灰色の双翼
「今すぐ逃げろって……。何があったって言うの? 説明してもらわなきゃわからないわ」
「いえ、説明は後で幾らでもします。ですから今すぐこの館を出て下さい!」
叫ぶと同時に、アルスが無理矢理連れていこうと必死にメリアの腕を引っ張った。その行動に更にメリアは混乱していた。アルスの力は子供の力にしては強く、ともすれば引きずられそうになる。しかし、ここで理由を聞かずに勝手に出ていっていいものか分からない。
とにかく落ちついてとアルスを止める。
「ちょっと待って、せめて教えて頂戴。これはヴァシルさんの命令なの?」
「それは……」
尋ねれば途端にアルスの腕の力が弱まり、彼は返答に窮して口ごもった。
これは確実に彼の独断なのだと確信した。
「ヴァシルさんの命令じゃないなら一体どうして……。教えて頂戴。何があったの……?」
じっと、アルスの目線に併せて彼の目を見つめる。アルスはぎゅっと口を引き結び、小さな手をきつく握り締める。責めるつもりはないのに、いたたまれない。
だが、いくらそう思っても聞き出さないわけにはいかなかった。なぜ彼がこんな事をしたのか。
「アルス君……?」
再度呼び掛けると、アルスは覚悟を決めたようにきっとメリアに顔を向けた。
「このままでは貴方がガルグに連れていかれてしまうかもしれないからです!」
そのアルスの泣きそうな叫びに、メリアは呆然とするしかなかった。
「ガルグ……って……どういうこと……」
それは普通の人間なら知らないはず。ガルグとは、この世界を裏から支配しているという暗殺者の一族のこと。赤い悪魔と呼ばれる暗殺者を筆頭に、特にこのセルモーザで多くの商人がガルグの暗殺者に殺されている。
そのガルグへ自分が連れていかれる?一体なぜ?
そもそもなぜアルスがそんな事を知っているのか。
「ヴァシルという人は本当は商人なんかじゃないんです。あの方は……ガルグの長なんです! 長はどうしてかあなたをガルグに連れていこうとしています。あそこはあなたのような方が来るべきところではないんです! だから逃げて下さい! 一刻も早く!」
アルスがメリアをせき立て、再び腕を引く。よろよろと、メリアはその手に引かれるまま、二、三歩歩いた。
「ちょっと、待って……。ヴァシルさんが、ガルグの長……?」
扉の前で足が止まる。
上手く話が飲み込めなくて、頭の中は真っ白になっていた。突拍子もない話だった。そんな事があるはずがない。アルスはためらいもなくそうだとうなずくが、あの人はルクレア様のように優しい人。そんな悪い人間のはずがない。
「なによそれ……。そんな、でたらめ言わないでよ。あの人がガルグの長ですって!? いかげんにして!」
力任せにメリアはアルスの腕を振りほどいた。相手が子供だと言う事は、もうメリアの頭の中には存在していなかった。
勢い余って、アルスはよろめく。しかしそれでも彼はメリアにすがりついた。
「本当なんです! お願いです、信じて下さい!」
「嫌よ、放して! ヴァシルさんはそんな人じゃないわ!」
しつこくすがりつくアルスをうるさそうにもう一度引きはがし、完全に無視を決め込んでメリアは扉に手を掛ける。
反動でついに床に転がったアルスが、そのメリアの行動に気付いて慌てて立ち上がった。
「待って下さい! どこへ!」
「決まっているじゃない、ヴァシルさんの所よ!」
言い放たれた途端にバンと、派手な音を立てて扉が閉じられる。
「待っ……今行ったらだめなんです、メリア様!!」
真っ青になって、アルスは彼女を追いかけ、扉の外の暗い廊下へと駆け出した。