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遼州戦記 播州愚連隊

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 別所の言葉に明石も片ひざをついた。西園寺基義の妻康子の噂は明石も時たま耳にすることがあった。遼南貴族の出で、その人となりは天真爛漫。その奇行で周りを惑わす。どれも四大公の筆頭の妻女としては疑問に感じる行動にただ西園寺基義と言う切れ者が相当な物好きだと思う以外の感想は明石には無かった。だが、明石は槍に自信があるところから目の前の康子が相当な薙刀の達人であることだけは一目で見抜くことが出来た。
 薙刀にしろ槍にしろ。どちらも弱点は間合いの中に入られることにある。そうすれば短い剣に抗することは難しい。だが、じりじりと迫る娘の要の間合いから、ぎりぎりのところまで来ると素早く下がり、回り込む。娘の要が隙を突くべくにじり寄るタイミングをずらして迫るのだが、それを見越したように絶妙な間で回り込んでいた。
『これは……康子様が勝つな』 
 そう思った瞬間、待ちきれずに要が上段に構えた木刀を持って一挙に切り込んだ。しかし、それは軽くかわされ、振り下ろされた薙刀が要の背中に打ち込まれる。
「これは!」 
 思わず立ち上がった明石を別所が止める。
「ああ、晋一君。見てたの?」 
 まるで調子の狂うのんびりとした言葉に明石の力が抜けた。
「康子様。ご機嫌……」 
「何よ!晋一君たら。照れちゃって!それとそこのお坊さんは?」 
 背中をさすっている娘の要の肩を叩きながら満面の笑顔で康子は頭を垂れている明石に目をやった。
「ああ、明石清海(あかしきよみ)言います。娘さん……大丈夫ですか?」 
「大丈夫よね!」 
 明るくたすき掛けをした帯を緩めながら康子が叫ぶ。だが背中を打たれて倒れていた少女はしばらく膝に付いた砂を払っていて康子の問いに答えることは無かった。
「ほら大丈夫!」
「大丈夫に見えますか?お母様」 
 砂を払い終えて立ち上がる要。腕まくりをしているひじから先に筋のようなものが見える。
『そう言えば要様はサイボーグだったな』 
 明石は祖父を狙ったテロで瀕死の重傷を負い、体のほぼ90パーセント以上を失った事件の被害者、要のことを思い出していた。西園寺家は代々進歩派として知られ、いつも国粋主義的な勢力にとっては敵以外の何物でもなかった。多くの当主がテロで倒れ、子息は凶弾に倒れた。それでも先進的家風で常に政治の局面に関わり続ける一族の力に明石はただ感服しながらその次期当主の要の姿を眺めていた。
「サイボーグがそんなに珍しいですか?」 
 鋭い言葉を吐く要だが、闇市で無法者同士のやり取りを繰り返してきた明石にはかわいらしく感じられた。所詮は安全地帯にいた人間の目。いくら不良を気取ろうにもそんな自覚のない甘えがその目の奥に見て取れた。
「それでは自分達はこれで」 
 別所が頭を下げる・明石は二人が気になりながらもつれてきた別所の手前、一礼して稽古の場から去った。
「晩御飯は期待していいわよ!」 
 子供のように見える笑顔で康子は明石達を見送った。
 そのまま廊下は続く。そして池に囲まれたそれほど大きくない離れに着いたとき、再び別所はそのふすまの前でひざを突いた。
「別所、明石。入ります」 
 別所の声が静かな離れに響く。しかし何の反応も無かった。
「別所!明石!入ります!」 
 今度は力を入れて別所が叫んだ。
「聞こえてるよ!入りな!」 
 澄んだ声がふすまの向こうから聞こえる。それを合図に静々と別所はふすまを開いた。中でこの館の主、西園寺基義と一人の見慣れない男、そして上司の赤松忠満は目の前の碁盤を並んで見つめていた。
「ああ、無駄ですよ。そこの黒石。丸々死んでますから。また俺の勝ちですね」 
 どう見ても自分達より若い男が陸軍の制服を着て西園寺達の前に座っていた。静かにふすまを閉める明石。
「ああ、明石。お前は囲碁はわかるか?」 
 助けを求めるような調子で赤松が明石を呼ぶが、明石は首を振った。
「だめだめ!もうこうなったら挽回不可能ですよ。でもまあ兄貴もずいぶんとましになりましたね」 
 西園寺を兄貴と呼ぶ。そのことでその陸軍大佐が遼南皇帝にして胡州四大公の当主嵯峨惟基であることが分かり明石は当惑した。
「おう、忠さんのところの子飼いか?噂は聞いているって……確か、別所君とは会うのはこれで二回目か?」 
 嵯峨が盤面を見つめる西園寺を置いて明石達を振り向く。
「ご無沙汰しています。しかし……」 
「気にするなって!まあ気になるのも当然だな。ベルルカンに治安出動している部隊の指揮を取っているはずの俺がここにいるのがおかしいってんだろ?」 
 ニヤニヤと笑いながら当惑した顔をしているだろう自分達を見つめる青年将校に明石は振り回されているような感覚にとらわれていた。
「皇帝陛下が自ら軍を率いて同盟加盟を表明したカイリシアに……」 
「ああ、俺は大軍を指揮するのは苦手でね。どうせ部下任せになるからな。こうして胡州の動静を探っていた方がよっぽど建設的だろ?」 
 そう言うと隣においてあった徳利から酒をついで煽る。
「しかし、映像でもはっきりと見たんですけど」 
「ああ、あれは弟。親父が兄弟を100人以上こさえやがったからな。おかげであのくらいの望遠での映像なら区別がつかないのもいるわけだ」 
 嵯峨は笑いながら明石達を面白そうに眺めている。
「やっぱり駄目だな」 
 西園寺は相変わらず碁盤を見つめていたが諦めたようにそう言って嵯峨を見あげた。
「だから言ったじゃないですか。もうおしまいだって」 
 盤面を見つめていた赤松はようやく納得が言ったように隣に座りなおす。
「しかし、二人とも驚いていないとは……忠さんも良い部下がいるみたいだ」 
「十分驚いとるように見えるんやけど。それと新三(しんざ)のところの切れ者に比べたらどうにも。あの吉田とか言う傭兵崩れがおればワシも安心して部隊を留守にできるんやけどな」 
 そう言って隣に忘れられたように置かれた杯を取る赤松。
「新三なんて言ってもこいつ等に言っても分からねえよ。ああ、忠さんと俺は高等予科学校からの同窓でな」 
「本当にそれは何度も文句言いたい思うとったんやけど腐れ縁の間違いやぞ」 
 明石はそこであることを思い出した。
 『胡州高等予科学校』。先の大戦の終戦前まで貴族の教育機関のひとつとして開設されていた学校である。軍に進む子弟の早期教育を目的に設立され、軍幹部にはその出身者が多かった。特筆すべきところは成績優秀者は陸軍士官学校や海軍兵学校を経ずに直接陸軍大学、海軍大学の受験資格があると言うところだったが、その試験は過酷で数年に一人という合格実績だった。
 その数少ない合格者の一人が目の前の嵯峨だった。家柄も才能も優れた名将としていずれ彼が軍に重用されることになるのは当然の話と言えた。だが、その家柄ゆえに嵯峨は中央から追われることになったのは皮肉なものだった。
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直