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むしめがね

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――――ピピピピピピピピピピッ
――――ガンッ!


「……………。」
 翌日、朝。
 私は反射的に鳴り響くそれを叩いた。叩いたのはいいんだけど…。
「…眠れなかった…。」
 原因は明らかに昨日のこと。あの図書室で起こった不思議体験。というかゲジコさん事件(命名)。結局昨日家に帰ってからもそのことが気になって、なんかもう何も手につかない状態で。
 もしゲジコさんが私の幻覚ならまた出てくるかもしれないし、あんなリアルなの忘れられそうにないし、夢にまで出てこられるのは勘弁だし、水無月くんは本当に見えてなかったのか疑問だし。
 そんなことをつらつらと考えていたらいつの間にか目覚しが鳴りましたとさ。
「……いいや、学校行っちゃおう。」
 いつもはこの後二度寝をするんだけど、とても寝れる気分じゃない。たまには早く行くのもいいだろう。
 朝から軽いため息を吐きながら、私は着替えるために布団から起き上がった。

 あまりに早く学校へ行くことを両親に心配されながら見送られ(失礼な)、通いなれた道を歩く。いつもとは違う時間なので人通りは少なかった。
(まさかの教室一番乗りできるかも…。)
 校門をくぐり、いつもは追い抜くはずの先生がいないことに違和感を覚えながら、てろてろと教室へと歩いた。
 うーん、なんか新鮮。
 なんとなくわくわくした気分だったので、一番だと思いながら遠慮なしにドアを勢い良く開ける。静かな校舎にそれは思いのほかよく響いてしまったが、そんなことは気にしちゃいられなかった。それよりも重大なことがすでに教室には待っていたのだから。
「………………。」
 中には悩みの種の一員である水無月夜宵がすでに座っていたのでした!まるっ!
 地味に動揺。落ち着け私。
「…おはよう、水無月くん。」
 とりあえず挨拶。二人しかいないこの空間で沈黙は気まずすぎる!
 昨日のことを踏まえるとやっぱり返ってこないかな、なんて考えていたら。
「…おはよう。」
 あれ、意外。ちゃんと返してくれた。昨日はあれだけ女子の話に答えなかったのに。返してくれたことに微妙に勇気づけられたためさらに頑張ってみる。
「朝早いんだね。」
「……まだこの辺、よくわからないから。」
 おぉ、会話になってる。どうやら今は聞けば答えてくれるらしい。
 あ、だったら昨日のことも確かめたら答えてくれるかも。いやでも知らないって言われればそれまでだし…。私の幻覚もしつこいって思われるかな。しかもゲジコさんのことだし。私だってあんまり思い出したくないよあんなの。でもやっぱり気にならないって言われたら嘘にな…
「…橘さん、は。」
 思考の海にダイヴしていた私は彼の声で現実に生還した。こちらを見ないままにただポツリポツリと話しだす。
「…いつも早いのか?」
 初めての彼からの問いかけに呆けながら、しかし慌てて答えた。
「えっ、ううん。今日はたまたま早起きしちゃって…。」
 こっそり心の中で訂正。眠れなかったから。
「…そっか。」
「うん。そうなの。」
 こんなに彼と会話ができるとは思ってなかったので、びっくりして心臓がバクバクいってる。そしてちょっと冷や汗。
 ん?ていうか…。
「名前、なんで?」
「…昨日、教室行く前に先生が。」
 確かに教室へ行く前に先生と話している時に名前を呼ばれたかも。先生がもしかしたらそのあと何か言ったのかもしれないけど…。
「昨日は教室じゃ一回も話さなかったし、あんまり印象なかったんじゃない?」
「……うん、正直、あんまり…。ごめん。」
「わわ、謝らないで!仕方ないよ。私水無月くんのほうにいかなかったし、まだ転入一日目だし。」
 遠巻きでは見てたけど、あの集団の中に入っていく勇気は私にはなかったから、それに関しては仕方がないと思うんだ。
「そうだ。いい機会だし自己紹介しておくね。名前はタチバナ アメ。タチバナは一文字の『橘』で、アメは天気とか天空とかの『天』なんだ。」
「…アメ?」
「そう。天。珍しいでしょ?」
「あんまり聞かない。」
「だよねぇ。いなさそうだもんこの名前。みんな大体読めないからあだ名が『テン』になっちゃうんだけどね。」
「…なるほど。」
 先生さえ読めないから(読み方が特殊なんだろうけど)ちゃんと本名で呼ばれることはあまりない。というか、家族しか呼ばない。
「アメ…天(あめ)…。」
「ん?」
 水無月くんが繰り返すように私の名前を呟いた。呼ばれたのかと思ってなんとなく返事をしたら特に用事があったわけじゃないらしい。ゆるりと首を振って「なんでもない」と言った。…なんだか恥ずかしい。
「で、でもさ。なんで水無月くん、昨日女子と一言もしゃべらなかったの?」
 苦し紛れの話題。どもっちゃったよ。
「? 橘さんと話した。」
「いや、私だけじゃなくてさ。私のは半分事故みたいなもんだし。」
 半分どころか事故だったけど。
「昼休みとか、すっごい囲まれてたじゃない。なのに全然答えてなかったから。」
「……あぁ。」
 納得がいったように頷き、何をいうのかと思ったら。
「聞いてなかったから。」
 …………。
 みんなすっごい頑張ってたんだろうなぁ…。聞いてない相手に話し続けるって結構辛いもんなぁ…。
「私のときは?」
「あれは聞かざるを得ないだろう。」
「状況的に強制的でしたからね。」
 でもそれを考えると、今のこの状況は強制じゃない。なのに話してくれているところを見ると、まぁ気まぐれなんだろう。それを言って話してくれなくなっては寂しいので特に突っ込まないでおいた。
 …にしても。
 この状況を利用しない手はないんじゃなかろうか。せっかく話してくれてるんだし、二人だし。よし、と決心がついたところで!
「あれっ!?なんでもうテンがいるの?」
 いつも早いらしい梨香が素敵なタイミングで登校してきた。なんてお約束っ!
「たまにはね…。」
「あ、水無月くんも早いね。おはよう。」
「……あぁ。」
 梨香にそっけなく返事をしてそのまま彼は黙ってしまった。どうやら会話の気分は終わってしまったらしい。うーん、実におしい。
 そんな彼でも、梨香は初めて言葉を返してもらったことにびっくりして、けど嬉しそうに笑った。
「今日は朝からいいことあっちゃったな。テンはいるし、水無月くんに挨拶してもらえるなんて。」
 それに大げさな、と思いながら気持はわかるので、私も一緒に笑ってしまった。



作品名:むしめがね 作家名:のいま