遼州戦記 墓守の少女
虫の入った非常食が二十人分も入る大きなダンボールを押し付けてくるシャム。慌ててクリスはその箱を押し返す。
「逃がしてやればいいのに」
クリスの言葉に、シャムは不思議そうにしていた。そしてちらちらとダンボールに目を落とすシャム。
「なんか、君。それを食べそうな目をしているんだけど……」
「カブトムシの成虫は食べないよ!」
シャムはそう言い切った。
「じゃあ幼虫は食べるんだね」
「うん!やわらかくて甘いんだよ!」
クリスは昔、地球の東南アジアでの紛争によりこの星へ移民してきた人達が喜んで巨大なカブトムシの幼虫をほおばっている映像を見たのを思い出した。
「それよりシャムちゃん。君の機体見せてくれないかな?」
クリスの言葉にしばらくまじまじと彼の顔を見つめた後、満面の笑みを浮かべてシャムは立ち上がった。
「いいよ!次からは私の後ろに乗るんだよね!」
箱を熊太郎の背中に乗せて歩き出すシャム。彼女は元気良くクリスを連れて格納庫に向かう。
「隊長の機体って大変なんだねえ」
シャムはそう言うと稼動部分と動力炉を外されてフレームだけの姿になっているカネミツを見つめた。その隣には取り外した部品を冷却しているコンテナから湯気が上がっている。
「あれだよ」
シャムに言われるまでも無く、その白い機体は一際目立っていた。そのまま足元に立つシャムとクリス。シャムが自分を『騎士』と呼ぶ理由が、この気品を感じさせるアサルト・モジュールのパイロットであることからもよくわかるとクリスは思っていた。どこか西洋の甲冑を思わせる姿は二式が戦闘用の機械にしか見えないことに比べるとかなり優美な姿を誇っているように見えた。
「シャム、カブトムシくれるんだろ?」
若い整備員が声をかけるのを聞くと、シャムは熊太郎の背中の箱を彼に渡した。整備員達がそれに群がり、談笑を始めたのを見計らうように、シャムはそのままコックピットに上がるエレベータにクリスを案内した。
「コックピットは掃除しといたからな!」
下でカブトムシの取り合いをしている整備員が叫ぶ。シャムは笑いながら彼に手を振った。
「そう言えばこれまでは熊太郎が乗ってたんだな」
「うん!広いからちゃんと椅子を乗せても大丈夫だったんだよ」
エレベータが止まる。コックピットハッチがシャムの手で解放され、内部が天井の透明になった部分からの昼の日差しに照らされた。コックピットが広いというより、明らかにシャムの座席が小さめに出来ていた。
「これははじめからこうだったのか?」
「違うよ。明華ちゃんがアタシが乗りやすい様に調整してくれたの」
そう言うとシャムはコックピットの前に立った。クリスはその隣から中を覗いた。全周囲モニターが新しい。他の内部装置もすべて二式やカネミツの部品の流用のように見えた。
「中はずいぶん手を入れたんだね」
「明華とキーラがやってくれたんだ。だから凄く乗りやすくなったよ」
シャムは満面の笑みを浮かべながらクリスの顔を見つめた。
「そう言えばクリスはキーラのこと嫌いなの?」
コックピットに頭を突っ込んでいたクリスは、背中を見ているシャムの言葉に思わず咳き込んだ。
「何言ってるんだ、それに会ってからそう日も経ってないし……」
「恋に時間は関係ないって明華も言ってたよ」
振り向いたシャムがニヤニヤと笑っている。彼女に自分が宗教右派の家庭に生まれてその呪縛からキーラと向き合えないなどと言い出したい衝動に駆られながら静かに彼女を見つめるだけのクリス。だが続く生暖かい視線に呆れたように無難な話題で切り抜けることを彼は選んだ。
「だから、俺は取材に来ただけだ。たぶん北兼台地の戦いが終われば国に帰るつもりだ」
「えー!クリス帰っちゃうの?」
驚いたように叫ぶシャム。クリスは困惑した。
「そんなに驚くこと無いじゃないか。北兼台地が人民軍の手に落ちれば地球各国の部隊は撤退を決断する国も出てくるだろう。今度、遼南に来たらそちらの取材をするつもりなんだ」
シャムはしばらくクリスの言葉が理解できないと言う顔をしていたが、どうにか彼女なりの理解が出来たところでなんとなく下を向いた。
「あっ!」
そのままシャムが凍りつく。何かとクリスが下を見れば、工具箱を落としたのか工具を拾い集めているキーラがいた。クリスは何も言えずにいた。下のキーラはシャムの視線に気付いて上を見上げた。キーラとクリスの視線が合った。そしてお互い避けるように目を反らした。
「あんまり大人をからかわない方が良いぞ」
クリスはそう言うと再びコックピットの中を覗きこむ。
「重力制御システムは既存のものを使っているみたいだな」
「きぞん?なにそれ」
帽子を直しながらシャムが訪ねる。
「そう言えばエンジン出力と関節動力装置のバランスはどうしたんだ?この前はかなり技術者にエンジンを絞れと言われていたみたいだけど……」
クリスの前に立つシャムが不思議そうな顔で見つめ返してくる。
「無駄よ。シャムにそんなこと聞いても」
はしごを上って来てそう言ったのはキーラだった。
「その問題はかなり改善しているわ。カネミツの予備部品を組み込んでみたのよ。規格があっていたから使えたんだけど、それでも出力の70パーセントくらいで動かしてもらわないといけないけどね」
キーラはそう言うとクリスを見た。先ほどのシャムの言葉を聞いていたクリスは笑顔を作ろうとするが、どこと無く不自然な感じがした。それを見て少し失望したような顔をしたキーラはそのままクリスの隣に立ってコックピットの中を覗きこんだ。
黙り込む二人に戸惑うシャム。
「何してるの!」
叫び声の主は明華だった。三人で下を見ると、パイロットスーツの明華が手を振っている。
「これから昼の炊き出しの仕事があるから降りて来なさいよ!」
そう言うと明華は更衣室に向かう。
「そんな時間だったんだね」
そう言うとクリスはエレベータに向かう。キーラもシャムもなんとなくその後に続いた。彼等はハンガーの前を見た。すでにまだこの基地で出発を待っている難民達は炊き出しのテントの前に並びだしている。輸送機を待つ群れには隊員がレーションを配布していた。
「相変わらず手際がいいね」
「伊藤中尉はこう言うことは得意ですから」
キーラはそれだけ言うと下を向いてしまう。難民達の群れに頭を下げられながら、キーラは早足で炊事班がたむろしているテントに向かった。
「シャムちゃんはこの人達をどう思うんだ?」
クリスの問いに行列に加わろうとしていたシャムが振り向いた。それまでひまわりのように明るく黒い民族衣装の帽子の下で輝いていたシャムの笑顔に影が差す。
「おとうが言ってたけど、戦争では弱いものが一番の被害者なんだよ。戦えるのは強い人だけ。その人達は何でも手に入るけど、弱い戦えない人はみんな持ってるものを取られちゃうんだ」
シャムの視線がさらに何かを思い出したような悲しげな光を放つ。
「だからね、アタシは戦わなければいけないんだよ。騎士なんだから。それで余った分はみんなに分けてあげるの」
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直



