灰色の双翼
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到着したヴァシルの屋敷は遠くから見るよりもさらに大きかった。しかもやはり各地を行き来する商人だからだろうか。街の中に良く見られるセルモーザ特有の白い建物と違って、ヴァシルのこの屋敷だけサラザードや王都などと同じ煉瓦造り。明らかに他とは異彩を放っていた。
なんとなく、その姿が記憶にある別の光景と重なる。多分、サラザードのルクレアの屋敷だと思うのだけれど、辺りが闇に包まれているせいか、どこか足を踏みいれることに気が引けた。
「どうぞこちらへ、中で主がお待ちしておりますので」
ユイスがそんな事を思っている間にも、アルスが先に立って門の内を進んでいく。尻込みしている場合ではないのだと思い改めて、ユイスは彼について歩いた。
一考は館の広いエントランスの前に差し掛かかる。
段々と胸の鼓動が早くなる。
その時突然屋敷の扉が開き、中からだれかが飛び出してきてユイスに勢い良く抱きついた。
心臓がはち切れるのではないかと思うほど大きく弾んだ。
「ユイのバカ! どうして勝手にいっちゃったりしたのよ!」
「痛っ……メリア!」
飛び付かれたてまたズキリと右足に痛みが走る。一瞬顔がゆがんで慌てて平静を装おうとしたが、目敏くメリアはそれに気付いてしまった。
「何よこの足! ちょっと見せなさい!」
言い訳する暇もなく、メリアにエントランスの片隅に無理矢理座らされる。こういう時のメリアに逆らうと怖いと言う事はすでに重々承知済み。仕方なく、ユイスは怖々と捻った足を彼女に差し出した。すぐさまメリアの額に青筋が浮かんだのが見て取れた。
いつ間にか空にも暗雲が垂れこめている。
思わずユイスは身を竦めた。右足は、ものの見事に赤く腫れ上がっていた。
「どうしてこんなになるまで放っておくのよ!」
ピシッとそのとき空に雷が光る。
ひゃっと小さくユイスに悲鳴が上がった。
ぜいぜいとメリアが大きく肩で息をする。
身を縮めたまま、ユイスは上目遣いにメリアを見上げた。
「ごめん……」
謝る声が自然、小声になってしまう。
そこへメリアがかがみ込んだ。またくるのかと身を竦めてしまって。
きゅっと、メリアはユイスをまた優しく抱き締めていた。
「心配……させないでよ……」
ぐすっと、メリアが鼻をすする。その目にはいっぱい涙を溜めて。つ、とその一雫がメリアの白い頬を流れ落ちる。
「メリア……」
それは初めて見るメリアの涙だった。
「ごめん……メリア……」
夢中でメリアの自分よりもずっと細い肩を抱き返した。そんなに心配をかけていたとは思っていなくて。それが余計にすまなく思えて。
改めて、メリアが普通の女の子なのだと思い知らされた気がした。
「ですが、よかったですね、見つかって」
と、そこへほほ笑みを浮かべながらこちらに向かってきたのが、長い黒髪を背で緩く束ねた背の高い男。北の方の人間なのだろうか、不思議な色合いの民族衣装のようなものを着ている。
その男の姿を見て、メリアが慌ててユイスから離れた。涙を拭って微かに頬を赤らめる。
続いてユイスも立ち上がって、その光景にあれ、と、首をかしげた。何か、メリアの様子がおかしい。いつものメリアとは違う気がする。ただ何が違うのかは、いまいちユイスにはよく分からなかったが。
「ヴァシルさん、本当にありがとうございました」
仕切りにユイスが首を傾げる中、メリアが男に向かって礼を述べた。そのメリアの言葉に、彼がヴァシル=クロフォードなのだとようやく気付く。思っていたよりもずいぶんと若くて、意外。それなりの商人だというからにはもっと年配の人間を想像していたのだが、これでは自分たちと十も違わないだろうと思える。世の中にはわかくて実績もあって、そのうえ心の広い人物がいるのだと、素直にユイスは感激した。
そのヴァシルが、メリアからユイスに視線を移す。
目が合って、どきっと胸を突かれた。同性でも目を奪われるほどの美男子。かぁーっと一気に顔に血が上った。
「君が、ユイス君だね。道々アルスから話は聞いただろうが、私がヴァシル=クロフォードだ」
自ら名乗って、ヴァシルがユイスに手を差し出す。一瞬何のことか分からなくて手と彼の顔を見比べてしまい、ヴァシルが苦笑した。
「握手は嫌いかい?」
その言葉にまたまた血が上る。ヴァシルのような身分の高い人間からそんなものを求められたのは、初めてだった。
「い、いいんですか……?」
声も裏返って変な声。
しかしヴァシルは気にぜず手を差し延べてくる。メリアを見ても、なんだか応援するような意気込み。
それに押されて、ユイスはヴァシルにおずおずと手を差し出した。
しっかりと二人の手が握り合わされる。ヴァシルの手は思ったよりもひんやりと冷たかった。それに冷やされて熱が引いていく。
手を離すと、ユイスはほっと息をついた。代わりにできるかぎりの笑みを浮かべて、ヴァシルの顔を見上げた。
目の前にヴァシルの深い闇の色の瞳。じっとその瞳に見つめられる。その黒い闇の色の瞳に引き込まれそうになる。包み、込まれる。
「やはり双子というだけあってレイスをよく似ている…」
はっと、その言葉に我に返った。引き込まれるように感じるほど、ヴァシルに見とれていたなんて、自分で思って恥ずかしくなって顔を伏せた。また顔が赤く染まる。それを見てヴァシルが楽しそうに声をたてて笑った。
「とにかく、このような所ではなんですから、中へ。ユイス君の手当てもしないと行けませんしね。そうだ、レイスお前が連れていってあげなさい。ああ、ついでに手当ての方もしてやるといいだろう」
そのヴァシルの台詞に、え、と思うと同時、レイスがユイスに近付いてくる。ヴァシルがどこか悪戯をする子供のように片目をつむってみせた。ヴァシルが自分とレイスのために気を遣ってくれたのだと分かった。
レイスがユイスに手を差し延べる。ためらいつつも、その手を取ろうとして。
ふとレイスの手が自分の手をすり抜け、自分の肩へ。
一瞬反応が遅れる。気が付いたときには体は浮いていた。
「え、ちょ、レイ!?」
レイスの腕に抱えられる。しかも女性が男性に結婚式などで抱き抱えられる、いわゆるお姫様抱っこというやつ。
あらあらと、やけにおばさんくさいメリアのからかうような視線が、背中に突き刺さった。かぁーっと顔に血が上る。
「や、やだ、レイ、下ろしてよ。自分で歩けるからっ」
じたばたと足掻いてみても、レイスは顔色一つ変えずにすたすたと歩いていく。体格は同じくらいなのに全く重みすら感じていないように。
助けを求めて視線を巡らしてみても、ヴァシルは満足そうな笑みを浮かべて手を振り、アルスはいろんな意味を含めたような笑みを口元に浮かべながら、お大事にと見送ってまでくれただけだった。
「ちょっ、待ってってばぁ〜っっ!!」
半泣きになりながら、ユイスは先にレイスに連れられて館の中へと入っていった。