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珈琲日和 その3

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じめじめした暑い夏の正午。
 僕の不始末で大量発生した小蠅に苛々していた。小蠅はすばしっこく飛び回り、しかも小さいものだからなかなか命中出来ない。
 僕は段々面倒臭くなって見て見ぬ振りをする事にした。だが、小蠅共は人をおちょくっているのか僕の目の前を飛び回るのだ。
 とうとう我慢出来なくなって殺虫スプレーを取り出した丁度その時、小太郎が軽やかに飛んで小蠅を捕えた。一度着地して小蠅を食べてから素早く次の蠅を捕獲した。
 そんな調子で小太郎は小蠅を次々始末して平らげていった。
 僕は目を見張りその様子を観察していた。
 小太郎はそんな僕には一向構わす、蠅に夢中だった。あらかた満腹になると小太郎は予め丸めた蠅団子を持ち、くりっとした黒い4つの目で頭を傾げて僕を見上げた。
 まるで、終わりましたよと言わんばかりに。
可愛いなぁ。。
 僕は砂糖水を作って小太郎の前に垂らしてやった。小太郎は待ってましたとばかりに飛びつき一生懸命砂糖水を飲んだ。そして任務の終わった小太郎は、更にゆっくりと食事をする為に蠅団子を抱えて壁の隅の方に移動して行った。
 蠅はかなり少なくなった。 ありがとう小太郎。
 僕は落ち着いて仕事を再開した。

 今日はトマトソースを作っていたのだ。
 小蠅に煩わされながらも、ようやく洗い終えたイタリアントマトを縦半分に切り、蔕を取り天板に並べてオーブンに入れる。その間に、ニンニクをフライパンで炒り香りを出し、そこにみじん切りにした玉葱を入れて一緒に飴色になるまで炒める。オーブンのトマトの皮が焦げ出したら取り出して皮を剥いて、飴色になったニンニクと玉葱に混ぜ込んで潰しながらローリエと白ワインを加えてよく煮込む。仕上げに塩と胡椒とバジルのみじん切りを加える。
 そんなに難しくはないのだが、僕はこのトマトソースが気に入っていた。
 鍋を掻き回しながら、ふと壁に貼ってあるカレンダーに目がいった。
あ、今日は・・・

 丁度その時店のドアが開いてパナマ帽をあみだに被ったシゲさんがのんびりした様子で入って来た。
「いらっしゃいませ。今日も暑いですね」
「おう。お、何作ってんだ?」
「トマトソースですよ。もう無いので」
「おう。そっかそっか。出来たら味見させてくれ」
「いいですよ。もう少し煮込んだら出来上がりですから。カフェオレ、アイスにしますか?」
「うーん・・そうだな。暑いしな。。そうしてくれや」
「かしこまりました」
「かしこまっちゃって。 あ、やっぱ熱いのに変えてくれ。間に合う?」
「大丈夫です。間に合いますよ。落ち着きませんか?」
「うーん。。まぁな。やっぱ定番の方が俺はしっくりくんだ」
「わかりました。ではホットカフェオレで」
「おう。ゆっくりでいいから」
 僕は珈琲豆をシゲさんの好みの配合で挽き始めた。
 トマトソースの方もそろそろ完成だった。あまり煮込み過ぎると甘みが強くなってしまう。
 僕は火を止め、小皿に少し取りシゲさんの前に出した。
「お味見をどうぞ」
 シゲさんは小皿を取り一気に口に流し込んだ。
「ん。 うん!美味い!」
 口の中で味わいながらシゲさんは笑った。
「さすがマスターだな。よし。俺は今日はその出来立てほやほやのトマトソースを使った飯を食う事にするかな。何が出来る?」
「やはり定番はトマトソースパスタですよ。個人的にですけど。丁度バジルと茄子もありますし。スパゲッティでいかがですか?」
「いいね。頼むわ」
「はい。では少しお待ち下さい」
 僕は出来上がったホットカフェオレをまず先に出してから、スパゲッティの調理にとりかかった。
 シゲさんは一度水を飲んでから、一口カフェオレを飲み持参した新聞を広げて眺め始めた。
 後ろの壁際で小太郎が又一跳ねして蠅を捕えていた。
 小太郎は肉眼で獲物を捕えるので時々ドジ踏んで失敗するのだが、大抵は見事に仕留めていた。今日は小太郎の絶好の食事と活動日和だった。
 しばらくすると、食い入る様に新聞とにらめっこをしていたシゲさんがふと顔を上げた。
「今日で、もう1年経っちまったんだな」
 僕は一瞬も目が離せないフライパンに熱い視線を注ぎながらせわしく動かして答えた。
「そうなんです。僕も情けない事についさっき気がつきまして」
「情けなかないだろう? よく飲みにいってた俺だって今気がついた。死んじまえばそんなもんさ」
「そういうもんですかねぇ」
「そうそう。俺みたいに人生も尻尾の方に来るってぇと、周りにいる奴らが先を急ぐ様に死んじまうのが当たり前に感じてくらぁ」そう言ってシゲさんは寂しそうに笑った。


