遼州戦記 保安隊日乗 番外編
「やっぱり女将さんの料理はええのう。まあしばらくはこっちで年明けの査察の段取り考えなあかんからちょくちょく邪魔させてもらうわ」
そう言って明石は口の周りのあんこをぬぐうと立ち上がった。
「じゃあ邪魔したな」
明石が部屋を出たところで嫌な顔をして姿を消す。その先にいたのはアイシャ。
愛想笑いを浮かべながら当然のように部屋に入ってくる。アイシャはそのままポットに手を伸ばして、手にしていた美少年キャラが裸で絡み合うと言う誤解を招きかねない絵の描かれた自分の湯飲みに白湯を注いでいる。
「甘い!甘いわよ!」
白湯を飲んですぐにそう言うとアイシャは先ほどまで明石が座っていた丸椅子に腰掛けた。
「どうしたんだ?お前は甘いものは好きだろ?」
カウラはそう言いながら急須にお湯を入れる。アイシャはそれを奪い取ると湯飲みに茶を注いだ。
「何でも限度ってものがあるわよ……ああ、こっちにも女将さんからのがあったのね。でもこのくらいなら楽勝でしょ」
そう言って空の重箱を見つめるアイシャ。
「そうでもないぞ。隊長がへろへろになったからな」
カウラの言葉、頷く楓と渡辺。
「ああ、あの人は問題外よ。でも……さすがにねえ私もこれだけあると私でもお手上げだわ」
そう言いながらアイシャは手にした湯飲みを啜った。
「技術部の連中にも分けてやれば良いのに」
モニター越しに顔を出す楓。そんな彼女にアイシャは首を振る。
「だめよ、明華のお姉さんが許すわけないじゃないの。ヨハン減量月間が発動してからは技術部とマリアの姐御の警備部は勤務時間中の間食禁止令が出ているじゃない」
先日の健康診断で技術部一の巨漢のヨハン・シュペルター技術中尉以下三人の血糖値異常のの結果が届いた。それをを見た明華は警備部部長マリア・シュバーキナ少佐と組んで技術部と警備部の勤務中の間食の禁止を指示していた。彼らは実働部隊や管理部の面々がスナック菓子を頬張るのを指をくわえてみているだけだった。
特に空気を読まないシャムはハンガーでアイスキャンディーを食べながら歩くなど無自覚な挑発行為をして技術部整備班長の島田が吉田にシャムの監視を強化するように申し入れをしていたのは先週の昼時のことだった。
「ああ、許大佐は……一度決めたら結構そう言うところは締めるからな」
そう言いながら明らかに無理そうな顔をしながらおはぎを飲み下すカウラ。アイシャはと言えば先ほどまで嫌がっていたはずなのにおはぎの最後の一つを手にとって頬張っている。
「それにしてもいつここまで仕上げたんですか、台本」
誠は渡されていた台本とかなり違う台詞や演技を思い出してアイシャを見つめた。
「ああ、昨日の晩に吉田さんと煮詰めたから。まあシャムちゃんは注文つけるだけつけたらとっとと寝ちゃったけどね」
そう言いながら笑っているアイシャに疲労の色は見えない。
元々戦闘用に遺伝子を操作して作られたアイシャ達の体力は普通の人間のそれとは明らかに違った。事実スポーツ選手で活躍している彼女達の同胞は男女の区別のないカテゴリーのスポーツで記録を次々と書き換えていた。
「お待たせしました!」
再び入ってくる西とレベッカ。二人はそのままビニール袋を楓と渡辺に差し出す。
「ご苦労さん」
そう言って楓はすぐにプラスティックの容器にうどんを入れたぶっ掛けうどんに手を伸ばした。
「よく食べるわね。うちのところじゃシャムちゃんと小夏ちゃんだけよ、弁当頼んだの」
そう言いながらアイシャはうどんのふたを開けて中から汁を取り出している楓を驚いたように見つめている。
「午後のランニングがあるからな。クラウゼ少佐も参加するか?」
楓は素早く割り箸を口でくわえて割り、そのまま汁と麺をなじませている。
「えーと、まあなんと言うか……遠慮しとくわ」
愛想笑いを浮かべてアイシャは茶を啜る。誠もカウラもそれに付き合うように湯飲みやカップに手を伸ばした。
「しかし、さっきはあのおはぎが全部なくなるとは思わなかったんですが……」
レベッカが感心したように三段の重箱のすべてに詰まっていたおはぎを食べつくした人々見つめている。
「シンプソン中尉、そこの弁当。ハンガーで待っている連中が居るんじゃないのか?」
そんなカウラの言葉に気がついたレベッカと西。
「それじゃあ……アイシャさん、用があったら呼んでくださいね」
「ああ、そこらへんは吉田さんの裁量なんでー」
出て行く二人にやる気のない手を振る。
「それじゃあ、私も戻ろうかな」
そう言って手に痛いカップを持って立ち上がるアイシャ。
「まあ、なんだ。がんばってくれ」
複雑な表情を浮かべるカウラ。誠もまたさわやかに手を振るアイシャをぼんやりと眺めながらカップのそこに沈んだ茶葉の濃いお茶を飲みこんだ。
突然魔法少女? 19
しばらくの沈黙。
腹の中がおはぎで満たされた誠は窓から注ぐ秋の柔らかな日差しを見ながらゆったりと伸びをした。安心できる冬のからりと晴れた青空が窓越しに心地よい日差しをくれた。隣の席ではカウラが頬杖を付いて端末のモニターをいじっている。
「ようやく静かになりましたね」
そう言いながら楓はうどんを啜っていた。
「でも嵯峨少佐は本当に麺類が好きですね。昨日はたぬき蕎麦……しかも冷やし」
話題を振った誠にうどんをかみ締めながら頷く楓。
「まあな、胡州軍では麺類は絶対に出ないからな……縁起が悪いんだそうな」
楓の語気が強くなる。渡辺も大きく頷く。
麺類と言えば遼南帝国と遼州星系では言われている。先の地球との大戦では戦闘中だろうが平気で戦闘をやめてうどんを茹でたと言う都市伝説があるほどうどんとの組み合わせで語られる遼南。その同盟国として苦戦を強いられた胡州軍にうどん禁止と言うような風潮があってもおかしくないと思いながら、乾いた笑いを浮かべて誠は消えている画面を戻そうとキーボードを叩いた。
まるで反応がなかった。
仕方なくリセットしてみる。それでも反応がない。
「モニターが切り替わらないのか?西園寺の奴が設定まで変更したとか」
焦ってぱちぱちとリセットボタンを押す誠の姿を見てカウラがそう言った。
「そうすると西園寺さんじゃないと直らないってことですか?」
泣きそうな顔でカウラを見つめる誠の目の前でカウラは大きく頷いた。
他に策はなかった。誠に仕事を頼んだのは嵯峨の長女で法術特捜本部の部長、嵯峨茜警視正。穏やかなお姫様らしい雰囲気とは正反対に厳格な上司である彼女が書類の提出期限を延ばしてくれることなど考えられなかった。
「じゃあ行ってきます」
そう言って誠は詰め所を後にした。
廊下に出ると相変わらずあの撮影をしている第四会議室の前では運行部の女性士官達が雑談をしていた。
「ああ、アイシャ来たよ。誠ちゃん、来たから!」
その中で明らかに一回り小さいシャムが、いつものように猫耳カチューシャをつけた状態で誠に手招きをしている。
「ナンバルゲニア中尉、一体……」
誠はそのまま急に歓迎ムードになった女性士官達の前をシャムに引っ張られて部屋に入った。
「おう、来たか」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 番外編 作家名:橋本 直