は青ざめた顔で、私を元気付けるように微笑んだ。でもそれは、死人が寒さに耐えかねて、唇を震わせている様にしか見えなかった。