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遼州戦記 墓守の少女

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「まるで我々を待っていたみたいじゃないですか」 
 ハワードがそう言いながら、森の中に点々と見える焼畑の跡を写真に収める。そんな彼を無視してハンドルを切る伊藤。そのまま車は側道へと入り込み、激しい揺れが三人を襲う。
「ハワードさんの言うことは間違いないかもしれませんね。まああの人はそう言う人ですよ。いい意味でも悪い意味でも」 
 そう言うと伊藤はまた少しスピードを落とした。針葉樹の森が続いている。その根元には先の大戦時の胡州の軍服に赤い腕章をつけた北兼軍の兵士がちらほらと見えていた。
「軍服の支給はまだのようですね」 
「ご存知でしょう?北兼軍には胡州浪人達が多く参加していますから。どうせ支給しても着替えたりはしませんよ」 
 再び伊藤は運転に集中した。森が急に終わりを告げて目の前に現れた検問所のバリケード。牛を載せたトラックと水の入ったボトルを背中に三つもくくりつけた女性が兵士に身分証を提示していた。
 ハワードはその光景にカメラを向ける。しかし、兵士は気にする様子も無く、女性から身分証を受け取って確認を済ませると笑顔でその後ろに続くクリスの車に歩み寄ってくる。
 兵士はその運転手が伊藤であることを確認すると一度敬礼した。
「良いから続きを頼む」 
 フリーパスでもいいというような表情の兵士に伊藤が身分証を手渡した。
「伊藤大尉。別にこれを見せられなくても……」 
 そう言ったクリスに向ける伊藤の目は鋭かった。
「それが軍規と言うものですよ。お二人とも取材許可証を出してください」 
 伊藤の言葉に従って、クリスとハワードはそれぞれの首にかけられた取材許可証を手渡した。兵士達はそれを手持ちの端末にかざして確認した後、にこやかに笑いながら手を振った。
「取材の成功。お祈りしています」
 兵士の言葉に愛想笑いを浮かべたクリス。車はそのまま細い砂利道を走り続けクリスがたどり着いた夷泉は村とでも言うべき集落だった。藁葺きの粗末な農家が続き、畑には年代モノの耕運機がうなりを上げ、小道には羊を追う少年が犬と戯れていた。ハワードは彼を気遣って車を徐行させる伊藤の心を読み取って、三回シャッターを押すとフィルムの交換を始めた。
「まるで四百年前の光景ですね」 
 クリスはそう漏らした。彼が見てきた戦闘はこのような村々で行われていた。貧困が心をすさませ人々に武器を取らせる。そしてさらに貧困が国中に広がる。貧困の再生産。貧しいがゆえに人は傷つけあう。はじめに従軍記者として提出した記事にそんな感想を書いて検閲を受けたことを思い出していた。
「見えてきました」 
 それは遼南では珍しいものではない仏教寺院だった。大きな門を通り過ぎ、隣の空き地に車を乗り入れる。フィルムの交換を終えたハワードは彼の乗った車を追いかける少年達をカメラに収めることに集中していた。寺の隣の鉄条網の張られた駐留部隊基地の門の前、クリスはそこで子供達が一人の青年士官の周りに集まっている光景を目にした。
 佐官の階級章をつけた胡州軍の戦闘帽が目立つ男は微笑みながら手にした竹の板を削っている。一番年長に見える少女は将校から受け取ったヘリコプターの羽だけを再現したようなおもちゃを空に飛ばし、子供達はそれを追いかけていた。にこやかに子供達を見て笑っている青年士官はクリス達の車に目を向けてきた。制服は伊藤と同じ人民軍の士官の型のもので、その腰に朱塗りの鞘の日本刀を下げているところから見て胡州浪人の一人だと思いながらクリスはその士官に微笑を返した。
