遼州戦記 墓守の少女
「私にしか出来ないことがある。私にしか伝えられない言葉がある。そう信じていた。医者が止めるのも聞かずに胃を切って一週間でゲリラのキャンプを視察したものだよ。まるで私が胃を半分切り取った人間ではないかのように彼らの笑顔が元気をくれたものだ」
遠くを見る視線のダワイラを三人が見守っていた。
「しかし、きれいごとでは政治は、人は動かないよ。そのことがわかり始めたとき、今度は癌が大腸に転移したと診断された。このときは少しばかりメスを入れるのをためらったね。ここで私が現場を離れれば人民政府は瓦解すると思ったんだ。結局周りの説得で入院することになったが、思えばこの頃から私はもうただの飾りになっていたのかもしれないな」
誰も言葉を挟むことが出来なかった。ダワイラの言葉ははっきりとしていた。そして悲しみのようなものが言葉の合い間に感じられた。
「そして遼南でのガルシア・ゴンザレス将軍のクーデターとムジャンタ・ムスガ帝の退去を知って北天を首都とする人民政府樹立宣言を発表したのだが、肺に癌が転移していると聞いたときはもう手術はやめることにしたよ。誰もが私の話など聞かずに支援先の遼北の方を向いていることに気づいたとき、私は道を誤ったことを理解したよ。そんな老人がいつまでも権力を握っていることは良いことではない。彼らも私から独り立ちすれば自分の過ちを素直に認められるようになる、そう思ったんだ」
「ずいぶん甘い考えですねえ」
そう言ったのは嵯峨だった。そんな彼を一目見ると、ダワイラは満足げな笑みを浮かべた。
「そうだ。私は君と違って性善説をとることにしている。いや、科学者は性善説を取らなければ研究など出来ないよ。その技術が常に悪用されるということを前提に研究をする科学者が居たら、それは人間ではない、悪魔だよ。それは三流物理学者の僻みかも知れないがね」
再び嵯峨を見て笑うダワイラ。彼が北天大学の物理学博士であった時代の面影が、クリスにも見て取ることが出来た。
「国を打ち立てるには理想と情熱が必要だ。だが、それを守っていく為には狡さと寛容を併せ持つ人物が必要になる。今の人民政府には狡さはあっても寛容と言う言葉がふさわしい人物が居ない」
「僕はただずるいだけですよ」
「いや、そう自らを卑下できるということはそれだけ人を許せる人物だと言っている様なものだ、自分の言葉が絶対的に正しいと信じ込んでいる人間は自分を卑下することも、人を許すことも出来ないよ」
ダワイラがそう言ったとき、伊藤の通信端末が鳴った。
「どうやら時間のようだ。ホプキンスさん、だったかね」
「はい」
「この会談の記事は少し発表を待ってくれないかね。いつか嵯峨君がこの遼南を治める日が来た時、その日まで……」
そこまで言うとダワイラは力なく笑った。クリスは何も言えずにただダワイラと言う老革命家のやせ細った手を握り締めた。
「それとこれが今の私に出来るすべてのことだ」
そう言ってダワイラは窓の外を指差した。降下してきた大型輸送垂直離着陸機。黄色い星の人民軍の国籍章が見える。
「では、行こうか伊藤君」
伊藤に押されて車椅子はエレベータに向かう。嵯峨はタバコを取り出し、それに火をつけた。
「どうしてあなたは断ったのですか?王党の復活は……」
「そんなもの望んじゃあいませんよ」
タバコの煙を吸い込む嵯峨、彼はまるで何事も無かったかのように外の光景を眺めていた。渓谷に続く道に北兼軍の二式が見えた。
「ああ、これで難民の流入は一区切りって所かねえ。搬送の手配はダワイラ先生が済ませてくれたしな」
そう言うと嵯峨は遠くを見るような目つきになった。
「ですが、今の北天の政府は腐っている。ゴンザレスの独裁政治にそれが取って代わっても何の違いもありませんよ!」
クリスの言葉。嵯峨は聞くまでも無いというように窓の外の輸送機を眺めていた。
「まあ、そうなんですがね」
嵯峨は室内に視線を移す。エレベータが開き護衛達に囲まれてダワイラが姿を消した。
「一つ一つ物事は処理していかなければならない。明日の敵のことを考えて今の敵に当たれば勝てる戦いも負けることになる」
タバコの煙が天井に立ち上る。
「戦争は勝つか負けるか。二つしか選択肢は無いが、負けたときの悲哀はそれは酷いものですよ。だから勝つ方策を考えてそれを実行するだけですわ」
そう言うと嵯峨は立ち上がった。
「とりあえず仕事でもしようかねえ」
首を回しながらのんびりとタバコをもみ消す嵯峨。クリスもあわせて立ち上がる。そして思いついたようにエレベータへ向かう足を止める嵯峨。
「そうだ。明華達が戻ってきているでしょうから取材してみたらどうですか?」
嵯峨はそう言うと再び歩き始める。そしてクリスもその後に続いた。
「中佐……」
エレベータで北天からダワイラに帯同してきたらしい背広の男に車椅子を預けた伊藤が心配そうな顔で嵯峨を見つめる。
「伊藤、何も言うなよ。俺は私欲で動けるほど素直な根性の持ち主じゃねえんだ」
そう言うと上がってきたエレベータに三人は乗り込んだ。
「さあて、報告書。たたき返されてるかねえ」
執務室の階でエレベータは止まる。嵯峨のいつものシニカルな笑みが垣間見える。
「それじゃあ、失礼」
そう言うと嵯峨はエレベータを降りた。代わって入ってきたのはキーラだった。
「どうしたんですか、ジャコビンさん」
クリスの言葉に少しキーラの顔が曇った。
「あーあ、これなら東和に移住するんだったわ」
「ああ、遼北の人造兵士移住計画ですか。応募したんですか?」
そう考えも無く発せられたクリスの言葉に、キーラは少し悲しそうな顔をした。戦う為に作られた存在の彼女達は決して歓迎される存在では無かった。地球の感情的なまでに彼女達の存在を抹消しようとしている態度に比べればかなりマシとは言え、遼北政府も『魔女機甲隊』の亡命を機に彼女達を軍の人材不足で悩んでいる東和に押し付ける算段を続けていることは知っていた。
「まあ、いいか。書類取りに来て会えたんだもんね」
誰に話すでもなくキーラがつぶやく。ちらちらとクリスの顔を見るキーラ。だが、クリスには先ほどの会合の余韻が残っていて、彼女の頬が赤らんでいることに気付くことが出来なかった。
それ以来二人の間に何も言葉が交わされることが無かった。一階でエレベータの扉が開くと、キーラはそのままクリスを無視して歩き出そうとした。
「ジャコビンさん!」
「キーラって呼んでくれないんですね」
振り返ってそれだけ言うとキーラはそのまま本部に入ってきた北兼軍の兵士達の中に消えた。クリスはそのまま本部を出た。難民達が陸路を行くトラックと空路を行く輸送機に振り分けられているのが見える。
「あーあ、詰まんないの」
シャムはダンボールの中のカブトムシやクワガタムシを見つめながらつぶやいている。
「どうしたんだ、一人で」
声をかけたクリスに目を輝かせているシャムがいた。隣の熊太郎も嬉しそうに舌を出している。
「これ、あげるね」
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直



