パンドラの鍵
「えぇ、そのつもりです」
「………」
早苗の表情が一気に曇る。そして、何事か呟こうと口を開いた。
しかし、貴之はあえて遮るように、
「じゃあ、また」
と片手を挙げると、傘を差し雨の中に飛び込んでいった。
背後から早苗の声が追いかけてくる。
貴之はわざと聞かないように足音を立てて歩き続けた。
彼女の表情を見て分った。
一瞬で分った。
聞いてしまうと、決心がぐらついてしまいそうで怖かった。
あの家に足を踏み入れるのは、真昼でもおぞましいだろう。
あの家に近づくにつれて感じた、不快な感覚が甦って来る……。
貴之はその感覚を振り払うかのように、駅に向かう道のりを急いだ。
桜田通りに出ると、ほっとため息が漏れる。
立ち並ぶビルや行き交う人々が、こんなに恋しく感じたのは始めて
だった。
車のクラクションさえも心地よい。
雨のせいで日が暮れるのがいつもよりも早かったのか、辺りはすっ
かり夜の帳で覆われていた。