小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

灰色の双翼

INDEX|18ページ/33ページ|

次のページ前のページ
 

 目の前は真っ赤に染まっているのに、頭の中は真っ白だった。
 ヴァシルはレイスを抱き寄せて嘲るように笑い、レイスはきつく両手を握り締めて顔を伏せる。
 足元には真っ赤な血の海。
 そこに倒れ込むのが、元は男だった肉の固まり。切り離された首から、ぎょろりとした目が恨みがましげにレイスをにらみ付ける。
 そして、真っ赤な血にまみれたレイスのからだ。
 思い出した。どこかで聞いた気がしたと思っていたこと。世界を支配するある暗殺者の一族の存在。そして、中でも最も秀でた暗殺能力を持つと言う、血に染まった悪魔の名。そう、すべてはかつて夜毎行われた狂宴の中で主から聞かされた。
 その悪魔が、まさかレイスだというのか?
 彼が、どうして……。
「どうして、こんな……」
 たまらずつぶやいていた声は震えた。
 くすくすと楽しそうに笑って、ヴァシルがレイスの腕を取る。
 レイスが従順な操り人形のように従って、手にしているその刃を自分に向けた。
「信じられないか? だが、お前も今見ただろう? このレイスの美しい姿を。本当に、ただの人形にしておくには惜しいほどだ」
 ヴァシルがわざとらしくレイスの頬に接吻を送る。そこから急に、夜の闇よりも深い闇が広がり、それがレイスの体をじわじわと包み込んでいく。
 全身に鳥肌が立った。無意識に足は一歩後退していた。
「さて」
 闇が声に合わせて脈動する。同時にレイスがびくりと体を震わせる。
 ユイスの動きも止まった。全く体が動かなくなる。
「ガルグの掟は覚えているな? 姿を見たものは、いかなる者でも始末せよと」
 刃を突き付けたレイスの腕が微かに震える。
「さあ、もっと私を楽しませておくれ。お前のその刃で、自らの片翼を引き裂いて見せろ」
 命令にレイスが一層大きく身を震わせた。ガタガタと恐れおののく。それを静めようと、静かに目を閉じ、口内の唾を嚥下する。
 レイスが一歩、ユイスに近付く。その腕の刃は、しっかりと自分に向けられたまま。
 もう一度、目を開く。目をとじる前とそれは全く違っていた。そこにはすでに表情はなかった。
 それはあの夢を彷彿とさせた。
 ただ無機質に、機械的に、彼はユイスに近付く。
「嘘でしょう……レイ……」
 彼が目の前に迫る。その腕を構え直して、ゆっくりと刃を返す。
「レイ……」
 ゆっくりと刃が振り上げられる。
 冷たいレイスの瞳が目の前。
 じわっと体の中に熱い思いが広がった。それが吹き上げそうなほどに大きくなって。
 ひゅっと風を薙ぐ音。
「レイ……レイ!!」
 思いのたけを込めて、叫んだ。
 すべては夢と同じ。
 刃がユイスの首に向かってうなりを上げる。
 すべて同じ。
 ただ、そこまでは。
 すべては一瞬だった。
 その一瞬、時は止まった。
 ユイスは思わず閉じていた目をゆっくりと開く。
 何も襲ってきてはいなかった。
 首もつながっている。傷一つない。
「レ、イ……?」
 刃は寸前で止まっていた。レイスが目に涙を浮かべて、呆然と止まった刃を見つめていた。 からん、とやがて刃が乾いた絨毯の上に落ちる。
「ユイ……」
 ぱたぱたと、涙がレイスの頬を伝って落ちていく。
 レイスは自分の声を聞き届けてくれた。彼は完全に闇に落ちたわけじゃなかった。ちゃんと心を持ってくれていたのだ。
 そっと、彼の涙を拭おうと頬に触れた。ヴァシルとは違う。レイスはちゃんと温かい。
 じわりと自分の目にも熱が込み上げてくる。