「ホプキンスさん。あの方が嵯峨中佐です」 
 サバイバルナイフを鞘に収め、そのままゆっくりとクリスのところに歩みよってくる男。その突然の紹介にクリスは驚きを隠せなかった。
 正直、クリスが資料用の写真で見た印象とはその軍閥の首魁の姿はかなり違っていた。資料では32歳のはずだが、その子供と遊ぶ姿はどこと無く幼く見えた。常に無精髭を生やし、眉間にしわを寄せて、見るものを威圧するような視線を投げている写真ばかりを見てきたが、目の前にいるのは髭をきれいに剃り、満面の笑みを浮かべている明るい印象のある青年将校の姿だった。
 クリスはとりあえず止まった車から降りた。子供達は嵯峨の周りに固まってクリス達を不思議なものでも見つけたような目で見つめている。中央の嵯峨は、とりあえず彼らの輪から脱出すると、クリスに握手を求めてきた。
「ご苦労さんですねえ。まあしばらくは一緒の飯を食うんですからよろしく頼みますよ」 
 そんな心の中を見透かしたように笑みを浮かべる嵯峨。資料の写真とかつて遼南派遣の胡州軍憲兵隊長として狂気さえ感じる残忍なゲリラ狩りを行い『遼州の悪霊』とまで言われた男。
 今、目の前にいる青年将校嵯峨惟基中佐とその印象をどうつなげて良いのかクリスには分からなかった。ただ呆然と立ち尽くしているクリスは、ハワードのカメラのレンズがこちらを向いていると言う事実に気づいてようやく握手をすることが出来た。
「伊藤、すまねえな。あれだろ?どうせ党本部じゃあ司令部のお偉いさんの小言の嵐くらったんだろうな。お偉いさんは現場のことは知らないし知るつもりもねえからまあ気にするなよ。早めに仮眠でも取っとけ。仕事なら山ほどあるんだから」 
 そう言うと嵯峨は荷物を降ろすのを手伝おうと言うように車の後ろに回り込んだ。
「良いですよ、嵯峨中佐!取材機器は我々が運びますから!」 
 そう言って嵯峨の前に立ちはだかろうとするクリスを泣きそうな目で見つめる嵯峨。
「信用がないんだねえ。大丈夫ですよ。あんた等の持ち物に細工するほど暇じゃねえから」 
 そう言うと車の後ろのドアを開いて、嵯峨は丁寧にハワードのカメラケースを取り出した。
 ハワードが神経質そうにそれを受け取るとケースを地面に下ろし、嵯峨はクリス達の身の回りのものを入れた荷物を降ろす。空になった後部座席を見ると嵯峨は軽く屈伸運動をする。子供達はその様子を遠巻きに見ていた。
「これから仕事だから」 
 頭を掻きながら嵯峨がそう言うと子供達は手を振って別れを告げる。次々と走って帰路に着く子供達。ようやくそこで嵯峨はクリスに向き直った。
「やっぱり結構ありますね荷物。部下に後で運ばせますよ。あのグラウンドの向こうに見えるのが宿舎です。まあそれほど長くは使わないでしょうがね」 
 そう言い残して嵯峨は歩き始めた。クリスが見回すと、巨大な格納庫の前で部隊員が野球に興じていた。だが荷物を指差す嵯峨の姿を見つけると、やんやと野次を飛ばしていた野次馬達が群れを成してクリスとハワードの荷物に駆け寄ってきた。
「カメラケースは慎重にお願いしますよ!」 
 ハワードの叫び声に頭を下げる兵士達。嵯峨はただ先ほど指差したプレハブの建物に歩いていく。
「ずいぶん余裕があるようですね」 
 クリスは自分の私物と通信機器が入ったバッグを背負いながらその後に続いた。
「ああ、うちの軍閥には正規部隊出身の精強部隊がありますから。現在ここから700キロ離れた地点で合衆国の軍隊と対峙してますよ」 
 さらりと言う嵯峨の口元に笑みがこぼれる。クリスは嵯峨の他人事のように話す口ぶりが気になっていた。
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直