遼州戦記 墓守の少女
シャムの決意にも似た言葉を聞いてクリスは少しばかり胸が痛んだ。
「でも君は子供だろ?」
「騎士は騎士なんだよ。戦う意思と力があるから弱いものを守って戦えっておとうは言ってた。それにおとうやみんなの墓があるんだ。みんなが見ているから一人だけ逃げるなんて出来ないよ……」
そこまで言うとシャムはしゃくりあげ始めた。クリスは難民達からまるで子供を苛めている外国人と言う風に見られて思わず頭を掻いた。
「なんだ、クリス。子供を泣かせるとは許せないなあ」
難民達を写真に納めるのも一段落着いたのか、レーションの箱を開けるのをその棍棒のような褐色の腕で手伝っていたハワードが冷やかしの声を上げた。
「別にそんなつもりは……」
ハワードの顔を見ると、少しばかりシャムは安心したように涙を拭った。彼女の隣には熊太郎が心配そうな顔をしながら座っている。
「じゃあお手伝いをしよう」
そんなクリスの言葉にようやくシャムは笑顔を取り戻した。
「ホプキンスさん何をしてるんですか?」
パンを難民に渡す手伝いを始めたクリスに声をかけたのは伊藤だった。
「ああ、とりあえず僕に出来ないことがないかなあと思って」
「別にそれは良いんですが、取材はどうしたんですか?」
「これも取材の一環ですよ」
そう言うクリスの肩を叩いて伊藤は感心したような笑みを残して人ごみに消えた。未だに難民の群れは止まることを知らない。新しくやってくるのは車やオートバイで逃げてきた難民達。徒歩で来た人々は休憩を済ませるとすぐに輸送機で後方に向かっていた為、残されたのは比較的若い人々だった。若い男の中には軍への志願手続きを終えて似合わない軍服に身を包んでいる者もいた。
「なんだ、お前も志願したのか!」
スープを盛り分けている若い炊事班員がそう声をかけるところから見て、どうやら彼も朝の志願兵受付に応募した口らしい。あちこちで着慣れない軍服を笑いあう若者の姿が見える。
「ようやく終わったみたいですね」
クリスは隣の太った炊事班員に声をかけた。ふざけあう元難民の隊員達だけが残された広場を見て、彼は満足げに頷くと空になった鍋を持ち上げようとした。クリスが手を貸してかまどから持ち上げられた鍋を駆け寄ってきたつなぎの整備班員に渡す。
「いやあ千客万来だけどなあ、夜は作り過ぎないようにしないと材料が無くなっちまう」
両手を払いながらその太った整備班員が笑った。クリスもそれにあわせて笑っていた。右派民兵組織が壊滅した今、この基地にとっては北兼台地南部基地への侵攻作戦の準備に取り掛かる絶好の機会であることはどの隊員も自覚しているところだった。炊事班の補助をしていた管理部門や通信部門の隊員は早速本部ビルに駆け足で向かっている。
「ご飯食べたの?」
そう言って近づいてきたのはシャムと熊太郎だった。
「いやあ、そう言えば忙しくて食べられなかったなあ」
そう言うクリスにシャムは手にしたパンを差し出した。
「コーヒーくらいなら詰め所にありますけど……」
シャムの後ろから近づいてきていたキーラ。クリスは何を言うべきか迷いながら彼女を見つめた。その白い髪が穏やかな午後の高地の風になびく。思わずクリスも彼女に見とれていた。
「じゃあご馳走になりますよ」
そう言ってクリスは嬉しそうにハンガーに向かうキーラの後に続いた。
踏み固められた畑の跡を通り抜けると、いつものようにハンガーが見える。カネミツの前では菱川の青いつなぎを着た技術者が日の光を浴びながらうたたねをしていた。白いつなぎのこの部隊付きの整備班員は帰等した二式のチェックも一段落着いたというように、だるそうに歩き回っていた。
キーラは軽く彼らに手を振るとそのままクリスを連れて詰め所に入った。中には明華と御子神、それにジェナンとライラがコーヒーを飲んでいた。
「班長!どうですか?二式は」
キーラの言葉に明華はただ手を振るだけだった。それを見ると少し微笑んだキーラはそのまま奥のコーヒーメーカーに手を伸ばした。
「飲んじゃったんですか?」
「あ、一応空になったら次のを作る決まりだったわね。ごめんね」
明華がそう言うとキーラに軽く頭を下げた。コーヒーメーカーを開けたキーラは使い古しの粉を隣の流しに置いた。
「ホプキンスさん。とりあえずかけていてください」
キーラの言葉に甘えてクリスは空いていたパイプ椅子に腰掛ける。天井を見上げてぼんやりとしている御子神。コーヒーをすすりながら何も無い空間を考え事をしながら見つめているジェナン。借りてきた猫とでも言うようにそのジェナンを見つめているライラ。
「そう言えばミルクは無かったんでしたっけ?」
「そうね、しばらくはどたばたが続くでしょうから、手が空いたところで発注しておいてね」
相変わらず上の空と言うように明華が答えた。
「許中尉」
クリスの呼びかけにだるそうに顔だけ向ける明華。
「確か君は15歳……」
「16歳ですよ」
強気そうな明華だが、さすがに疲れていると言うように語気に力が無い。
「私の年で出撃は人道的じゃないと言うつもりなんでしょ?別にいいですよ」
そう言いながら微笑んだ明華が惰性で目の前のマグカップに手を出した。
「すっかりぬるくなっちゃったわね。キーラ、私のもお願い」
そう言うと明華はマグカップをキーラに渡す。
「それと、シャムはいつまでそこでじっとしてるの?」
明華の視線をたどった先、詰め所の入り口で行ったり来たりしているシャムがクリスの目に入った。シャムは照れながら熊太郎に外で待つようにと頭を撫でた後、おっかなびっくり詰め所に入ってきた。
「ココア!」
シャムの叫び声が響く。どたばたが気になったのか奥の仮眠室からレムが顔を出した。
「レム!」
シャムが抱きつこうとするのを片手で額を押さえて押しとどめる。
「お嬢さん、私に触れるとやけどしますぜ!」
「何かっこつけてんのよ、バーカ」
明華の一言に頭を掻くレム。さすがにシャムの大声を聞きつけてルーラが出てきた。
「何?何かあったの?」
「何も無いわよ。コーヒー飲む?」
コーヒーメーカーをセットしたキーラが二人を眺める。
「私はもらおうかしら」
「それじゃあ私はブルマン」
「レム。そんなのあるわけ無いでしょ、と言うかどこでそんなの覚えたの?」
呆れる明華。
「いやあ隊長が時々言うんでつい」
「あの人にも困ったものよね」
そう言いながら明華は手にしていた二式の整備班が提出したらしいチェックシートを眺めていた。
「なんだか軍隊とは思えないですね」
クリスがそう言うと明華は頭を抱えた。
「確かにそうかもしれないわね。周同志もそのことは気にかけてらっしゃるみたいだけど」
苦笑いを浮かべながら明華がコーヒーメーカーに手を伸ばす。まだお湯が出来たばかりのようで暑い湯気に手をかざしてすぐにその手を引っ込める。その様子をニヤニヤしながら見つめるレム。
「ああ、あの紅茶おばさんの言うことは聞かないことにしてますんで」
「レム!」
口を滑らせたレムを咎めるキーラ。レムは舌を出しておどけて見せる。
「紅茶おばさん?」
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直



