パンドラの鍵
ラビリンス、ラビリンス……と、心の中で繰り返し店の名前を口ず
さみながら。
しかし雨と行き急ぐ人々が視界の邪魔をして、なかなか目的の場所
が見つからない。
ようやくラビリンスと書かれた看板を目にした頃には、全身びしょ
ぬれでガタガタと震え、貴之はドアを前にしばし動くことができな
かった。
貴之は知っていた。体の震えが単なる寒さから来ているのではない
ことを……。
未知の世界へ踏み込む恐怖、不安。
しかし、このまま家に帰ることは――。
引き返したい思いを必死で堪える。
貴之の脳裏に雅美の顔が横切る。
今やすっかり形相の変わった雅美の姿を――。
このままずっとお母さんたちが帰ってこなかったら、一生お兄ちゃ
んのことうらんでやる!うらんでやるんだから!
ドア越しに叫び続けた雅美。
昨夜の雅美の言葉が、これほど貴之を苦しめるとは思いもしなかっ
た。
つい口にしてしまった願望が引き起こした悲劇。
こうなってよかったんだという考えは、今やすっかり消え失せてい
た。