遼州戦記 保安隊日乗 番外編
「カウラ、最近騒がないのね」
部屋に入るとすぐに端末を占領してゲームを始めようとしたところをサラに止められて不機嫌そうにしていたアイシャがそう言いながら端末の電源を落す。カウラは最初のうちは野球部のミーティングをここでやろうとするアイシャや要を露骨に軽蔑するような目で見ていたが、今では慣れたというようにたまに山から崩れてきたエロゲーを表情も変えずに元に戻すくらいのことは平気でするようになっていた。
だが、この部屋に慣れていない住人も居た。
近くのマンションに暮らしているがこの部屋に入るのが今日がはじめてと言う嵯峨楓少佐と渡辺かなめ大尉だった。
「クラウゼ少佐。この部屋にはいくつこういうものがあるんだ?」
そう言って人妻もののエロゲーのパッケージをアイシャに見せる楓。照れながらちらちらとヌード写真が開かれたままになっている週刊誌に視線を向ける渡辺。
「楓ちゃん、なに硬くなってるのよ。仕事が終わったんだからアイシャでいいわよ」
そう言いながらパーラから渡された書類を並べるアイシャ。
「そうか、じゃあ僕のことも楓と呼び捨ててもらった方が気が楽なんだ。ちゃんづけは……」
そう言いながら要を見つめる楓に要は身をそらした。
「ああ、アタシのお袋か。まあ、あの生き物の前じゃ叔父貴も『新ちゃん』だからな」
そう言いながらすでに要の手にはラム酒の瓶が握られていた。誠は引きつる要の表情を見逃さなかった。噂に聞く西園寺康子。要の母にして嵯峨の戸籍上は姉、血縁では叔母に当たる人物。薙刀の名手として知られ、胡州に亡命した軟弱な廃帝と思われていた嵯峨を奸雄と呼ばれるまで鍛え上げた女傑だった。
「何持ってんのよ!」
アイシャの言葉に要はむきになったように瓶のふたを取るとラム酒をラッパ飲みした。
「どうせまともな会議なんてする気はねえんだろ?それにあちらは今はシャム達はあまさき屋でどんちゃん騒ぎしているみたいだぞ」
そう言うと要は珍しく自分から立ち上がって通信端末のところまで行くと襟元のジャックから通信ケーブルを端末に差し込んでモニターを起動させる。そこには時間を逆算するとまだ三十分も経っていないだろうというのに真っ赤な顔のレベッカにズボンを下ろされかけている西の姿があった。
「やばいな誠。脱ぎキャラがお前以外にも出てきたぞ」
ニヤニヤ笑いながら誠に飛びついてヘッドロックをかける要。130キロ近いサイボーグの体に体当たりを食らって誠は倒れこんだ。カウラはそれを見ながら苦虫を噛み潰すような表情でわざとらしくいつもは手も出さないエロゲーのパッケージを手にとって眺めている。
誠が何とか要を引き離して座りなおすと楓がいつ火がつくかわからないと言うような殺気を込めた視線を送ってくる。
「なるほどねえ。あっちが動いていないならこちらから何かを仕掛けるわけには行かないわね」
あっさりとそう言ったアイシャだが、この部屋に居る誰もがこのままでアイシャが終わらないと言うことは分かっていた。
「なに余裕ぶっこいてんだよ。なんか策でもあるのか?」
明らかに泥酔へと向かうようなペースでラム酒の瓶を空けようとしている要。だが、アイシャはただ微笑みながらその濃紺の長い髪を軽くかきあげて入り口の扉を見つめていた。
「まあね。今この場所に入りたくてしょうがない人がもうすぐ来るでしょうから」
「はあ?なんだそりゃ?」
要の言葉を聞くと誰もが同じ思いだった。アイシャが嵯峨や吉田に次ぐ食えない人物であることは保安隊の隊員なら誰もが知っている。この場の全員の意識がアイシャが見つめているドアに集中した。
ドアが少しだけ開いている。そしてその真ん中くらいに何かが動いているのが見えた。
「なんですか?もしかして……」
そう言いながら渡辺が扉を開いた。
「よう!元気か?」
わざとらしく入ってきたのは小さい姐御ことランだった。
「なあに?中佐殿もお仲間に入りたいの?」
つっけんどんに答えるアイシャだが、ランはにんまりと笑うと後ろに続く菰田達に合図した。彼らの手には大量のピザが乗っている。さらにビールやワイン。そしていつの間にかやってきたヨハンが大量の茹でたソーセージを手に現れた。
「なんだ。アタシも配属祝いでそれなりにもてなされたからな。その礼だ」
要やカウラの目が輝く。パーラはすでに一枚のシーフードビザを自分用に確保していた。
「すみませんねえ、中佐殿。で?」
アイシャは相変わらず無愛想にランを見つめる。
「そのー、なんだ。アタシ達も仲間に入れてくれって言うか……」
その小学校低学年の体型で下を向いて恥らう姿に、『ヒンヌー教』三使徒の一人で手にたくさん割り箸を握っていたソンが仰向けに倒れこんだ。周りの整備兵達がそれを引きずって外に出て行く、廊下で『萌えー!』と叫び続けるソン。だが隣ではもう一人の三使徒の一人ヤコブがコブシを握り締めてじっと誠をにらみつけてくる。それが明らかにカウラの隣に自然に座っている自分に向けられているのに気づいた誠は冷や汗をかきながら下を向いて目を背けた。
「なあにいつでも歓迎ですよ!コップとかは?」
「持って来てますよ!」
しなを作りながら落ち着かない誠の隣にコップを並べ始めるのはアンだったがそれを見てさらに一歩下がってしまう。
「神前先輩!一杯、僕の酒を飲んでください!」
大声で叫ぶアンだが、彼は数人を敵に回したことに気づいていなかった。
「どけ!」
そう言うとアンを張り飛ばしたのは要だった。そして誠の手のコップに珍しく自分のラム酒でなくビールを注いだ。
「これは飲めるだろ?」
満足げな表情を浮かべる要。そして誠がそのビールに目をやると、要は背後でビールを持って待機していたカウラを見つめる。明らかに失敗したと言う表情のカウラ。そして今度は要はアイシャを見つめた。
サラ、島田、ヨハンと言ったこの部屋に通いなれた面々が手際よく皿と箸とグラスを配っていく。
「みんな酒は行き渡ったかしら?」
あくまでも仕切ろうとするアイシャにつまらないと言った顔をする要は、必要も無いのにそれまでラッパ飲みしていたラム酒をグラスを手にしてなみなみと注いだ。
「えーと。まあどうでもいいや!とりあえず乾杯!」
アイシャのいい加減な音頭に乗って部屋中の隊員が乾杯を叫ぶ。
「まあぐっとやれよ。どうせ次がつかえてるんだろ?アンには悪いが順番と言うものがあってな」
ニヤニヤと笑いながらグラスを開けるべくビールを喉に流し込んでいる誠を見つめる要。そしてその隣にはいつの間にかビール瓶を持って次に誠に勺をしようと待ち構えるアイシャが居た。
「はい!誠ちゃん」
アイシャは誠の空になったグラスにビールを差し出す。
「オメー等……またこいつを潰す気か?」
本当に酒を飲んでいいのかと言いたくなるようなあどけない面立ちのランがうまそうにビールを飲みながらそう言った。見た目は幼く見えるが誠が知る限り女性士官では一番の年配者であるラン。先日要にビールを飲まされてからその魅力に取り付かれた彼女はすっかりビール党となり最近は変わったビールを取り寄せて振舞うのを趣味としていた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 番外編 作家名:橋本 直