遼州戦記 墓守の少女
生まれるべきでない彼女達の存在。アメリカ等の地球諸国は培養ポッドの即時破壊を主張し、一方で彼女達の保護を主張する東和や遼北との間の政治問題となったことを思い出した。そしてそのを主張する保守派をまとめていたのがクリスの父親だったことを思い出して自分の頬が引きつるのをクリスは感じていた。
「そう言えば、ホプキンスさん。先月号のアメリカ軍の機関紙の記事は興味深かったですねえ」
そして悪意は別のところから飛んできた。皮肉のこめられた明華の視線。確かに軍の機関紙で北兼軍閥の危険性を説いた記事をクリスが書いたのは事実だった。にらみ合う二人。それに負ければ技術系の説明はすべて軍事機密で通されるかもしれないと、気おされずににらみ返すクリス。だが、その幼げに見える面差しの明華は嘲笑のようなものを浮かべてクリスとハワードを眺めるだけでただ沈黙を続けるだけだった。
「それはどうも。それと失礼ですが許中尉。失礼ですがずいぶんお若く見えますが……」
明らかにクリスのその言葉にさらに不機嫌な顔になる明華。
「私に会うと皆さん同じ事を言うんですね。十六ですよ。これでもちゃんと遼北人民軍事大学校工業技術専攻科を出てるんですけど」
「天才少女って奴だねえ……」
嵯峨の添えた言葉にキッと目を見開いてにらみつける明華。嵯峨は机に置かれた扇子を取り出して仰ぎながら目を反らした。
「そうですか」
そう言いながら二人の女性士官とはかなげな印象が残る女性下士官を観察するクリス。
遼北に多い中華系遼州人の女性将校。遼北で進む軍内粛清運動から逃れて来たと考えれば、彼女の存在はそれほど珍しいものではない。実際技術者の亡命騒ぎは去年の年末に何度と無くマスコミを賑わせたのは誰でも知っている話だった。
「隊長、私の紹介はしていただけないのですか?」
柔らかい声で彼女は嵯峨に声を掛けた。いかにも待っていたと言うように笑う嵯峨。
「そうだな、じゃあこいつがセニア・ブリフィス大尉、当部隊最強のペッタン娘だ」
「隊長!セニアをからかうのはいい加減止めなさいよ!」
嵯峨の声が終わるや否やきつい口調で食って掛かる明華。嵯峨の言葉にクリスとハワードの目がセニアの隠そうとする胸に向かう。確かにそこにはささやかに過ぎるふくらみが隠されていた。
「おっかないねえ……うちの技官殿は。ただな、俺は日常に潤いを……、生活に笑いを求めてだな……」
わけの分からない言い訳をしながら扇子で顔を扇ぐ嵯峨。ハワードが笑いを漏らそうとして、明華ににらみつけられてクリスに目をやってくる。
「私は?」
銀色の髪のつなぎを来た下士官が挑戦的な瞳で嵯峨を見つめている。嵯峨はどこか含むところがあるように大きく咳払いをしてから口を開いた。
「こいつがキーラ・ジャコビン曹長。二式の整備責任者と言うことで」
「二式。アサルト・モジュールの型番ですね」
クリスは場に流されまいと、そう切り出した。あからさまに面倒そうな顔をする嵯峨。
「隊長、よろしいのですか?」
クリスの言葉に、明華は静かに嵯峨を見つめた。嵯峨はそれを聞くと背もたれに寄りかかって大きく伸びをする。
「どうせ明日からの作戦には出すつもりだからな。知っといてもらってもいいんじゃないの?明華、キーラ。案内してあげてよ。俺はこれからセニアとパイロットの指導について話があるんでね」
嵯峨は投げやりにそう言うと再びタバコに火をつけた。
「それではお二人ともよろしいですか?」
すでにドアを開いてきつい視線でクリスを見つめる明華と静かな物腰でクリス達を待つキーラ。
「写真は撮らせてもらえるんだね」
ハワードはカメラを掲げる。明華は嵯峨の方を一瞥する。セニアに机の上のモニターに映ったデータの説明を始めようとしていた嵯峨が大きく頷く。
「隠し事するほどのこともねえだろ?アメリカさんの最新鋭機に比べたらあんなの子供だましだよ」
嵯峨のその言葉で、明華は大きく頷いた。
「名称からすると遼北開発のアサルト・モジュールですね。ですがその名前はライセンス生産とかではないような」
そんなクリスの言葉にあからさまに嫌な顔をしながら明華は口を開く。二式という名称は胡州と遼北の人型兵器『アサルト・モジュール』の呼称としては一般的なものだった。その後に『特戦』と付けば胡州、『特機』と付けば遼北の名称になる。ちなみに似た呼称を付ける東和だが、こちらの場合は現在最新式の呼称は『01式特戦』であり『まるいち』と言う呼び方に決められていた。そんなことを悟ってかちらりと明華が後ろを付いてくるクリスの方を振り向く。
「正式名称は二式特機試作局戦型です。開発は遼北陸軍工廠ですが、まあ見ればどこに委託して開発していたか分かると思いますけど」
そう言うと明華は司令室を出る。嵯峨が視線を投げ、キーラも二人の後ろに続いて部屋を出た。
「ああ、荷物なら部屋に運んでおきましたよ」
階段で待っていた伊藤の突然の声がそう告げる。彼はクリスの前を歩く明華を見て少しばかり意外そうな顔をしていた。
「二式のお披露目をするんですか?」
「ええ、隊長命令よ」
そう言うと明華は伊藤を無視して階段を下っていく。
「いきなりスクープじゃないか。さっき『委託』って言ってたって事は、どこかの国か企業が開発に協力したって事だろ」
「相談事は小声でしていただけますか?菱川重工ですよ」
さらりと明華が話した言葉にクリスは目を見開いた。
「菱川?つまり東和共和国首相、菱川重三郎の会社じゃないですか!」
クリスは一言だけ言って隊舎から出て行こうとする明華に叫んだ。
「東和は遼南でのアメリカの利権獲得に危機感を抱いているのはご存知よね?悪名高い『遼南航空戦力禁止宣言』にあるとおり、遼南共和政府のアメリカ軍との共同作戦開始と言う事実に対抗する布石として二式の開発を遼北から請け負っていたわけ。まあ、遼北国内の教条主義勢力の反対で試作段階で計画は頓挫しちゃったけど」
明華は振り向かず、そのまま隊舎の隣の巨大な格納庫群に向かって歩き続けている。野球に興じていた隊員、そのピッチャーをしていた色白の男がクリス達に向かって歩いてきた。
「明華!何してるんだ?」
男は作業服の袖で流れる汗を拭きながら明華の前に立った。
「邪魔よ!」
男を避けるとそのまま隣の格納庫へ向かおうとする明華。男はそれでも諦めずに彼女について歩く。
「あのなあ、一応、この人たちはプレス関係者だろ?ここの中のもの見せちゃって大丈夫なのか?」
男はそう言うと、キーラの方に目をやる。キーラは黙って明華を見つめた。そんなキーラに視線を奪われるクリス。キーラの銀色の髪が風になびいている。
「御子神中尉。これは隊長の許可を取っているのよ。どうせ明日からは敵にもその姿をさらすことになるんだから」
御子神中尉と呼ばれた男は頭をかきながらクリスの方を警戒しながら見つめている。いつの間にかこの騒動を聞きつけて、野球をしていた隊員や、観戦していた女性兵士までもが集まり始めた。
「それじゃあ入るわよ」
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直