パンドラの鍵
早苗はその質問にすぐ答えず、肉付きのいい体をソファーから起こ
すと窓際へと歩いていった。そしてガラスに顔をくっつけるように
して、外の景色を眺めていた。
しかし外は激しい雨のせいで視界が悪く、ガラスの上を滝のように
流れる雨しか、貴之は見ることが出来なかったが……。
時を刻む時計の音が、やけに大きい。
「人間じゃない。奥様はその言葉を繰り返していたわ。その言葉に
どんな意味がこめられているのかは、私にもよく分からない。誰の
ことなのかも……。でも一つおかしなことがあったわ」
「おかしなこと?」
「そうよ。事件当日は、私も動転していて分からなかったんだけど」
「何なんですか、それは?」
「それは、そうね。私が刑事さんに連れられて、あの家で嫌々現場
検証を受けていた時だったわ。奥様が倒れていたあの部屋が……」
そこまで言って、早苗は急に黙り込んだ。
「その部屋がどうかしたんですか?」
と、貴之が促す。早苗が見つめているのは今、この瞬間ではなかっ
た。過去だった。八年前の過去……。
「私はあの部屋に入るのを禁じられていたの」
「なぜ、その部屋に何が……」
「奥様が言っていたわ。『あそこの部屋は、彼の研究室だから近づ
かないで』と。実際、中に入ろうにも鍵が二重三重に掛けられてい
て、とてもじゃないけど忍び込めない状態だった。だから私はあの
日まで、そこは研究室だと信じていたの」
「でも本当はそうじゃなかった」
貴之が続ける。