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灰色の双翼

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 涙をこらえるユイスの顔が、段々とくしゃくしゃに歪んでいく。もう失われてしまったのだと思っていたのに、彼がもう一度自分を呼んでくれた。
「今どこにいるの、レイ!」
 姿の見えないレイスを求めて、ユイスはあたりに垂れ下がる布に向かって声を張り上げた。
 今すぐ、彼に会いたかった。
 『ユイ、ユイ……?』
 再びレイスの声はあたりに響く。けれどそれは布に反響してどこから聞こえてくるのか分からない。それに向こうはユイスの存在に気づいていないように反応がひどく薄かった。ただ、これでこの近くにレイスがいることは確かになった。レイスが生きていることが。
 再びユイスは歩みを進めた。自然とその足取りが速くなる。
 幾枚も重なる布や、進路を遮る大小さまざまの銀色の箱。足元に張り巡らされている様々な太さの、わけのわからない束になった色鮮やかなコードやパイプ。邪魔なそれらを掻き分けて、ひたすら奥へ奥へと。進むにつれ足元のコードの密度が徐々に増していき、薄明るい青緑の光も近づいていく。が、もはやそれが気味悪いなどとは思わなかった。ひたすら広いその部屋の中央へと向かうだけ。
 なぜだかそこにレイスがいるという確信が、ユイスにはあった。
 そうやって同じ光景をしばらく繰り返した後、ユイスの前に突然視界は開けた。最後の布を掻き分けたその先に、巨大な円筒形の水槽がそびえていた。床に張り巡らされたコードはすべてその水槽へと繋がっていた。青緑色の光の正体は、その水槽の中の液体を透かした光。
 見たこともないその巨大な水槽を見上げたユイスは、同時にその中にいたモノを見てしまって、言葉を失った。
「レ、イ……」
 無意識に発せられた声は震えていた。がくがくと体が震えて止まらない。
 コレは一体なんだ?
「勝手にうろついてもらっちゃ困るんだがね、お姫様?」
 突然気配も何もなく、耳元でささやかれた低い声。しかしユイスは動くことができない。骨ばった手が、水槽を見上げたままのユイスの視界を塞ぐ。
「あ……」
 視界が闇に包まれて、ようやくユイスは自我を取り戻す。同時に震えの原因が水槽の中身から、視界を遮る男の手へと移っていく。
 男が空気を震わせるように微かに笑った。
 ぞくりと背中に伝わる冷たい感覚。
 あの時と同じ。ヴァシルに迫られたときのあの威圧感と同じ。
「いやだっ! 放せ……!」
 あのときの恐怖が再びユイスを襲った。なりふりかまわずがむしゃらに、その男から逃れようと腕を振り回して足掻いた。
「おぉっと」
 男が反射的にその腕を避けようと手を放した隙に、その体を突き飛ばして銀色の箱の陰に滑り込む。だがすぐ背後には巨大な水槽。後に逃げ場はない。ユイスの微弱な力では僅かによろめいただけだった男は、すぐにユイスの姿を見つけて近寄ってくる。逃げ場もなくなって、迫ってくる男とあの水槽の中身に一層がたがたと、膝を抱え込んで震えた。精一杯、そうやって拒絶したつもりだった。
 そんなユイスの姿を見て、目の前まできた男はやれやれと大仰にため息をついて肩をすくめる。どうしたものかと困ったように頭をかいて、そのまますとんとそこにしゃがみこんだ。
「いや、脅かして悪かった。ちょいとからかっただけなんだ。だからそう怯えてくれるなよ」
 思いがけないその軽い口調に、虚を突かれてユイスは男を見上げた。更にその姿は、ユイスを十分呆気に取らせた。
 無造作に束ねられたぼさぼさの銀髪に、しわくちゃの白衣。それさえ考えなければ、下に着ている服は北大陸によく見られるような上等のものであるらしいが、羽織っただけの白衣のせいでそれも上品さが欠けてしまっている。無精髭こそはえてはいないものの、あまりにだらしない姿だ。一瞬でもヴァシルと重なって思えたのがまるで嘘のように、ヴァシルとは似ても似つかない。ヴァシルとは正反対の飄々とした男。
 それでも、なぜかユイスの体に襲い掛かる震えは止まらなかった。ヴァシルとは違った意味で、立ち上がった男の、ユイスを見下ろすその余裕に満ちた銀灰の瞳が、強く目に焼きついた。
「そう見つめるなよ、照れるだろ?」
 不意にユイスに投げかけられた飄々とした台詞。慌てて視線を外そうとすると、突然腕を引かれて立ち上がらされた。
「俺はザフォル=ジェータ。おまえさんをとって喰うつもりはねぇから、安心しな」
 にやりと、ザフォルと名乗った男が口元を吊り上げて笑った。
 いきなりされた男の行動にユイスは呆然としていた。まだ体は強張っているものの、いつのまにか震えは収まっている。
 男を見ると、くつろぐように手近な銀の箱に寄りかかっていた。ユイスと視線が合って、またからかうように笑う。
「まあどうだい? 一本」
 男が懐から取り出したのが、一本の煙草。ユイスに敵意がないことを示すように、それを差し出した。
 差し出されたそれに身を抱きながら、ゆるくユイスは首を横に振った。煙草は、嫌いだった。
 ザフォルは肩をすくめ、自分の分を残して取り出した煙草をしまい込んだ。そのあとすぐ、布で仕切られた狭いスペースの中に紫煙が立ち上り、広がる。
 何者なのだろうこの男は。
 煙草を吸い始めて、彼はそれ以上なにもしなくなった。まるでユイスから何かすることを待っているかのようにも思える。
 彼自身が言ったように彼にはユイスをどうこうするつもりはないようだが、それでも正体不明の男の言葉を信用するわけにはいかない。もし万が一ザフォルがヴァシルの仲間だったら。その可能性だってまだ否定はできなかった。
 だが結局ユイスも何もできなくなり、どうすればいいのかも分からず、ふと僅かにユイスは背後の巨大な水槽を見上げた。
 そしてまた、息を呑む。
 水槽の中には半分ほど人の形をとったモノが浮かんでいた。両腕や下半身は消滅しているものの、それは確かに人だった。水中を漂う長い髪が邪魔で顔は確かには見えないが、それでもどう見たって、それはユイスの弟レイスの姿で。
 ぽんと、突然思い出したようにザフォルが手をたたいた。
「ああ、言っとくが、ソレはレイスじゃねぇぞ?」
 え、と振り返ると、今まで無言だったザフォルが、煙草を燻らせながらこの巨大な水槽を見上げていた。
「おまえの弟はもう死んでる。そいつはレイスじゃない」
 半分ほどに減った煙草の火を揉み消して、ザフォルが水槽の前に立つ。カツンと冷たい床に足音が響く。
「レイじゃないって……」
 どういうことだと問い掛けたら、あっさりとザフォルは言い返した。
「そんなこと、おまえさんのほうがよく分かっているだろう? あの場にいたんだからな」
 と。
 でもだとしたらこの水槽の中に浮かぶ「彼」は一体?
 それに先ほど聞こえた声は?
 そう言いたかった言葉を、ユイスは切ってうつむいた。
 本当は分かりきったことだ。あれは、レイスが完全に消された瞬間は夢でも幻でもない。確かな現実だ。自分が勝手に夢だと思い込みたがっているだけ。
 それに、この目の前に浮かぶ彼の姿をした肉体だって、彼の死体なのかもしれない。聞こえたと思っていた声だって、彼の死を認めたくない自分が勝手に作り出したまぼろしの声なのかも。
作品名:灰色の双翼 作家名:日々夜