灰色の双翼
「さてと、んじゃま始めますか」
面倒くさそうに肩を下げつつ、ベッドの上のレイスの傍らに腰を下ろした。
「こいつに動いてもらわないことにゃ、俺も奴も動けないからな……」
一人ごちつつ、レイスの額に手を重ねる。ぽっと、手のひらに小さな光が宿った。小さな光はふわっと浮き上がり、ザフォルの前で止まる。それは完全な球体ではなく、一部から長く尾を引いて、レイスの体へと繋がっていた。
「さてと、質問に答えてくれよ。お前の本心でな。お前は本当に死にたいか?」
ザフォルが問うと、光は小さく収縮する。
『死ニタイ』
そう、光が返した。
「なぜ?」
ザフォルが更に問い詰める。
光はしばらく変化しなかったが、やがて微かにまた収縮した。
『光ガナイ……』
と。
ザフォルは微かに笑い、また質問を繰り返す。
「なぜ、光がないとお前は思うんだ?」
『……。長ガ、全テヲ奪ッテイク……。ソレナラ、死ンダ方ガイイ……』
「でも、もう長はここにはいない」
その言葉に、光は反応を返さなかった。
尚もザフォルは語りかける。
「長がいなければ、お前は光を持てるだろう。もう、奪う者は存在しない」
『デモ、何ガ光ナノカ分カラナイ……』
そう言った光に、微かに今度は微笑んだ。
「分からないわけはない。お前は初めから光を持っていただろう。ただ、それを奪われないために持っていないふりをして、忘れていただけ……。いや、忘れているわけもない。それがあったから、おまえはおそらくここまで生きていた。そう、奴も生かしていたんだ。奴は他人の絶望が生きる糧だからな」
『ソウ……ナノカ?』
「ああそうだ。分かったら、動け。お前の意志でな」
光が大きく身震いした。そして自ら体に戻っていく。生と繋がった糸を断ち切ることは求めずに、自ら生と繋がりつづけることを、彼は選んだ。
それを見送り、ザフォルは重ねていた手をそっとレイスの頬に滑らせた。
「ご苦労さん……。でも、お前がいなけりゃ、きっとあいつは何も知らなかっただろうさ。ありがとう……」
その呟いたときの表情は、普段のザフォルからは想像できないほど穏やかだった。まるで愛しい者でも想うような、そんな優しい微笑み。
「今はゆっくり休め。いずれお前の力がまた必要になるときがくるまで……」
すっと、ザフォルは腕を引く。表情のなかったレイスの顔が、いつのまにか穏やかな寝顔に変っていた。
気が付くと、まだ夜明け前だった。呆然と、白い天井をレイスは見つめていた。
部屋の中にザフォルの姿はなかった。ただ、扉のロックが外されて、青い光が点いている。
ゆっくりと身を起こして、レイスは部屋の中を見回した。体の方はいつのまにかだるさも疼痛も抜けていつもと変わりない。
そのままベッドから抜け出て床に足をついてみるが、ふらつくこともなくすんなりと立ち上がった。
一体何があったのだっただろうかと記憶をたどってみるが、ザフォルに手をかざされたところまでしかはっきりと覚えていない。それ以降の記憶はぷつりと途絶えていた。
けれど、悪い気分ではなかった。少しだけ、気が楽になった気がする。やけに心の内が穏やかだ。そんな心地は、すごく久しぶりだった。
ふと視線をめぐらせると、小さな窓を見つけた。厚いカーテンに閉ざされているそれを、ただなんとなく引いてみた。
しゃっと、軽い音と共に窓の向こうに視界が開ける。飛び込んできたのは広大な海の青と、その向こう、水平線の辺りにうっすらと広がり始めた仄かな光。
しばらくすれば、きっとそこから力強く輝く光がこの世界中に広がっていく。
突然、思い立ったようにレイスは窓を開けた。朝のまだ少し冷たい引き締まった風を感じながら、簡単に身支度を整えてしまう。
与えられたブレードも忘れず身につけて、開かれた窓に身を乗り出した。そのすぐ後、彼はそこから飛び出した。蹴った大地は柔らかく、ガルグの地下の、冷たい岩盤の感触とは全然違う。彼の未だ知らない大地。
その感覚を確かめるように踏みしめて、それから草を蹴って駆け出した。
向かった先は、まだ薄暗い影を残す海岸。ただ夢中で、それに向かって駆けた。
目を開くと、辺りはまだ薄暗かった。結局昨日は早々にベッドに入ったものの、眠れずにずっとごろごろしていた。やっとうつらうつらしてきて浅い眠りに入ったのがつい先ほど。それもすぐにこうして目が覚めてしまった。
もう一度眠れないものかと寝返りをうつが、完全に目は冴えてしまっていて、ちっとも眠気が襲ってきてくれる気配はない。
はあ、とため息をついて、仕方なくユイスは身を起こす。カーテンを開けて外を見ると、水平線の向こう側が徐々に明るくなってきていた。もうそろそろ夜明けなのだろう。
またはあ、とユイスはため息をついて、その光から目を背けようとして。
ちょうどそのときだった。窓の下を駆け抜けた影がふと目の端に止まった。長い金髪が薄暗い中でもよく目立つ。レイスだった。彼が海岸に向かって駆けていく。
「レイ?」
思わず身を窓から乗り出してその影を追うが、彼は真っ直ぐ海岸へ向かっていき、ユイスにはまったく気付いた様子はなかった。
慌ててユイスは身支度を整えた。寝癖がついたままの髪を直す暇もなく、部屋を飛び出す。
向かったのはレイスが走っていった海岸だ。館の裏庭を抜けた先。海に向かって突き出したその崖の上で、レイスは座っていた。
もうすぐ日が上ろうかという水平線を、じっと彼は見つめたまま動かない。
一体どうしたのだろうと、更に近寄ろうとして。
「ユイか?」
突然レイスに名前を呼ばれて心臓が跳ね上がる。レイスはユイスを見てはいないのに、自分の存在に気付いていた。
ばくばくと打ち鳴らす鼓動に、足はそこで止まる。つい、昨日のことを思い出してしまう。昨日、拒絶されてしまったこと。
「ごめん、邪魔しちゃったよね? ちょっと、散歩に出ただけだから……。あ……。戻るね、僕……」
また昨日と同じように拒絶されるのが嫌で、踵を返そうとした。拒絶されるくらいなら、自分から離れていった方がまだ気が楽。
けれど。
「いいよ、ここにいてくれ」
その言葉を言われた瞬間、すべての動きを止めていた。
振り返ると、レイスは何事もなかったようにまた水平線をじっと見つめている。
傍にいてくれと、そんな台詞をレイスから言われるとは思ってもみなくて、一瞬何を言われたのかが理解できなかった。
「いいの……?」
信じられなくてもう一度尋ね返せば、ああ、とぶっきらぼうに彼は返す。
そう言われてしまえば断る理由もなく、どぎまぎとしたままユイスはちょこんとレイスの隣に収まった。
彼は相変わらずユイスのことを見ることはなく、ただずっと水平線を見つめている。
そんな無言の時がしばらく続いた。
やがて空がずっと明るみはじめてきて。
「あの、レイ……?」
何も話し掛けないのも気まずくて、何かないかと言葉を捜しかけたとき。
ユイ。と微かな声で名前を呼ばれた。どきっと胸が高鳴った。
「な、何?」
自然と応じる声が上ずった。
でもやはり、レイスがこちらを見ることはない。