灰色の双翼
「それでは要件はそれだけですので、今日はこれで。どうぞゆっくりおやすみ下さい、メリア殿」
ヴァシルが唇の両端をつり上げて笑った。それはこれまで見たことのない笑み。どこか冷たい。
そのすぐ後。突然メリアに眠気が襲う。
「あ、あれ……?」
体がぐらついて、ふらふらととっさにヴァシルに寄り掛かった。
「大丈夫ですか? きっとお疲れなのでしょう。さ、どうぞベッドへ」
そんなヴァシルの甘い声と共に、体がふわりと宙に浮くような感じを覚える。ヴァシルに悪いと思うのに、眠気はどんどん強まっていき、体もひどく重たくて動かない。そのまま意識が遠のいていき、やがてヴァシルの声も聞こえなくなっていった。
闇に包まれた部屋の中、ヴァシルはベッドのすみに腰を下ろして、メリアの黒い艶のある髪をまるで愛玩動物でもなでるようなしぐさで、愛しそうに梳いていく。
「長。その娘をどうなさるおつもりなのですか……?」
そこへ唐突に声。それまでだれもいなかったはずのドアの前にアルスが立っていた。
「アルスか」
ヴァシルが顔を上げ、アルスに視線を向ける。その表情はまるで新しい玩具を見つけた子供のような顔で。一瞬背筋が凍り付くような寒気を覚えて、アルスは身を引いた。
だが、それにすらヴァシルは、くつくつと喉を鳴らして楽しそうに笑う。
「お前は何も知らずともよい。それよりアルス。お前は後で部屋にユイスを連れてくるんだ。おもしろいことになるだろうからな。ああ、だがお前は部屋には入ってはいけない。彼女を見ていろ。大切な客人だからな」
そっとヴァシルがメリアの頬にくちづける。ふふ、と吐息をはくような軽さでヴァシルは笑う。それはアルスも見たことのない笑み。とてつもなく恐ろしい笑み。
ヴァシルから視線を反らして、窓の外を見やった。アルスの瞳には映ることはなかったが、空に浮かんでいた月はいつの間にか流されてきた黒い雲に隠され、その姿を消していた。