人魚の飼い方
と、言いながら男は、屋敷の奥まったところにあった部屋の扉を開け放った。三方が硝子で出来た部屋。それが私がその部屋に受けた初印象であった。どうやら、そこは元々は温室として造られた部屋であったらしい。萎れた花々が、私たちを出迎えてくれる。崖に張り出した硝子張りの部屋には夕刻が近いことの徴である柔らかい陽射しが射していた。赤と黄色が混じり合った空。部屋の中心におかれたテーブルには、黒い革張りの小箱がひとつ。男はその箱を愛しそうにひと撫ですると一言、二言なにか話しかけたていた。どうやらこの箱に人魚が入っているらしい。私が知らない間に小さくなったものである。人魚というものは、私は知らないが縮んでいく特性でも持っているのだろう。
「最近はまだ良くなっているようなんですよ。一時期は死ぬほど真っ黒になってしまってどうしようかと思っていたいたのですけど、いまは元のように白くなって、潮風が吹くと気分が良いのか、時折弱いながらも笑い声を上げるのです。いままで飼った人魚のなかで一番可愛い奴ですよ」
男は思いの外、饒舌だった。よほどご自慢の人魚なのだろう。玲はそれではと、言って男から小箱を壊れ物を扱うような丁重な手つきで受け取った。玲は小箱の蓋を開けて中身を暫くゆっくりと眺めていた。
私も好奇心から箱の中を覗こうとしたが、玲は何気ない風を装いながら私に箱の中身を見せてくれなかった。どうやら、玲は私に箱の中身を見せたくなかったらしい。私の脳裏に、前に見た気味の悪い人魚のミイラのことが思い出された。私はよほど変な顔をしていたと見え、執事が怪訝そうな視線を向けている。玲は、窓際まで箱を持ったままゆっくり歩いてゆくと、気取りまくった優雅な物腰で私たちの方へふりむいた。
迷探偵、皆を集めて、さてと言い。
「どうですか」
男が期待に満ちた眼差しを玲に向けたのだった。
「どうやら、貴方には酷なようだがこの人魚は海に還さなければならないようです」
と、男に告げて、玲はパタンと音を立てて小箱の蓋を閉めた。箱を閉める軽い音が、妙に耳についた。
「海にですか」
男の表情は、傍らから見ていても、簡単にお気の毒と慰めようのないものだった。元々、これ以上はないと言うくらい暗い顔をしていたが、やろうと思えばもっと暗い顔ができるものである。
作品名:人魚の飼い方 作家名:ツカノアラシ@万恒河沙