遼州戦記 播州愚連隊
廊下を歩く。明石の巨体は目立つので旗艦『播磨』で彼のことを知らない人物はいない。通りすがる艦船クルーの敬礼を受け流しながら少し離れたシャワー室に向かった。
「隊長!お先失礼します!」
すでにシャワーを終えた部下達の最後の一人が声をかけてきた。
「ああ……すまんが着替え持ってきてくれへんかな?執務室のテーブルの上にあるさかい」
「了解しました!」
明るい声で新人パイロットの中でも有望な小柄な曹長が走り去っていく。明石はそれを見送ると湯気に煙るシャワー室に入った。シャワー室は半分が改装中で使用ができなかった。先の大戦で明石くらいの年齢の男性は人口に占める割合が極端に低下していた。事実男子のみの入学資格だった高等予科学校はすでに共学化されている。ブリッジクルーには三人の女性士官がいた。そして中隊長付きの従卒として正親町三条楓曹長が明石に着いていたことからもシャワー室の半分を女性用にしようという軍の方針も理解できることだった。
「貴族……か……」
パイロットスーツを脱いでシャワーの湯が頭から流れ下るのを感じながら目を閉じて明石は考える。
寺社貴族の次男坊として生まれた自分。そしてそのまま貴族の誇りなどを教え込まれてその体制を守るために身をなげうつつもりで飛び込んだ特攻隊。だが出撃を待たずに終戦を迎え、居場所を求めて闇屋になった。多くの付き合いある平民上がりの闇屋は現金しか信用しなかった。その時には定期的に貴族年金が下りる明石はその現金を使ってきわめて有利な条件で物資を仕入れ、法外な値段で食うや食わずの人々から金をむしりとることに平然としていられた。自然とそのうまい取引作法と特攻崩れの度胸のよさを買われて闇屋の元締めの片腕になったのも半分はその貴族の特権があったからだった。
目に染みるボディーソープで剃り揚げられた頭を洗いながらそんな時代を思い出してつい噴出してしまった明石。
所詮どこまで言っても貴族制が崩壊しない限り自分の値打ちにはその貴族だからと言うやっかみが付きまとうことになる。兄嫁や実家の寺の面々に古い制度に従って頭を下げて生きるのが嫌で実家を飛び出したはずが結局頼っている根源が貴族と言う肩書きだったことに気づいて明石はどうにも情けない気分になった。
「ワシがワシであるために戦わなあかんのやな」
自分自身に言い聞かせるようにして明石は頭から熱い湯を景気良くかぶっていた。
動乱群像録 51
「おう!よろしく頼むぞ」
池幸重は次男の昌重の肩を叩いた。
南極基地警備部隊は全軍を基地から外の市街地に移動していた。市民は包囲する醍醐の民派に時間稼ぎをして何とか脱出させた。そして昌重には負傷したものや新婚の兵士達をホバーに乗せてそのまま醍醐の本部へと向かわせる予定になっていた。
「しかし父上、いいのですか?」
息子の頬が震えていることにすぐに幸重は気がついたが、肩をもう一度叩いて落ち着かせるべく腰をかがめてひざ立ちで頭を下げている昌重に顔を近づける。
「俺の我侭だ。それに貴様を付き合わせるわけにはいかんな」
そう言うと立ち上がり大きく息をする。司令部の仮設テントには緊張した空気が走り、池親子を見守る部下達の姿が見えた。
「醍醐と俺。どっちが戦上手か知りたいだけだ。別にどちらが勝とうがこの動乱の主流とはならないだろうからな」
幸重はそう言って懐から扇子を取り出す。耐寒装備の充実したテントとはいえ、零下の世界。誰もが震えている中、一人扇子で仰いでみせる父の姿に昌重は涙を浮かべた。
「なんて顔をしているんだ。ここまで醍醐の奴を足止めすれば十分なんだ。あとは俺と醍醐の勝負と言うわけだからな……貴様等もいいんだぞ!抜けたい奴は今のうちだ!」
周りを見回して幸重が叫ぶ。誰もが苦笑いで老将の言葉に耳も貸さずに計器の設定作業を続けている。
「見ての通り。俺達の意地という奴を見せるまでは死ねないってことだ。あいつには良く言い聞かせておいてくれ」
満面の笑みの父を見ると昌重は仕方が無いと言うように立ち上がる。
「元気でな!あと家内の世話も頼むぞ」
昌重は何度も振り返りながらテントから出て行く息子を見送る。
「さて、俺の戦争と言う奴を醍醐の野郎に見せてやろうじゃないか」
そう言って扇子を叩くとそのまま幕僚達が待ち構えている会議室へと足早に去る池幸重だった。
動乱群像録 52
「やはりそうか」
参謀達が今にも下手の椅子に座っている池昌重中佐を斬り殺さんばかりの雰囲気のなかで静かに醍醐文隆准将はつぶやいた。
「意外に平然とお答えになるんですね。予想はしていましたか?」
怒りが殺意にまで達している一同を涼しい顔で眺める昌重。
南極防衛部隊が基地施設の放棄を始めた時点である程度醍醐は同僚として付き合いの長い池幸重がそのまま市街地に立てこもって徹底抗戦をすることは読めていた。部下達が避難民の誘導を頼まれたのはその為の準備と思っていたが聞き流してそのままにしていた。
そして今日、降伏の期限とされた日には池は使者として次男の昌重とトラック一杯の催眠剤で眠らされた兵士と負傷した兵士を満載したトレーラーを醍醐の駐屯している南極基地から30kmの地点まで送り届けた時点で今の部下達の血走った目が見られることは予想していた。
『醍醐はアフリカでは英雄と扱われたそうだが胡州ではどうなのか俺の部隊で試させてくれ』
そう言う言葉を池が吐いたとしても醍醐は不思議には思わなかった。
先の大戦では西園寺恩顧の陸軍幹部として激戦地をたらいまわしにされた醍醐とは違って、池は胡州軌道上の警備などのぬるい任務ばかりを任されていた。開戦を当然と口にしていた烏丸卿に目をかけられて安全な任務についていた池が何度も最前線への出動を志願したという話は醍醐も何度も聞かされていた。
そしてその遺伝子を継いだ息子の殺気立つ上級士官達を歯牙にもかけないような風貌に醍醐は大いに興味を引かれた。
「昌重君。あれかな?池は君にこの場で死んで来いと言ったのかね?」
もう笑みしか醍醐の表情には浮かぶものは無かった。
「いいえ、醍醐の奴はどこまでも勝負師だから貴様が基地に戻って指揮を始めるまで攻撃はしてこないだろう……と言われましたが」
そう答えた昌重の涼しい表情。醍醐の隣の隻眼の士官も奥歯を噛み締めて怒りをどうにか静めようと必死だった。
「それは面白い話だな」
醍醐は周りを見回す。昌重が言葉を口にするたびに参謀達の怒りは増していくのが良く分かる。だが醍醐は一人面白そうに身を乗り出してまじまじと昌重の姿を見つめた。
「だが俺は指揮官でもある……この意味は分かるだろ?」
醍醐はそう言って怒りに震える参謀達を眺める。彼等は笑みを浮かべる醍醐を見て大きく頷いた。さすがの昌重も極地の寒さで震えるどころか額に浮かぶ汗をぬぐった。
「それも……当然ですね」
さすがにその声は震えている。それを聞いて醍醐は満足げに立ち上がった。
「諸君!池の息子の処遇は君達に任せたいと思うのだが……」
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直