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灰色の双翼

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 レイスがやっと自分を下ろしてくれたのは、屋敷の中に入って、幾つもあるのだろう応接間の一室に着いた後。そっと、壊れ物を扱うような優しさでソファの上に下ろされた。その時はもう顔は泣きたいくらいに真っ赤で、レイスの顔をまともに見られたようなものではなかったから、ずっと下を向いたまま。
 だがそうやってしばらくうつむいていると、彼はふらりと気配もなく部屋を出ていく。それに気が付いたのは、ぱたんと扉が閉められたときで、声をかける暇もなかった。
「ちょ、レイ!?」
 呼び掛けても反応はなく、ぽつんと広い部屋に一人置いていかれる。
 何も告げられなかったことに、つきりと胸に何かがつき刺さった。
「どこ……行ったんだよ……」
 急に広い部屋に一人にされて、ユイスは身を震わせた。
 部屋の中は派手すぎない程度に装飾が施されていた。どれも一目で最高級の品だと分かる。ただ、そういったものが並べ立てられた空間は、記憶の中のある光景を連想させる。思い出したくもない、昔の記憶。
 唯一、崖下に打ち寄せる波の音だけが、その記憶がよみがえるのを押しとどめてくれているものの、それもそうもたない。
 心細くなって、身を抱いた。
「レイ……」
 無意識にその名を呼ぶ。
「呼んだか?」
 その直後に返ってきたのが明るい調子の声。
 振り返ると、また気配もなくそこにレイスが立っていた。
「悪い、薬箱持ってくるの忘れてたからさ」
 と、片目を瞑って持ち上げてみせるのが薬やシップの入った薬箱。
「足、見せてみろよ」
 彼がすたすたとこちらへ近寄ってきて、前にかがみこもうとする。それへ思わずユイスは抱き付いていた。
「ユ、ユイ!?」
 突然抱き付かれたレイスはすっとんきょうな声を上げて、ぐらりと後ろに倒れた。当然抱き付いたユイスも一緒に絨毯の上に倒れ込む。
「ご、ごめ……でも、怖くて……いきなり一人になるし、レイは何も言ってくれないし……だから……っ」
 ガタガタと震えながら、終いには泣きじゃくるようになってきて、ユイスはレイスに一層強くしがみついた。とにかく今レイスと離れることが怖くて。
 そんなユイスに、レイスがぽんぽんと優しく頭をなでる。幼い子供にするような優しいしぐさで。
「ごめんな……」
 頭を包み込まれて、そのレイスの温もりがユイスの心をだんだんと落ち着けていく。
「俺、ユイがそんなにおびえているなんて思いもしなくて……。その……俺もユイと会えたことは、嬉しいんだ。本当に……。たださ、七年もあっただろ?どう接すればいいのかわかんなくて……その……」
 ごにょごにょと最後は顔を赤くして、彼は口ごもる。その姿に涙の止まったユイスは、腫れぼったい目をレイスの肩に押しつけたまま。くすくすと笑った。
「わ、笑うなよ!」
 レイスが真っ赤になって膨れる。その姿はさっきまで無愛想な姿とは全然違って、昔と同じ。あの七年前のまだ何も知らなかった頃のよう。変わらない光景。最後には結局二人で笑い転げて。
 そうして、二人はいろいろな話を始める。どれもたわいのない昔話。昔遊んだときのことや、当時はどうしても恥ずかしくて言えなかったのに、今では笑い話にしかならないような話。そんな楽しい時の話ばかり。別れた後のことは、どちらも何も触れなかった。レイスはきっと自分を気遣ってくれたのだろうし、自分はそれに触れたら嫌なことばかり思い出しそうだったから。
「ところでさ、ユイ」
 一通り話し終わって、レイスが呼び掛ける。
 何だろうと顔を上げると、少し彼は視線を反らして言った。
「俺、お前の足の手当てしろっていわれてたんだけどさ……」
 その言葉に、そういえばとようやくユイスは本来の目的を思い出す。
「ごめん、忘れてた」
「ん、いやいいんだけどさ、それより……ちょっとどいてくれないか……?」
 言われてはっとした。急にかぁーっと顔が赤く染まる。ちょうど今の体勢は、はた空見れば自分がレイスを押し倒しているようにしか見えなくて。
「う、うわ、ごめんっ! って、いったぁ……」
 慌ててどこうとしてまた足がずきんと痛んだ。
「大丈夫か!? 無理するなよ」
 レイスが本当に心配そうな顔でのぞき込んできて。痛みをこらえてつい大丈夫と言ってしまう。ほっと、レイスが胸をなで下ろす。
 それからようやく足の手当てに入った。
 てきぱきとレイスは薬箱から包帯やらシップやらを取り出して処置していく。冷たいハッカの軟膏が熱を吸い取って気持ちいい。心地好い雰囲気の、心地好い空間。
 でも、ずっとそんな時を過ごしているわけにはいかない。自分の目的は、ただレイスに会うことだけではない。ユイスはずっと、一番の目的をレイスに告げるタイミングを見計らっていた。
 ちょうどレイスが包帯を巻き終える。
 言うなら今。
「ねえ、レイ……」
 思い切って口火を切った。
「んー?」
 彼が包帯やら薬やらを箱の中に戻しながらそんな返事。
 心臓が今までにないくらいどきどきと急いている。
「村に、帰りたくはない……?」
 言ってしまって、まだドキドキとする胸を押さえた。これで彼がうなずいてさえくれれば、自分の願いはかなう。どうかいい返事を聞けるようにと、自分の鼓動を聞きながら祈った。
 ぱちりと、薬がしまわれて箱の止め金が締まる。
 レイスの瞳に自分の姿が映った。
 穏やかな彼の表情。ただ、それだけ。彼の気持ちは、まだ分からない。
「ユイ」
 改めて名前を呼ばれて、背筋が伸びた。
「ユイの気持ちは良く分かる。約束したもんな、一緒に帰ろうって……。でもな、ユイ……」
 自分を見上げていた視線は次第に落ちかかって、床にたどり着く。レイスが告げるのだろう言葉の先が、告げられない前から分かってしまう。
「俺は……行けないよ。俺が村に帰るわけにはいかない……。考えてもみろよ。俺がヴァシル様の下を離れることなんて、できるわけがないさ。だから、村に帰るんだったらユイだけで行ってくれないか……。俺の分も、皆によろしく伝えてほしい」
 彼は苦笑して立ち上がる。薬箱を手にして、自分の前から去っていこうとする。その後ろ姿がひどく遠く感じた。
 彼だってきっと帰りたいはず。自分と同じようにふるさとへ。ただ、それと同時に彼はここにいなければならないと言う使命感のようなものを持っていた。自分にはない感情。決して持ち得ないもの。
 かつて自分が持っていたのはとにかく恐怖だった。それだけだった。自分はその恐怖から逃がれたくて、実際に逃げ出した。それがレイスには見られない。だから、彼はここから動くことを望まない。
 このままでは、レイスは一緒に来てくれない。
「やだ……」
 レイスが足を止め、首を傾げて振り返った。
 子供染みた台詞。子供染みたわがまま。そんな事は良く分かっている。でもここでレイスの手を離したら、絶対に何か恐ろしいことになる。あの夢。あれが正夢になるなんて思いたくはないけれど、そんな予感があった。ずっと前から。
「ユイ、頼む……。分かってくれ……」
 だからレイスのその言葉にも強く首を横に振った。
作品名:灰色の双翼 作家名:日々夜