遼州戦記 播州愚連隊
誘いのつもりで秋田の吐いた言葉に指揮官達はざわめいた。だが烏丸は表情を変えない。そのままテーブルの上のコップの水を飲み干すと静かに話しはじめた。
「君達にも聞いてもらいたい!我々は強い!」
烏丸の言葉にそれまでささやきあっていた司令達の視線は彼に集中した。
「確かに第三艦隊司令の赤松君は実績を上げたことになっている。だがそれは数隻の護衛艦隊の指揮官としての話だ。大艦隊を指揮しての戦いでは……難しい惑星降下作戦を指揮してきた我々に分があるのを忘れてもらっては困る」
そこまで言うと目を合わせていた指揮官達の顔に余裕の笑みが浮かんできた。
「アステロイドベルトに寄って目くらましに走ると言うのもその自信の無さの表れだ。もし彼が絶対に負けないと言う信念を持っているなら正面からかかってくるはずだ」
そこまで来て数人の指揮官がまばらな拍手をした。それに酔うように烏丸の言葉は続く。
「そして何より我々の保有するアサルト・モジュールの数が違う。二式を中心に390機。そして支援攻撃機も赤松君の部隊の二倍は超える」
数字を出されるとさすがに自信がなさそうな表情を浮かべていた指揮官達もお互いに励ましあうように歓喜の呟きをもらし始めた。
「つまり我々は勝てる戦いにでるんだ。たとえ佐賀君の部隊が動かなくても十分勝算はある。がたがた騒いだところで赤松君には勝ち目が無いんだ」
そう言ってから一口水を口に含むと烏丸は椅子に腰掛けた。まばらだった拍手が大きくなっていく。その有様に上座の清原まで熱心に拍手を始めた。そして感動の涙を流しながら立ち上がると全員の視線を浴びながら満足げに頷く。
「諸君!我々は勝利に向けて進んでいる」
そこで再び拍手が巻き起こった。だが一人秋田だけは拍手をすることは無く冷徹な目で熱狂する同僚達を眺めていた。そのまま静かにコップに口をつけ、それぞれの指揮官達の表情の変化を観察し続けていた。
『佐賀さんが来ないとなればうなだれて、烏丸さんがその存在を無視して数を上げれば喜んで尻尾を振るか……』
秋田の表情を歓喜の渦に飲み込まれた同僚達は見向きもしなかった。
「これは決まったな」
ふとつぶやいて周りを見回したが清原が始めた演説に夢中の同僚達は秋田の言葉に耳を貸してはいないようだった。
動乱群像録 50
「それでは隊長、ありがとうございました!」
明石の巨体を見上げて敬礼した部下達はそのままシミュレータ訓練場を後にした。のんびりとパイロットスーツのまま椅子に腰掛ける明石だが、そんなリラックスした彼の顔の横にスポーツドリンク入りのカップが差し出された。
「なんだ、別所やん」
そう言うと明石は差し出されたカップを受け取り唇を浸す。
「なんだは無いだろ。正親町三条の奴は解放されてそのまま帝都に向かっているそうだ」
作業着姿の別所は明石の隣に腰掛けゆっくりと自分のためのコーヒーを啜る。
「それにしても……アステロイドベルトに到達できたのは幸いだな。この量のデブリなら清原さんの所の海軍艦艇のロングレンジの攻撃はほとんど意味が無い」
「そないなことワイもわかっとる」
安心したような笑みの二人。明石の部下達も消え、部屋は電力消費量の調整のため二段階ほど暗くなった。
「その顔。なんかまた企んどるな……」
別所の顔を見るとついそんなことを言ってしまう。明石が身を持ち崩して闇屋で発砲事件などを起こしている間に別所は医師免許を取るだけでなく軍隊と言う組織で生きる多くの知恵を身につけている事実は明石も認めていた。そんな世に『播州侯の懐刀』と呼ばれる別所がただの茶飲み話に疲れている明石を誘うわけが無いことは良く理解できた。
「どうやら佐賀さんが寝返るらしい」
突然の別所の言葉に明石は口にしていたスポーツ飲料を吹いた。そしてそのまままじめな表情の別所に顔を向ける。
「おい、おい、おい!そないなことワシにしゃべってもええのんか?」
「お前の部隊はたぶん前衛に展開することになるだろうからな。下手に佐賀さんの部隊を叩いて味方を減らすようなまねをされたら困るだろ?」
そこで別所は初めて笑みを浮かべた。そしてそのまま静かにコーヒーを啜る。ブラックのコーヒーの苦味に別所は一度顔をしかめるとそのままシミュレータの機械の並ぶ部屋の周りを見回した。
「知っとるのは赤松の親父とワレくらいやろな。でも何で佐賀の旦那が……弟の醍醐はんとは犬猿の仲やし、主君のあの気まぐれな皇帝陛下とはこちらも不仲で知られとる。それに大嫌いな姪の楓もワシの部下なんやで、寝返る理由がなんかあるんやろか……」
明石はそういいながら剃り上げられた頭を叩きながら隣に座っている別所を見下ろした。
「ふー。何から説明したほうがいいかな」
懐疑的な顔の明石を説得する切り札を探そうと別所は明石の頭からつま先まで満遍なく眺める。
「説明もなにも……確かに佐賀さんの動きが鈍いのはわかっとるけどなあ」
「それで十分じゃないかな」
明石の言葉に糸口を見つけたと言うように口を開いた別所。その言葉にしばらく明石はぽかんとしていた。
「十分?」
「そうだ。佐賀さんの狙いは今は遼南皇帝をしている殿上嵯峨家の家督だ。別に清原さんのように貴族主義がどうのと言うような思想で動いているわけじゃない。今回の戦いでどちらが勝とうがどんな政権ができようが狙いが果たされなきゃ意味が無いんだ。たとえ俺達が勝って西園寺公が政権に復帰しても殿上嵯峨家が継げれば万事解決。もしかしたら全軍率いて俺達とぶつかって勢力をそがれるくらいならそちらの方が楽だともいえるな」
「楽って……貴族の権限は制限されるやろが」
「それは烏丸派が勝っても同じだよ。醍醐さんが西園寺派にいた限りその兄としての監督責任を烏丸公が問わないわけが無い。烏丸さんはそういう血縁的なものを絶対視するところがあるからな。清原さんが口ぞえしてもたぶん限度があるだろう」
別所の言葉に頷きながらそれでも明石には腑に落ちないところがあった。
「ならなんで清原はんを最初に受け入れたんやろなあ?あそこでけりがついとったらワシ等も楽できたやないか」
「そりゃあその時点では西園寺派からの接触がまだだったと言うことだろうな。貴族の尊厳を守ると宣言している清原さん達の方がくみしやすかった。そういうわけじゃないのかな」
別所の言葉にもまだ明石は得心できないと言うように首をかしげる。
「恐らく佐賀さんが迷い始めたのはそれから後のことだ。事実、現在この位置から最大船速で三日の距離にたどり着いてから二日間。佐賀さんの艦隊は動いていない。その間に誰かがあの御仁の耳元でこちらについたほうが得だとささやきかけた。そして佐賀さんもそう読んで動かなくなった。それが事実じゃないかな」
推し量って物事を述べる時に別所はあごの辺りに手を寄せる癖がある。その癖を大学野球の時に見抜いていたことを思い出しながら明石はようやく納得したように立ち上がった。
「それなら何とか勝負になるやろな。シャワーでも使わせてもらうわ」
そう言って明石はそのまま椅子に座っている別所を置いてシミュレータの並ぶ訓練施設を出て行った。
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直