小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

花少女

INDEX|15ページ/33ページ|

次のページ前のページ
 

 妹は吸入器を取り付けてもらい、私は退室せざるを得なかった。病室を出て行くときに妹を見ると、彼女もこちらを見て、済まなそうに微笑んでいた。微笑み返して廊下のほうへ振り向く時、一片の花弁が妹の寝台に落ちているのを見た。真っ白い、桜に良く似た花弁だった。

「神崎さん」
 病室から出た私を引き止めたのは、先ほど妹に吸入器を取り付けてくれた看護師だった。
「何ですか」
「杉木医師が、お呼びです」
 杉木、という名に覚えはなかったが、私はその看護師についていくこととなった。看護師はすたすたと前を歩いて行く。私は自然早足になりながら、杉木という名に思いを馳せた。杉木、杉木。どんな医師だっただろう。
 まもなく私と看護師は医師の控え室へとたどり着いた。看護師は無言で一礼して、またも足早に、廊下の向こうへ去っていってしまった。私はしばし呆然としてそれを見送ったが、気を取り直して、目の前の扉を拳で軽く叩いた。中から、くぐもったような声が聞こえた。一瞬迷ったが、恐らく了解の合図だろうと考え、扉を開ける。
「失礼します、神崎です」
 扉を後ろ手に閉めて、改めて礼をする。部屋の中には本棚と、そこからあふれ出た書類と、それらに埋もれた小さな机、椅子があり、手前のほうにはそれらとは別に、また一つ小机があった。そして、それを挟むようにして丸椅子が配置されていた。先ほど私のノックに応えた医師の姿は、奥の机の影に見え隠れしていた。私よりも背が高い、のっぽといっても良いような身体の持ち主のようだ。彼が、杉木医師だろう。杉木医師は少しの間、まるで書類を組み伏せようとしているかのような格好で机の上をごちゃごちゃとかき回していたが、やがてのっそりと椅子から立ち上がった。その様はどこか、奥深い山の中で茂みから姿を現した熊を連想させ、私は思わずぎょっとして身を引きかけた。
「どうも、神崎さん。お呼び立てしてすみませんね」
 杉木医師はそう言って、私に丸椅子の片方を勧めた。私はこわばっていた身体をぎしぎしと動かし、杉木医師の向かいに座る。杉木医師は、こうしてみると随分と柔和な顔立ちをしていた。身体はどことなく柔道選手を思わせるようながっしりしたもので、支給された白衣が窮屈そうに見えるのだが、その顔つきからは、厳つさや強さといったものよりも、優しさとか慈悲といった思いやりが見て取れた。
 杉木医師は只でさえ細い眼を更に細めて、微笑んだ。
「大丈夫ですか、何か緊張してらっしゃるんでは」
「いいえ、大丈夫です。……それで、妹のことで何か」
 私は杉木医師の労わりに感謝しながらそれでも、胸と頭のなかの、黒いもやの形をした予感に打ち震えていた。そもそも、医師が私を呼ぶということは、妹の容態についての話に他ならない。それがどういった内容のものであれ、話自体が始まらないことには、この嫌な気持ちは収まろうはずがない。
 杉木医師は、そのことなんですがと身を乗り出し、自身の膝の上に両肘を突いて、手を組み合わせた。私も自然、姿勢を正し、背筋を伸ばす。
「妹さん、小夜子さんの容態なんですがね。小夜子さんの肺炎は、もうほとんど完治しています」
「本当ですか」
「ええ」
 杉木医師は、声量を上げた私を落ちつかせるためか、殊更ゆっくり深く、肯いた。
「ですから、あと一週間ほど最終検査のための入院をしてもらえば、帰宅しても差し支えない……はずだったんですが」
 そこで杉木医師はいったん言葉を切り、十秒ほど、何か考えるように黙った後、再び口を開いた。
「しかし、どうもよく分からないことがあるんです」
「え……。それは、……どういうことでしょう」
 私は面喰い、杉木医師の真意を探るべく彼の表情を凝視した。杉木医師は懐からハンカチを取り出して額に浮かんだ汗を拭き拭き、言葉を捜しているようだった。私はその間、杉木医師の言葉の意味を考えていた。どうもよく分からないこと、とは一体何のことだろう。肺炎はもう治りかけていると言う、それなのにこの期に及んで分からないこと……また新しい、別の感染症にかかっているとでも言うのか。
作品名:花少女 作家名:tei