パンドラの鍵
「坊ちゃんは、上で――」
そこまで言って、早苗は思わず目を逸らせてしまった。
だが、加奈子には全て伝わったようだった。
加奈子は頬に涙を流しながら呟いた。
「死んだのね。雅弘、死んじゃったのね」
「………」
早苗はどう返事を返せばいいのか分からなかった。
「そう、そうなの。雅弘が……。じゃあ、私も早く逝って上げない
と、さびしがっているわね」
「奥様、そんなこと言わないで」
しかし早苗の言葉は、加奈子には聞こえていないらしかった。
突如、加奈子は何かに取りつかれたかのように、うわごとのように
同じ言葉を繰り返し始めた。
「人間じゃない、人間じゃない………」と。
そして、唐突に加奈子は死んだ。大きく目を見開いたまま……。
「そんな、奥様、冗談はやめて下さい。奥様ぁ――」
早苗の叫びが、静まり返った家の中に響き渡る。
だが、いくら名前を呼びかけたところで、加奈子が生き返るはずも
なく……。
早苗はその場に呆然と佇むことしかできなかった。
なぜ、なぜこんなことが……。
ほんの少し家を留守にした間に一体何が起こったというの。
早苗は遠のく意識の中で、緑色をした奇妙な液体が遺体の周辺に徐々
に広がっていくのを見たような気がした。