携帯彼氏4
「そうねー。あっ!そうだわ、蘭ちゃん!ヒロちゃんに持ってきてもらって!」
初仕事ね、とアコはきゃっきゃとはしゃいだ。
……………CLUB COSMOの名物ホスト、女殺しの蘭が無視されるなんて、初めてだ。それも、ホストでもない、ましてや男でもない、携帯に!!
「あ、うん、そうだね……」
くそっ、ここでアコの頼みを断る訳にもいかない。
俺は笑顔を無理やり顔に貼り付け、精一杯の軽い足取りでバーカウンターへと向かった。
バーカウンターの担当は、バーテンの珠紀だ。年は若いけど腕はいい。寡黙で温かい雰囲気の彼は、ホストたちの中にいると一層落ち着いて見える。派手な遊びを嫌う客は、ホストを指名せずにバーカウンターで彼と語らう事を望むこともある。今日はカウンターには客はおらず、珠紀は一人でせっせと氷を砕いていた。
「お疲れ、たまちゃん」
「あれ、蘭さん。どうしたんですか、注文なら黒服に頼めばいいのに」
「俺のお客が直々のご注文なの。スクリュードライバー作ってくれる?で、それ、新入りに運ばせて」
「はあ、新入り、ですか。蘭さんのお知り合いだっていう、あの子ですか?」
珠紀の背は小さいし、彼は落ち着いた見た目と違って本当は若い。なのに、彼に「あの子」呼ばわりされてるとは。あんだけデカイ男だっていうのに、中味が携帯だからなのか。
「そう、その、そいつだよ」
「ヒロちゃん、こっち来て」
珠紀はカウンターの後にある小さな出入り口に声をかけた。そこからキッチンに入れるようになっているのだ。
「はあああああい」
間延びした返事が聞こえ、バーテン服に着替えている携帯男と一緒に、なぜか大が出てきた。二人とも、それぞれ手にはレモンと一緒にくし型にカットしたレモンの入ったボウルを掴んでいる。
「まったく、包丁の使い方も知らないって、お前どんな育ち方したんだよ!」
「はあ、その、世間での経験はあまりないものですから。教えていただいて、大変助かりました!」
大さんはとても親切な方ですねえ、とヒロはにこにこと微笑んでいる。邪気の無い笑顔に、怒っていた大の顔が弛むのが見えた。あいつ、単純だからなあ。最初は牽制するためにヒロをちょいとしめるつもりだったんだろうけど、奴のあまりの不器用さを見るに見かねて手伝っちまったんだろう。
「大、お前なにしてんの………」
「わっ!蘭さん!なんでここに!」
「なんで、じゃねえだろ。ホストがキッチンに入って裏でごそごそしてるんじゃないよ。さっさとフロアに戻れ」
「す、すんません!」
大は慌ててカウンターから飛び出し、そのまま俺に謝りながらフロアへ飛んでいった。
「ああ、まだちゃんとお礼も言ってませんのに」
携帯男の呑気な声が、俺の後頭を打つ。さすがにこれにはカチンときた。
「馬鹿。大には大の仕事があるんだよ、お前が迷惑かけてどうするんだ」
「!」
ヒロはこぼれおちそうなくらいでっかい目を見開いている。でっかい体に不似合いな白いエプロンを身につけて、レモンを握ったままで泣きそうな顔をしている大男の姿は実に滑稽だ。
なのに、ミョーに健気に見えるんだよなあ。やっぱり、俺の携帯だからかなあ。
「私は大さんにご迷惑をおかけしてしまったのですね……申し訳無い事をしました。すぐにお詫びのメールをお送りしたほうがいいでしょうか?」
「ああ、うん……じゃない!やめろ!俺の名前で送るな、ややこしくなるだろ!」
俺たちの会話を、珠紀はちょっと不思議そうな顔で眺めていた。きっとわけがわからなくて相当不思議に思ってるんだろうけど、そこを無遠慮に詮索しないのがこいつのいいところだ。
