人魚の飼い方
私に好きなように喋らせた後に、目の前に置かれた紅茶が冷めるからどうぞ、と玲は極平凡かつ日常的なコトを私に言う。玲自身は、黒地に見事な焔の絵が描かれた扇を弄んでいた。唇に微笑み。しかしわたしには解っていた。いま、目の前で平凡なコトを喋る子は、本当のこの子ではないことが。もしかしたら、この子にならあの事を話す事ができるかもしれない。ああ、この子ならばわたしの悩みを解消してくれるに違いない。
意を決して、話してみようか?何処から、話せばいいだろうか?信じてくれるだろうか?話すきっかけを探りながら、何故か私はそのとろとろと腐りきった頭脳がにこっと笑ったような気がした。
人魚の入った箱。
そう。それが、今のわたしの問題なのだ。
「ご機嫌いかがかですか、警部殿?」
晩夏もとうに過ぎ、秋の足音が聞こえはじめた頃。玲は何日かぶりに自主的に私に話しかけてきた。その時、私は読書をしていた。その時読んでいた本の名前は、いやそんなことは関係ない。私は、読書を邪魔された腹立ちから出来るだけ不機嫌そうな態度で、とても楽しい悪戯でもしていうるような笑顔をしている玲の顔をねめつけた。
「おやおや、ご機嫌ななめのようですね。そもそも、貴方がこんな所で燐っているのがよろしくない。いい若い者がなんですか、隠居暮らしの老人の生活のように暮らして楽しいですか?さぁ、外に出ましょう。外へ出るのです」
玲は嫌がる私の腕をつかみ、そのままずるずると扉の外へ放り出した。そしてご丁寧にも、私の鍵と財布を取り上げてしまう。どうやら、玲は何か何でも私を外に連れだしたいらしい。
執事が家の扉を閉め鍵をかけている背後で、玲はくるりと、私の方に振り返ると劇がかった調子で胸の前に手を置いて、お辞儀をしてみせる。元々、優雅な物腰の人物なのでとても絵になっていた。
「さて、出掛けようじゃありませんか。いざ立て戦人よ。汝求めるところいざ行かん。眠り覚ましもの誰ぞ。汝、求める故に我与えんですよ」
作品名:人魚の飼い方 作家名:ツカノアラシ@万恒河沙