珈琲日和 その3
手の平サイズの小さい透明なケースの中に更に小さい純金1グラムのプレートが虹色に煌めく天板の上にちょこんと嵌っていて、その上下には金色の文字で管轄名?とゴールド1グラムの表記があり、左右両方のふちには真ん中にピンクや緑の六家計型のシールが貼ってあります。とても綺麗です。
僕はギャンブルとはあまり相性が良くないらしく、滅多にピンクのシールの特殊景品をポケットに入れた事はありませんが緑のならよくありました。
「お、マスターこんなとこにいたんかい。どうだい。今日は俺ぁまあまあだな」
シゲさんが意気揚々とピンクと緑の特殊景品を幾つか持って自動ドアから出て来ました。
「いいじゃないですか。その特殊景品を拝めただけでも僕は充分ですよ」
「がっはっは!なーに言ってやがんでぃ。拝めるどころか見飽きる位になんなくっちゃーパチンコって奴ぁつまんねーもんだぜ!」
「そう言うものですかねぇ」
「そうそう!お。太郎のやろぅがおいでなすった。 おーい!太郎ー!」
向こうから肉付きの良いぽてっとした体にセンスの良い黒い服を着こなした長身の太郎さんが手を振りながら歩いて来ました。
その時、換金所の方から怒鳴り声が上がったのです。さっきの男が暴れているらしいのです。
太郎さんと僕達は驚いて成り行きを見守りました。
その男はどうやら換金が足りないと騒いでいるらしかったのです。が、しかしおばちゃんは伊達に換金所の仕事をしているだけあって全く動じず慣れた調子で淡々と対応していました。
「あたしゃ間違ってないよ。お前さんが出したのはこいつだろ?だからそれだけの額だ。違うって言うんなら店の景品交換所の人に聞いとくれ。ほら、次の客が並んでんだ。さっさと行った行った」
男は換金所のプレハブ小屋を一回蹴っ飛ばして店と違う方向に歩いて行きました。
「いんだよなぁ。あーゆーのが必ず1人や2人さ」
シゲさんが溜息混じりに呟きました。
「まぁ、気持ちがわからなくもないですが。。あんな事したところでどうにもならないでしょう」
オールバックで固まっている真っ黒の髪を後ろに撫で付けて太郎さんが事も無げに言いました。
「それでも腹が立ってるから誰かに当りたくなるんですわ。店のスタッフなんざ客からのそんな対応は日常茶飯事でさ」
「そうだろーなぁ。太郎っちもこの仕事結構長ぇんだから色々あったんじゃねーのかい?」
「まぁ、それなりになぁー。さっきの男は最近よく来るんだわ。毎回必ず因縁つけるもんだからたちが悪ぃ」
「気をつけて下さいよ。太郎さんはもうすぐお嬢さんのご婚礼なんですよね?」
太郎さんは、恰幅の良い顔に並んだ太い眉毛と鋭い目を垂れ提げました。
「そうなんだよマスター。どうしよう。俺、泣いちまうかもしんねぇ」
「ぶっはっはっは!泣くぜー!俺も大昔の娘の婚礼の時ゃ教会のバージンロードを歩いてるうちに泣いちまって娘に散々怒られた!」
「シゲさんにも娘さんいるんですね。」
「おう。かかぁが早くに生んで早くに嫁いだもんだから孫もデカくなってもうババァよ」
「シゲさんのおかみさんは別嬪だったから娘も美人だろうが?」
「ぴーぴーうるせーばっかりの小雀よ。太郎っちのとここそ海外留学してそこの大学を主席で卒業して更に向こうで婿まで見つけて上等じゃねーか」
太郎さんの顔色が少し曇ったのです。
「そうだなぁ。。」
「お? どうしてぃ?」
「いや何。父親がこんな汚ねー商売してんのをあいつは向こうの親に言うのが恥ずかしーんじゃねーかな」
僕は即反論しました。
「そんな事ないですよ!」
「太郎さんは一生懸命働いて一家を養っていたんです。しかも今じゃこんな立派な店まで持って。大した物じゃないですか。自信を持って下さいよ」
シゲさんが太郎さんの肩を軽く叩きました。
「ありがてぇな。なぁ太郎っち。マスターにそんな事言ってもらえるなんてな」
外見の割に涙もろい太郎さんは早くも目頭を押さえています。
「すまねぇなマスター。かたじけねぇ。。」
「太郎さん。まだ涙は早いですよ」
「マスターにも娘が出来りゃいいな。バージンロードだぜ。奥さんと張り切ってやってくんな」シゲさんが茶化してきました。
「いえ。。僕はどうでしょうね」
その時店の自動ドアが開いてスタッフの若い男の子が走ってきました。
「店長ー!機械の調子が悪いみたいですー!お願いしますー!!」
太郎さんはさっと立ち上がりました。さっきの顔とは打って変わってきりっとした店長の顔です。
「おう!わかった。今行く。 悪い。ちょっと俺行くわ。じゃあ又なマスター!」
太郎さんは僕ににやっと笑いかけました。
数日後、僕が習いたてのハーモニカーをお客様がいないのをいい事に一生懸命に吹き鳴らしていると太郎さんが入って来ました。
「お、マスター。いいの吹いてんじゃん。懐かしいなぁ」
「いらっしゃいませ。最近甥っ子に教えてもらってやり始めたんですよ」
「いいじゃねーか。俺も若い頃はクラシックギターを持ってて弾いたもんだ」
「渋いですねー。太郎さんに似合いますよ。そんなの見たら女の子なんて一発でしょう?」
「まぁな。今のかみさんはそれで射止めた」
太郎さんはにやっと笑いました。
「やりますねぇ。今日はどうしますか?」太郎さんは他の常連さん達と違って色んなメニューに挑戦するので特にこれと言って決まってなかったのです。
太郎さんはメニューをじっくり睨んでから、「今日はエスプレッソにしとくか」と言いました。
「かしこまりました」
僕は太郎さんの珈琲豆を配合して挽き始めました。太郎さんはバリエーションは変われどお気に入りの豆の配合は変えなかったのです。
「明日は娘の結婚式なんだよ。何とかの丘の何とかチャペルとか何とかだとさ」
「いよいよ明日ですかー。お婿さんは日本人なんですか?」
「否。イタリア人だ」
「イタリアですかー。洒落てますね。一回だけ旅行で行った事がありますよ」
「そうなのか? 俺は旅行ったら新婚旅行の熱海しか行った事ないんだ」
「良いとこですよ。お婿さんの親族も日本に来てくれるんですね。お店の事もあるし良かったじゃないですか」
「おう。そうなんだよ。日本に来た事がないからついでに観光もするんだと」
太郎さんは早くも緊張しているのかいつもより言葉が固かったのです。
「俺、イタリア語なんて全然わかんねぇんだ。娘は向こうは英語も話すから平気だって言うんだけど、英語だってわかんねぇんだ。今必死で覚えようとしてんだけど、もうろく頭になかなか染み込んで行かなくてな。。」太郎さんは溜息をつきました。
よく見ると太郎さんの脇に英会話だのイタリア語だののハンドブックが3冊程積まれていました。
「太郎さんは娘さんが大切で可愛くて仕方ないんでしょうね。本当に娘さん思いで」
「お、まぁな。俺は父親として当たり前の努力をしているだけだ。かみさんも娘も息子も俺にとっては自分より大切だからな」
「頭の下がる思いです」僕はエスプレッソを太郎さんの前に出しました。
太郎さんは一口飲んで、脇にあったハンドブックを一冊取って難しい顔をして眺め始めました。
僕は静かにモーツァルトをかけました。