遼州戦記 墓守の少女
「しかし、北兼軍閥の指揮権はあなたにあるんじゃないですか?」
その言葉に嵯峨は歩みを止めた。
「それは違いますね。確かにこの軍閥が私を中心に成長したことは認めますよ。だが、適材適所という言葉があるでしょ?私は正直これだけの大部隊を指揮した経験がないんでね。そこに周香麗と言う実績のある指揮官が来た。勝つ戦争をしようと思ったら、それにふさわしい指揮官が必要になるわけですよ」
『遼北の魔女』と呼ばれた前の大戦でのエースであり地球軍との何度かの軍事衝突の際には軍の幹部として的確な指示を出して優位に戦いを進めた実績のある周香麗の実績は確かに彼の言葉が本心からだとしても不思議なものではないとクリスは納得した。だが嵯峨はそう言いながら胸のポケットからタバコを取り出すのに思わずクリスの顔は歪んだ。クリスはあまりタバコは好きではなかった。そんなクリスを見て嵯峨が微笑みを浮かべる。
「なるほど、タバコはお気に召さないいようですな」
そう言うと火も付けずにタバコをくわえたまま歩く嵯峨。衛兵の敬礼に手を振りつつ彼はプレハブの建物に入った。
一階のオペレーター室は通信、監視、物資管理の人員が忙しく行きかっている。嵯峨はそれに一々頭を下げながら階段を上り始める。
「私が知る限り一番便利な兵器は情報ですよ。まあ、そんな説教をされる覚えはホプキンスさんには無いでしょうがね」
「クリスで結構です」
苦笑いの嵯峨の後ろについていくクリスとハワード。階段は木製で野戦用ブーツの三人の足音が大げさに響く。上りきった二階の踊り場、嵯峨を見つけて駆け上がってきた女性下士官が一枚の書類を嵯峨に渡した。嵯峨はそれを持ったまま二階の踊り場で頭を掻いた。そしてクリスを振り返り彼が身の回りの品を入れた手荷物を持っていることに気づいた。
「ああ、荷物持ってきちゃったんですか。この隣なんですよ宿舎は。まあ面倒ですからそこに置いてついて来て下さい」
そう言うと嵯峨は手に書類を持ったまま廊下を静かに歩き始めた。クリスとハワードは顔を見合わせると、荷物を廊下の端に置いて、嵯峨の入った司令室に入り込んだ。
司令室に入ったとたんに猛烈なタバコの匂いが入るものに容赦なく襲い掛かる。クリスは思わず鼻を押さえた。
「すいませんねえ、今、窓開けますから」
そう言って窓を開く嵯峨。その妙に人懐っこいところが鼻に付く。クリスはそう思いながら部屋を見渡した。そしてすぐにこの部屋の異様さに気づいた。室内にしみこんだタバコの匂いだけがクリスを驚かせたわけではなかった。部屋中に広がる書類や銃器の部品。そして暑く積もっている鉄粉のような埃。
「別に面白いものは無いでしょ。どうにも片付けると言うことが苦手でしてね、私は」
そう言って嵯峨は連隊クラスの部隊司令にふさわしいゆったりとした皮の椅子に腰掛けた。その目の前では上に置かれたガラクタが積み上げられて完全に機能を失っている大きな机がある。
「私は整理整頓と言うのが出来ない質でしてね。娘にはいつも叱られてばかりですよ」
「娘さん……茜さんでしたね。おいくつになられますか?」
クリスの頬を外からの風が撫でる。ようやく新鮮な空気が入ってきたことで少しばかり表情を和らげることができた。
「12歳になりますよ。今は東和の中学に言ってるはずですがね。本来はこっちの学校に行かせたかったんですが、本人が東和で弁護士をやりたいと言うものでして」
そう言うと嵯峨はくわえっ放しだったタバコに火をつけた。この奇妙な人物に子供がいる。しかも娘が二人いることをクリスは思い出していた。
「そう言えばもう一人、双子のお子さん……楓さんでしたか。そちらは?」
嵯峨はタバコの煙を胸いっぱいに吸い込むと、ようやく落ち着いたと言うように腰の刀をベルトから外そうとした。
「ああ、あいつは胡州の海軍予科前期校に受かったって言ってたな。知ってます?胡州の軍学校もようやく男女共学になったらしいんですよ。俺のときは野郎ばかりでむさ苦しくってねえ」
「はあ」
そう言いながらテーブルの埃を指でかき回している嵯峨。クリスはまだこの男のことが測れずにいた。
「失礼します」
扉が開き、女性の士官が一人と女性技官が二人、書類を持って現れた。背の高いライトグリーンのツインテールの髪の女性士官。その隣には幼く見える技官の徽章をつけたショートカットの黒い髪の士官の切れ長な目が不審そうにクリス達を見つめる。その攻撃的な視線を避けた先、銀色の髪の女性技官の姿にクリスの目は釘付けにされた。ボーイッシュなショートカットのその技官の頬を機械油のはねた後が飾っている。そんなクリスの視線に気がついたのか、技官は軽く微笑むと、上司らしい小柄な東アジア系のように見える先ほどの厳しい目つきの士官の横で直立不動の姿勢をとった。
先頭を歩いてきた士官はクリスをまるで無視すると書類を嵯峨に手渡した。それを見たキツイ目つきの少女が一歩足を踏み出してふたまわりも大きな嵯峨を見上げる。
「こちらが二式の運動性能テストの結果です。すべて隊長が出された必要運動性能はすべてクリアーしています」
嵯峨はそれしか言わない少女に目を向けた後すぐに手にした書類をめくり始める。
「やるねえ、菱川の技術陣も。前の試作機はかなりぼろくそにけなしてやったからな」
そう言うと嵯峨はクリスの方を見た。部屋を出るべきタイミングらしいと思い、埃だらけのソファーから立ちあがろうとしたクリスとハワードを手で制する嵯峨。
「待ってくださいよ、文屋さん。ああ、この人達が例のお客さんだ。クリストファー・ホプキンスさんにハワード・バスさんだ」
その紹介に不意を疲れたように驚いて見せた女性士官の表情が緩む。
「失礼しました。私がセニア・ブリフィス大尉です。そしてこちらが……」
地球人にはなりライトグリーンの髪。おそらくこの遼州系ではよく見るクローン人間だろうとクリスは思った。だが彼の先入観にある神の禁秘に触れた忌むべき存在と呼ぶには彼女はあまりに生き生きとした表情を浮かべている。むしろ手前の小柄なアジア系の少女士官の方がどこかぎすぎすした空気をまとっていた。そんな心の中を読みきったと言うように敵意をむき出しにして見上げてくる少女の口が開く。
「許明華技術中尉です。そして彼女がキーラ・ジャコビン曹長」
たぶん自分が地球のそれも敵対するアメリカ軍にも顔の効く記者だと知っているのだろう。少女は不機嫌だと言うことを強調するようにそう言った。そんな幼さからでる露骨な感情に困った表情を浮かべる銀色の髪のキーラという名の技官。
「キーラ・ジャコビンです!」
赤みを帯びた瞳でクリスを見つめるキーラに、思わずクリスは自分の顔に動揺が出ているのではないかと焦りを覚えた。人造人間の開発は遼州外惑星の国家ゲルパルトが大々的に行っていたことは有名な話だった。技術上の問題点から女性の生産が先行して行われたもののほとんどが戦争に間に合わず彼女達の多くが培養ポッドの中で終戦を迎えた。
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直