遼州戦記 播州愚連隊
そう言って背を向けた醍醐を伸びをするようにして昌重が見つめた。一斉に歓喜の表情で参謀達は哀れな昌重を見つめた。
「司令!それは残念ながら……」
処断の声が上がる前に叫ぶ声があった。その声の主を探そうと振り向いた醍醐の視界に参謀の一人、馬加資胤(まくわりすけたね)中佐の凡庸な顔が浮かんでいた。
「なんだよ。君等の結論は顔を見れば分かるよ」
「そうですが、この戦いの意味を考えれば一時の感情に流されるのは得策ではありません」
慎重に言葉を選びながら馬加はそのまま言葉を続けようとする。周りの指揮官はその馬加に苛立ちの視線を向けていた。
「これは胡州の内部での私闘だ。戦争法規なんて無視してもいいんじゃないか?」
「いえ、だからこそ守るべきものが戦争法規なんです」
醍醐の言葉をさえぎり馬加が叫ぶ。その声に再び参謀達は馬加にいきり立つような顔を向けた。
「彼はあくまで池准将の意思を伝えに来た。その時点で彼は保護されなければならない。もし彼に危害が加えられれば少数とはいえ池さんの部隊は復讐に燃えて襲い掛かってくる。それにたとえ第三艦隊が我々の支援が無くても勝利できたとしても陸軍は感情で動く馬鹿ばかりというレッテルを貼られることになる……あんまり歓迎すべきことではないんじゃないでしょうか」
そんな馬加の言葉にしばらく醍醐は沈黙しながら熟考を始めた。
「そうだ。池中佐」
つぶやくように静かに漏れた醍醐の言葉に昌重は伸びをした。
「あのトレーラーの面々は俺に引き取ってもらうためにつれてきたんだな?」
醍醐の言葉に静かに昌重は頷いた。
「死ぬのは池の一族郎党だけで十分ですから。それにその連中にも後に続いて国を支えて欲しい人物も多い。ですから彼らを無理に眠らせて連れてきました」
「そうか……」
再び考え込むようにして昌重に背を向ける醍醐。
「司令……ご決断を」
隻眼の参謀が急かす。その言葉に馬加は静かに醍醐を見上げた。
「さすがに君を父親の元に返すわけには行かないな……」
醍醐はそのままでつぶやく。参謀達は歓喜の目で昌重をにらみつけた。
「では、せめて最期は切腹することをお許しいただきたい」
昌重は覚悟を決めたようにつぶやく。テントの上空を飛ぶ反重力パルスエンジンの独特の爆音が響き渡る。その不可思議な雰囲気に思わず醍醐は振り向きざまにニヤリと笑った。
「それもできないな。今は25世紀だぞ」
そう行って醍醐はそのまま隣に置かれていた軍刀を手に昌重に歩み寄った。参謀の誰もがそれが抜き放たれて昌重に突き立てられるだろうと目をそむけた。
醍醐は昌重の隣で剣を抜くとその刃紋をゆっくりと眺めた。上品に輝いてはいるが、新刀であり一人として人を切ったことの無い澄み切った刀身がテントを照らすライトにゆれる。
「覚悟はいいかね」
そんな醍醐の言葉に大きく頷く昌重。醍醐は大きく軍刀を振り上げて昌重の首を撃ち落そうと構えた。
静寂があたりを包む。振り上げられた刀が下ろされる時間を待つ。
「どうぞ」
沈黙に耐えられずに昌重は首を伸ばした。そしてまた沈黙が支配する。
「いい覚悟だな」
醍醐はそう言うと剣をおろした。周りの参謀達がざわめく。命を捨てるものだと目をつぶっていた昌重は驚いたように隣に立つ醍醐を見上げた。
「その度胸。買うのも良いものだな」
そう言うと醍醐は剣を鞘に収めて再び上座に戻ってしまった。その急な行動に昌重も参謀達もあっけに取られた。
「なぜ……こいつを帰すんですか!」
