人魚の飼い方
[そう、カエサルのものはカエサルヘ、そして海のものは海に還すのが一番。そうでもしないとこの人魚はますます弱っていくでしょう」
玲の声が厳かな響きをもって部屋に流れる。それに対して、私は何も言えなかった。それどころか、私の立場はまるで演劇を見ている観劇者のよう。第三者の立場を甘んじて受ける他には出来なかった。
「彼女にはもう二度と会えないのでしょうか」
「仕方がありませんね。残念ですが、諦めて下さい」
玲は素っ気なく言って、黒い革張りの小箱の蓋を再度開き窓の外で逆さにした。その時、私は見た。五体揃った白い骸骨が、カラカラと乾いた音を立てて崖下に落下していくのを
カラカラカラ。
カラカラカラ。
白い骨が落ちていく。血のように真っ赤な夕空を背景にして落ちていく。彼は何故、骸骨を人魚だと言ったのだろう。私には解らない。玲は初めから何か知っていたのだろう。落ちていく骸骨を見ても顔色一つ変えてはいない。
カラカラカラ。
カラカラカラ。
骨が音を立てて落ちてゆく。落ちてゆく。海の中に、海の中へ落ちていく。沈んでいく。沈んでいく。白い骸骨が、青い海に白い花を咲かせながら沈んでいく。
カラカラカラ。
カラカラカラ。
「アア、笑っている。笑っている」
男は何かに取り憑かれたような噛い声を立て、ふらふらと部屋から出ていってしまった。次第に遠のく足音と笑い声。恐らく、この屋敷を出たら、再び彼に会うことはないだろう。私はそんな気がした。部屋の中はすっかり夕闇に包まれていた。
玲は執事に羽織を着せかけて貰う間、つまらなそうな顔をしていた。つまらなそうな反面、哀しげでもあった。何を悲しんでいるのか。無残な最期を遂げた人魚、それとも無残な最期を最後まで自覚することができなかった男にか。もしかすると両方なのかもしれない。そして、おしまいに椅子に掛けていた仕込み杖を持つと私に手を差し伸べた。玲は、今まで浮かべていた全ての表情を消した上で、私に笑いかけて言った。
「さあ、ボク達も帰りましょう」
部屋から遠のいていく、狂ったような彼の噛い声を聞きながら、そういえばこの夏、海岸に人出が少なかった理由は、何人もの女性が次々に行方不明になったからであったのだと、私はふと思い出した。
作品名:人魚の飼い方 作家名:ツカノアラシ@万恒河沙