「蘭さん、ご注文のスクリュー・ドライバー、できましたよ」
カウンターの上に置かれた磨かれた銀色のトレイの上に、珠紀はオレンジが飾られた細いグラスを置いた。
「おう、サンキューたまちゃん。おいヒロ、こいつを俺のテーブルまで持ってこい」
俺は人差し指の先を曲げてヒロを呼んだ。あーなんか懐かしいな。飼い犬のヒロを呼ぶときもこうしてたっけ。俺が小さな子供の頃、懐いていた大きな白い犬。ふかふかな毛並みで、真っ黒い目が優しい犬だった。
うん、そう考えれば、この携帯男はヒロに似ていないでもない。犬のヒロには電話機能なんてついていなかったけど。
「はいっ、ただいまお持ちします!」
ヒロは元気良く返事をすると、カウンターを犬のダッシュの如くに飛び出してきた。
「………ヒロちゃん。フロアに出るときは、エプロンをはずした方がいいと思うよ?」
珠紀の静かなツッコミにも、ありがとうございます!と元気良く返事をする。訂正する、こいつは犬よりバカだ。ヒロはかしこい犬だったからな。
俺はヒロを後に従えてフロアに戻った。
実に気に食わない話だが、フロアの視線は俺にではなく、後を歩く馬鹿な携帯男に集まった。
気に食わない、ものすごく気に食わない。ヒロは身長が180を越える大男で、体格も悪くない。大きくて形のいい手が銀のトレイを支え、背筋をぴんと伸ばして歩く姿は様になっている。まあ、顔は相変わらずのほほんとしているんだが。
そうだ、こいつは顔だってそこそこ悪くない。きょろきょろと周囲を見回してる様子は子供みたいでちっともカッコよくないけど、顔立ちは男らしいし、野性味だってある。俺にはない骨太さだ、くそっ。
暗いフロアの中で、奴の金髪頭は更に目立つ。女達はまず奴の大きさにちょっと驚き、それから改めて見たことのない新顔のバーテンだと気づく。そして、その先は………
なんだよ、なんで俺と同じくらいに陶酔してるんだよ!どの女も頬染めてるんじゃねえよ!
こいつはホストでもなんでもない、世間知らずの俺の携帯だぞ?!
俺のホスト術は携帯以下か、と思うとなんだかがっくりきた。CLUB COSMOのナンバーツーが聞いて呆れる。
「ヒロちゃーーーーん!」
テーブルの間を縫って歩く俺とヒロを見つけたアコは半ば立ち上がってぶんぶんと手を振ってきた。
なんでアコまでいい笑顔になってるんだよ!
「あ、アコさまーーー!」
「お前まで手を振るなっ!飲み物がこぼれるだろう!」
わああい、と言い出しかねない携帯男の手を制し、俺は奴の手をひっぱってアコのテーブルに戻った。
「ヒロちゃん、バーテンの服も似合ってるわよ。どう、お仕事がんばれそう?」
「はいっ、ありがとうございます!皆様大変ご親切な方ばかりで、色々教えていただいてます!」
「そーお、良かったわねえ!あたしもヒロちゃんのこと応援したげる!」
ヒロがぼーっと立ったままなので、俺は奴の手の上からトレイを取り上げた。指の先でトレイを支え静かに廻し、アコの前に跪く。彼女の瞳を覗きこみながら、手の中にグラスが吸い込まれる位置にトレイを差し出す。
「ありがと」
アコは微笑みながらグラスを受け取り、ウィンクを返した。女にしちゃあさばさばしているアコだけど、彼女だってこういう気障な仕草が嫌いなわけじゃない。
ぼーっと突っ立って俺を眺めていたヒロに空のトレイを返してやると、ヒロは自分が飲んだみたいに赤くなっていた。トレイを手の中に押し込まれてもなんだか夢見心地だ。
「ぼーっとしてるんじゃない。お前もウェイターなら、あれくらいして見せろ」