遼州戦記 播州愚連隊
西園寺新三郎として四大公筆頭西園寺家の部屋住みだった彼が、ゲルパルトの名家シュトルベルク家の長女と結婚して中央政界から追放状態だった西園寺家に世の注目が集まると、軍は陸軍大学を出た彼を東和大使館付き武官として東都に送った。中尉待遇での花形デビューと言う体裁だが、事実は軍の中央から遠ざけることがその目的だった。事実その後も嵯峨は二度と軍の中央へ近づくことは無かった。
だが現在その胡州軍の中央と縁が薄いと言うことが嵯峨の優位に政治的状況が展開する可能性を秘めている。そう明石は見ていた。
元々嵯峨家の領邦には2億の民を抱えるコロニー群がある。全人口が八億に満たない胡州で図抜けた領邦とその人脈を使える嵯峨は未だ西園寺派や烏丸派とは一線を画して動くことが出来る状況にあった。彼の手足となる被官の陸軍の重鎮、醍醐文隆中将は西園寺家に近い立場とはいえ、三老の醍醐文隆の兄佐賀高家大将や池幸重(いけゆきしげ)准将などは烏丸派が勢力を持つ陸軍に会って中立を守っていた。
「二人とも俺がここにいるのは驚かなかったわけだ。だが、俺がなぜここにいるかは分かるか?」
いたずらをする子供のような瞳。明石は自分より一回り上の年であるはずの陸軍大佐の顔を見つめていた。
「それは先ほどおっしゃった……」
「それじゃあ子供の答えだ。胡州の動静をたどるなら部下や被官にやらせる方が良い。そうしないともし俺がそれだけの為にここにいるとばれたら奴等は自分達が信用されていないってことでへそを曲げるかも知れねえからな」
再び嵯峨は徳利を傾けた。
「じゃあ、お二人と協力して……」
そう言った別所に赤松が諦めたような視線を向ける。それも承知の上と言うようににやりと笑った別所が嵯峨の顔色を見ていた。
「保科公の健康やないですか?嵯峨大佐がにぎってはるのは」
明石は試しにそう言ってみた。西園寺と嵯峨の兄弟は顔色を変えなかったが、上司に当たる赤松が二人の顔色を見たところで明石は自分の問いが正解だったことに気づいた。
「良い目をしているよ。最近の保科さんの動き。明らかに目に付いてね。いろいろと調べたんだが、やはり相当悪いらしい。ただ血管がプッツンしてリハビリ中の大河内公爵とは違って消化器系の癌だがせいぜい延命が効く程度の対処しかできない。それも本人が断ったそうだがね」
今の胡州を支えている老人の死。一瞬で場が凍った。
「そして、兄貴に釘を刺しに来たわけだ」
しばらくの沈黙の後、嵯峨は兄の西園寺を見つめる。
「釘?何のことだ?」
そう言った西園寺に嵯峨は一通の手書きの書状をポケットから出して兄に渡す。
「もう少しこういうものは丁寧に扱えよ」
西園寺はすぐにそれを読みはじめるが、次第に目を嵯峨に向ける回数が増え始めた。
「まあ、池もまじめな男だからな。露骨に高家の領邦の半分を譲ると言われても俺にお伺いを立ててきやがる。困ったもんでしょ?」
嵯峨の言葉に読みかけの書状を放り投げた西園寺。それを拾った赤松は読まずにそれを畳んだ。
「じゃあ清原からの書類もあるやろ?」
赤松の言葉に今度は携帯端末を開いて文書を画面に表示する。そしてそれを西園寺と赤松。二人に見せる嵯峨。
「よく考えたもんだな。こちらでは嵯峨の直轄地まで切り取って池に差し出すと書いてあるぞ。新三、そんな予定はあるのか?」
半分笑うような調子で西園寺は画面から目を離して嵯峨の顔を覗き見た。
「なあに、西園寺派が倒れればそれに見合う領邦を俺に差し出すっていうつもりでしょ?清原さんは」
淡々と答える嵯峨。それを別所は冷たい目で見つめる。
「こんな紙切れが行きかっているとして今回の状況をどう運ぶおつもりですか」
怒りをこめた別所の言葉に白々しくおびえたふりをする嵯峨。
「怖い顔したってどうにもならないんだけどな。ただ烏丸さんや保科さんに会って分かったことは俺にゃあもう手を上げるしかねえってことだな」
そう言うと嵯峨は杯を干した。
「おい、お前がそないなこと言ったら……嵯峨家が終わるんちゃうか?」
赤松の言葉に悲しげな表情を作る嵯峨。それが本心からのものかは明石にも分からなかった。
「だってしょうがないだろ?この国の制度を根本から変えるにはどちらかが倒れるしか無いんだ。強力な指導体制により制度を根幹から変革することで国家の発展を目指す。これは俺もやったことだが人に勧めるつもりはないが、それ以外に今の胡州に選択の余地が無いことは理解しているつもりだよ……だがねえ……」
嵯峨はそう言うとタバコを取り出した。灰皿がこの屋敷に無いことを知っている別所が何か代わりのものを探そうとするが、嵯峨は手で押し止める。
「ああ、携帯灰皿を持ってるんだ。俺は昔から肩身の狭い愛煙家だからな」
そう言ってポケットから金属の小さな円盤を取り出す嵯峨。
「ああ、そうだ。貞坊には会ったのか?」
赤松の言葉にしばらく別所と明石は呆然とした。
「一般受けしない呼び方は止めとけよ。安東貞盛大佐殿だろ?会ったよ」
嵯峨の言葉に沈黙に包まれる。明石も黙り込んだ。赤松の妻が安東大佐の姉であり、安東の妻が赤松の妹。その複雑な事情を考えれば言葉を繰り出すのが難しかった。
「アイツは本当に融通が効かねえ奴だな。まあ昔からだけどな」
そう言ってしばらく考え事をしていた嵯峨。そこにふすまの外に人の気配を感じた。
「康子か?」
西園寺の声にふすまが開く。そこには下女が一人目の前にすき焼き鍋を置いてかしこまっていた。
「おう!待ってたんだ」
嵯峨の言葉に合わせるように変わった円盤を持った康子が現れる。
「あの、それ……」
「電熱器。知らないでしょ」
そう言う康子は非常にうれしそうに両手に持った電熱器を別所の前と夫の基義の前に置く。二人の女中は手にした鍋を康子の置いた電熱器に置き、その隣に肉の乗った皿を置いた。
「へえ、これが西園寺流のすき焼きですか」
別所はじっくりと鍋の中を見つめる。いまだ温まっていない割り下に浮かぶ春菊に目がひきつけられる。
「ちょっと時間がかかるのが困るのよね」
そう言いながら続けて入って来た女中から卵などを受け取る康子。
「要!あなたも来なさい!」
ふすまの外に座っていた西園寺要が遠慮がちに部屋に入ってくる。明石はその雰囲気に安心できるような感じを抱きながら見守っていた。
動乱群像録 7
西園寺家の会合から二ヶ月。少佐に昇進し中隊長に任命された明石には忙しい日々が待っていた。
第三艦隊のエース。人型兵器『アサルト・モジュール』胡州名称『特機』の新任部隊長。彼の部下達はみな若く、海軍兵学校の中途課程の学生ばかりなのが気になったが、逆にそれが裏の世界で生きてきた明石には新鮮で楽しい日々に感じられた。だが彼等を見るうちに次第に不安が芽生えてくるのもまた事実だった。
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直