 太郎さんは小さなパチンコ屋の店長をしていました。
 僕も一度遊びに行った事がありました。
 その店はトーヨーと言いました。名前の由来はわかりませんが、東洋とパチンコ玉に彫ってあったので多分そんな意味なのでしょう。
 天井が高くてこぎれいな店内でした。景品カウンターには射的屋みたいな細かく区切られた棚に幾つもお菓子やら電気シェーバーやら縫い包みやら鍋やらの景品が並べてありました。様々な銘柄の煙草の煙がスモークのようにかかった店内は、台の上を流れる流れ玉の音とパチンコ台の騒々しい音と有線のやかましい音楽の音で満ちていました。
 僕はシゲさんに連れられて行ったのです。
 パチンコ屋なんて高校時代に学校をさぼって並んでいたところを先生に運悪く見つかった時以来でした。
 僕とシゲさんはまずメジャーなデジパチ台に座りました。が、ドル箱を2箱程積み上げている他の景気の良いお客さんを横目にデジタルに入りはするも全くかすりもしませんでした。
 シゲさんはお気に入りの権利物台のクィーンに移って行きました。
 僕は店の裏口を出た所にあるベンチに座り、近くの自動販売機からサイダーを買って休憩していました。サイダーは昔ながらの三ツ矢サイダーです。時々飲みたくなるあの味です。

 騒がしい音がして自動ドアが開き一人の男が出て来ました。その男は灰色のキャップを被っており、鋭い目つきをして草臥れたジーンズとこれ又草臥れた皮の茶色いジャケットを羽織っており、下には真っ赤なシャツを着ていました。
 男は脇で座っている僕を睨むように一瞥すると、両手をジャケットのポケットに突っ込んで裏口の目の前にある換金所の方に歩いて行きました。
 その日はとても曇っていて今にも雨が降り出しそうでした。
 僕は特にやる事もなかったので見るともなしに目の前の換金所を眺めていました。
 換金所の窓口にはパンチパーマのピンクのカーディガンを着たおばちゃんが座っていて横についているテレビを暇そうに見ていました。おばちゃんは時々マクドナルドのシェイクを飲んでいました。
 ストローの太さとその中を上下する白っぽいモタッとした中身から僕が勝手にそう判断しました。もしくはもっと違ったものかもしれません。
 とりあえずおばちゃんは来た客の応対をしていました。
 男はポケットから大きいのと小さい何枚かの特殊景品を取り出しました。それを窓口の下に置いて、おばちゃんが数えて現金と交換するのです。
 余談ですが僕はこの特殊景品を見るのが好きです。お金に換わるので誰でも好きだと思いますけど。。
作品名:珈琲日和 その3 作家名:ぬゑ