人魚の飼い方
それにしても、安心どころか安眠妨害である。
こんな不幸が次々わが身に襲ってくるとは、きっと私はシャーロック・ホウムズが来世で女性に生まれ変わっていたパロディを書かれてしまったくらい、何か前世でなにか悪いことをしたに違いない。今から、懺悔をしても間に合わないのだろうか。私の哀れな運命はいまや神の御手に、いやたぶん玲の手のなかにあるのだろう。
「そうそう、昼食はいりませんから。町にでで名物でも食べてきます」
と、玲は朗らかに言う。当然であろう。出せといわれても私は、玲に夕食をだすつもりは毛頭ない。その上、実は冷蔵庫には酒しか入っていない。それどころか、町で食べた昼食で食中毒にでもなってほしいぐらいである。どこかにこの子に毒を盛ってくれるような度胸のあるヒトがいないものだろうか。私はありえない事を夢想する。
「ああ、そうだ。何故、人魚姫は王子様と結ばれなかったのか理由をご存じですか?」
表へ出ようとした玲が、思い出したように振り向いて私に尋ねてきた。いつもの気まぐれだろう。私が素直に知らないと答えると、玲は不可思議な笑みを唇に湛えた。意味深な笑み。
「異界の者であった彼女と人間とは相いれないものだと、人間が思っているからですよ。だからこそ人魚姫は泡になり、かぐや姫は天に帰り、天女は天界に帰らなければいけなかったのです。このことは世界中の伝説や童話が証明してくれています。そうそう、本当の人魚姫の最後は人魚姫は王子様を殺して、再び海に帰っていく話だったらしいですよ。その方が面白かったのに。残念ですよね」
玲は「残念ですよね」と言う際に本当に残念そうな顔をした。それにしても、王子様を殺す事ができた人魚姫はその瞬間、いったいどんな気分だったのだろうか。玲の言葉に私は考えた。しかし、自分を殺せなくて泡になってしまった人魚姫のコトを簡単に忘れ、他の人間と結婚してしまうような不実な王子様は本当のところは人魚姫に殺されてしまっても仕方がなかったのかもしれない。
見返りのない自己犠牲は一見美しく見えるけれど、哀しすぎる。虚しすぎる。そして、その自己犠牲を受けた側の罪は深い。もしかすると、受けた側は自己犠牲など要らなかったと言うかもしれないが、自己犠牲を受けることでしか生まれなかった利益を受けたとしたら、やはりこれは罪なのだろうか。
作品名:人魚の飼い方 作家名:ツカノアラシ@万恒河沙