参謀の一人、はげた頭の佐官がそう叫ぶ。だが椅子に腰掛けた醍醐はまるで返答をするつもりは無いと言うように首をひねる。
「これでいいんですね。それでは……」
馬加がそう言って立ち上がろうとするのを醍醐が制するように右手を上げる。
「こいつを池の野郎に返すとは一言も言ってないぞ」
「ですが……」
「返すつもりはない」
思惑が読めないというように馬加は不満そうな顔で席に座った。
「昌重。お前はここで戦いのすべてを見ろ」
醍醐の突然の言葉に参謀達ばかりでなく当の昌重も驚きの表情で醍醐を見た。そこには真剣そのものの醍醐がいた。一部の笑みもその顔には無かった。
「この戦いがいかに無駄か。この戦いがどれほど役に立たないものか良く知る義務が貴様にはある。あくまで最後まで。どちらが勝つにしろここの施設のすべての情報を手に入れてもかまわない。すべてを知って戦いの終わりまで生き抜け。それが貴様の義務だ」
そう吐き捨てるように言い切ると醍醐は立ち上がって奥の天幕へと消えていった。参謀達もあっけに取られながら醍醐の決定には逆らうこともできずに渋々昌重をにらみつけながら天幕を出て行った。
「俺は……」
呆然とする昌重。そんな彼の肩を馬加は優しく叩いて立ち上がるように促す。
「そういうわけだ、こちらに来てもらうぞ」
ただ一人笑みを浮かべる馬加につれられて昌重も会議場を後にした。
動乱群像録 53
第三艦隊旗艦『播磨』の明かりの消えた食堂。三人の男がテーブルを囲んでいた。
「明日からは飲めないからな……」
別所晋一はそう言うと一升瓶を持ち上げてその瓶を覆う白い包装紙を静かに引き裂いた。
「生一本か……楽しみやな」
そう言ったのは三人の中でも群を抜いた巨漢の明石清海。そしてその手に湯飲みを手渡しながら小柄な魚住雅吉がニヤニヤと笑っている。
「笑いを浮かべるとは余裕だな。安東さんはでっかい壁だぞ」
別所はそのまま湯飲みを差し出してきた魚住に酒を注いだ。
「そりゃあそうだが、出会うとは限らないだろ?ムカデのエンブレムを見たらとりあえずお前等に任せるよ」
そう言うと魚住は乾杯もせずに酒をすする。
「そないに急がんでも……それにええのんか?ワシがその手柄いただきたいんやけど」
独特のアクセントでそのグローブのような大きな手で湯飲みを握れば明石はまるで猪口でちびちびと酒を飲んでいるようにも見えた。
「二人とも単純だな」
別所はそのまま自分の湯飲みに酒を注ぐと一口舐める。そして目の前にあるラッキョウの漬物を手に取ると口の中に放り込んだ。
「単純やて……そやな。安東はんの生徒達。あいつ等の塗装も恐らくムカデの絵が描かれることになるんちゃうかなあ」
「何でそんなことをするんだ?」
いまいち事情が分からず魚住が二人を見つめる。別所は大きくため息をついて心を静めるために酒を口に含んだ。
「安東大佐の機体の色を知らないパイロットはこの艦隊にはいないだろ?もしパイロットが別人でもあの派手なムカデの文様を見れば安東大佐の機体だと思ってこっちは混乱する。昔から良くある手だよ」
「ああ、それくらいのことはしてくるだろうからな」
納得がいったというように頷くと魚住は静かに酒を飲み始めた。
「しかし皮肉なもんだな……」
すでに一杯飲みきった別所が一升瓶に手を伸ばす。甘みと粘り気のある大吟醸酒がそっけない湯飲みに注がれるのは少しばかり残念に思う明石だが、今の時点でそんなことを口に出す気はさらさらなかった。
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直