「よかった……。やっぱりレイはレイなんだ……。大丈夫。もう君は何もしなくていい。僕と一緒に行こう……」
 今なら何だってできる気がした。たとえガルグを相手にしたって、平気。二人でいればきっと逃れられる。
「村に、帰ろう…?」
 ね、とレイスの体を抱き締める。
 村に帰ればきっと皆が、自分たちの家族が待っていてくれる。だから。
「ユイ……」
 微かな声で呼ばれて顔を上げた。
「ごめん、ユイ……」
 レイスがユイスに向けて微笑していた。
 なぜそんなことを言うのだと、思った矢先。
「うわっ!」
 いきなりどんっ、と突き飛ばされてユイスは床に転がった。
 その拍子にレイスがたっと空を蹴る。
 同時にばん、と扉が開いてユイスの脇をだれかの影が走り抜けた。
 気付いたときにはもう遅かった。
 咄嗟に止めようと伸ばされた手を、その長い髪の一房がするりと抜けた。
 宙を駆けるレイスの刃がヴァシル目掛けて空を裂く。
 そこへ飛び込むのが黒い影。
 長い黒髪がレイスの前で翻る。
 ざん、と薄い肉が抉られる。
 赤い鮮血が辺りに散る。
 ぐらりと傾ぐその細い体。
 ヴァシルに向かって、ゆっくりと倒れていく。
「メリア――!!」
 ユイスの叫び声が闇に響いた。
 レイスがヴァシルに刃を向けるのと同時、割って入ったのがメリアだった。
 彼女がヴァシルの肩にもたれかかり、その姿を確かめてほほ笑む。
「よかった……ヴァシルさん……」
 震える唇。
 震える目元。
 そしてその瞼は重たく閉ざされていき、ぱたりと力なくその手は投げ出される。
 ずるりと体がヴァシルの足元にくずおれる。
「あ、あ……うあぁぁ――っ!!」
 その直後、レイスの絶叫が響き渡った。
 頭を抱え、髪を振り乱してレイスが喚く。
「レイ、どうしたのレイ!?」
 メリアの事態の衝撃と突然のレイスの絶叫。何が起きたのかもわからず、とにかく目の前のレイスを落ち着かせようとユイスが近付くも、すべて振り払われた。むしろそのユイスの行動こそが、彼を苦しめるかのよう。
「……て……母、さ……許、して…!」
 身を震わせて、しきりに彼が絶叫とその言葉を繰り返す。
 ユイスにはどうすることもできなくて、ただ呆然と見守るしかできなくて。
「壊れたか……」
 はっとして振り返ると、ヴァシルがレイスに冷たい視線を投げ掛ける。その足元には、未だメリアが横たわったまま。
 そのユイスの視線に気付いたように、ヴァシルが足元へと視線を移した。
 動かなければ、動いてメリアを助けなければ。そう思うのに、体はびくとも動かない。ヴァシルの側に近寄ることができない。
「申し訳ありません、長……。目を放したすきに……」
 不意に声がして、ユイスはそちらに目を奪われた。いつの間にか気配もなく、扉の前にアルスがいた。己の失態を恥じ、その場で彼は畏まる。
「アルスか……」
 ヴァシルは彼を見ないまま、足元のメリアを丁重なしぐさで抱き抱えた。
「まあいい。おもしろい娘だ。気に入った。それよりもレイスは期待外れだったな。これしきのことで壊れるとは。やはり作り物の人形は脆い」
 未だ絶叫を上げ続けているレイスに視線を向け、すぐにヴァシルは興味をそがれたように視線を外す。メリアを抱え直して、一歩その場から下がった。
「アルス、右手を使うことを許す。それらを始末しろ」
 その命に、アルスの返答が一瞬遅れた。
「よろしいのですか……?」
「かまわん。しょせんはあれもただの人形だ。それに、代わりになるものも見つけたからな」
 言うと同時に、ヴァシルが愛しげにメリアの血色のない頬に軽く口付ける。
「承知致しました。我らが長の仰せのままに……」
作品名:灰色の双翼 作家名:日々夜