パンドラの鍵
「早苗さん、早苗さん…」
どこからともなく声が聞こえて、早苗は立ち止まった。
「奥様、奥様なのですか?」
「早苗さん、こっちよ。私はすぐ側にいるわ」
「すぐ側って……」
「お願い、早く、早く来て」
早苗はその声を耳にしながら、妙な違和感を感じていた。
違う、この声は奥様に非常に似ているが、本物じゃない。
そう気が付いたとき、早苗は放心状態に陥っていた――。
いる、いるのだ。
それも私のすぐ側に。
そして、そいつは私を誘っている、
抹殺するために。
雅弘君、もしくは奥様をも殺した殺人犯が……。
ここにいたら殺される。
早苗は玄関めがけて走り出していた。
だが、おかしなことに何処まで走っても、玄関には辿り着けないの
だった。
吐く息が荒い。
早苗はわけがわからず、その場に座り込んだ。
そんな早苗の元へ、どこから忍び込んで来たのだろう、一羽のカラ
スが近づいてきた。
そして意味深に一声鳴くと、身体をつついてきた。
服の袖が引っ張られる――。
カラスはどこかに早苗を案内したい様子だった。
なんなの?
早苗は引っ張られるままに立ち上がると、カラスの後を追うことに
した。
カラスは迷わずある部屋に向かっていた。
その部屋は……、立ち入りを禁じられていた場所。
旦那様の研究室。
普段は頑丈な鍵がいくつも掛かっていて、どう頑張っても中へ入る
ことは不可能なはずなのに……。
しかし、カラスがその部屋の前に辿り着くと、まるで扉は招き入れ
るかのように自動的に開いたのだった。
カァー、カァー。
カラスが早苗を誘っている。
その赤い瞳は早苗に何かを訴えたいようだった。
わかっているわよ。そこに行けばいいんでしょ!
早苗はそう心の中で呟くと、一歩一歩、足下を確かめるように前へ
と進み始めた。