灰色の双翼
ザフォルから条件を聞かされた後、ユイスは与えられた部屋でレイスの魂を閉じ込めた籠を見つめていた。
今いるのは最初にいた部屋ではない。あの部屋とユイスの体の複製体があった部屋は地下になっていて、今はその上の地上。広い海に囲まれた島の丘の上に、たった一軒だけそびえたつ、広い屋敷の中にいた。
ザフォルは何かまだ研究があるらしく、地下のほうから上がってくる気配はない。今は大きな屋敷の中に、ユイス一人だけだった。
「はあ……」
ついて出るため息も、がらんとした屋敷の中に響いていく。
ユイスは籠をベッドの上に置いて、顔をベッドに突っ伏した。
確かに、ザフォルの条件はユイスにとってはそう悪いものではなかった。だが、レイスはどう思うだろう。ユイスにとっては悪くない条件でも、レイスは違うかもしれない。もしレイスが蘇った後でこの条件を聞かされたら、はたして彼はどう思うだろうか。レイスはずっと自分と一緒にいてくれるだろうか?
それを思うと、どうにも自分だけでは決めることができなかった。
「レイ……。僕はどうするべきなのかな……」
籠の中で淡い光を放つ彼の魂は、ユイスに何も言ってはくれない。ただ、震えるように微かに光が収縮する。
ザフォルは、レイスの魂を留めて置ける限度が明日の昼頃までだと言っていた。ちょうど、自分のコピーだという器が完成するのも、同じくらいだという。それまでに、自分は決めなければならない。自分がこの魂を、レイスをどうするべきか。
ベッドに伏した頬に、レイスの仄かな光が当たる。いつのまにか、金の光から淡い緑に変わっていた。
顔を上げると、一瞬レイスの小さな瞳とかち合う。自分と同じ色のはずなのに、僅かに違うと思える瞳の色。澄んだ緑色の瞳だ。
でもそれはまたすぐに閉じられて、見えなくなってしまう。光も淡い緑から、また金色に戻っていく。
もう一度、見たいと思った。一度閉じられてしまったからには、もうしばらくは見ることはできないのに。
「僕は間違ってるのかな、レイ……」
ふとこぼれた、乾いた笑い。
触れることのできないレイスの光に手をかざす。指の隙間からこぼれる光が、ちらちらと辺りに散っていく。
だがそれらはもう、ユイスに届くことはなかった。
夜が明けて、朝がくる。
研究室で一夜を明かしたザフォルは、レイスの体が完成したかどうかを確認するために、培養室へと向かった。
あくびをかみ殺しながら、鉄製の自動扉をくぐる。寝不足の重い体で、培養器を隠す布を掻き分けながら奥へ。
最後の一枚を掻き分けて、ザフォルはお、とつい声をあげた。
緑の光を発する培養器を、じっと見つめる人影。それがザフォルに気づいて振り返る。
「心は決まったかい?」
振り返ったユイスは半ばうつろの瞳で真っ直ぐザフォルを見つめた。
「完成したんですね」
「ん、ああ器だけな」
二人とも共に培養器の巨大なガラスケースを見上げる。そこには、完全に人の形をとったレイスの器となるべきものが、身を抱きながら浮かんでいた。
「それで、どうするんだい?」
ザフォルが再び問い掛けたとたん、すいと、ユイスが片手に持っていたものを差し出す。
差し出されたそれを見て、ザフォルは片眉を撥ね上げた。
ユイスが手にしていたのは、レイスの魂を閉じ込めた籠だった。
「僕は、あなたが出した条件には、興味はありません」
真っ直ぐ見つめてくるユイスを見つめ返すザフォルは、けれどその言葉に動じなかった。まるで次に紡ぎだされる言葉を予期していたかのように。
「それで?」
冷静な低い声が、ユイスの言葉の続きを促す。
きゅっと、ユイスは唇を噛みしめ、籠を突き出したまま視線を伏せた。。
「興味は、確かにない……。でも、僕にはレイスが必要です。お願いします……。レイスを、蘇らせてください」
ザフォルはゆっくりと口の両端を吊り上げながら、口を開く。
「いいぜ、その願い、叶えてやる」
レイスの魂が入った籠が、ユイスの手からザフォルに渡る。
顔を伏せたまま、籠の行方を見ることなく、ユイスは微かに呟いた。
「誰も死ぬことなんて望んでいない……。君もきっと、そう、だよね……。レイ……」
そう呟いたその一瞬、刺すような光が強く辺りを照らした。だが、すぐにも籠には黒い布がかぶされる。強い光も厚い布に遮られてほとんど分からなくなった。
「レイを、よろしくお願いします……」
ほんの微かな声。ともすれば震えているのではないかと思えるような、そんな微かな声だった。
籠を受け取ったザフォルは、煙草に火をつけながらうなずいた。
「任せとけよ。おまえさんたちの悪いようにはしないさ」
吐き出された煙草の煙が辺りに立ち込める。
ユイスは顔を伏せたまま、ただずっときつく両手を握り締めていた。