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遼州戦記 墓守の少女

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「もしかして大須賀さんは成田と言う偽名を使って無かったですか?」 
「良くご存知ですね」 
 静かにクリスを見つめる嵯峨。だが、嵯峨の珍しく悲しみをたたえた瞳を目にしてクリスは語るのをためらった。
「まあ、俺が吉田の立場でも同じことをしただろうからね。恨んだところで大須賀は戻ってこないんだ」 
 そう言うと嵯峨はタバコを灰皿に押し付けた。
「そろそろかな?」 
 そう言うと嵯峨は立ち上がった。
「何がですか?」 
「お迎えですよ。一応、ここは人民軍の基地ですから、難民の方達の移動をお願いしたいと思いましてね」 
 立ち上がって伸びをする嵯峨。クリスは彼より先に部屋を出た。本部の前では子供達の群れを仕切っているのはシャムだった。熊太郎にはそれより小さい子供達が集まり、撫でたり叩いたりしている。
「楽しいかい?」 
 大きなクワガタで相手のカブトムシをひっくり返したシャムがニコニコと笑っている。
「うん!そう言えばホプキンスさんは今度は私の機体に乗るんだよね」 
「ああ、嵯峨中佐にはそう言われているけど……」 
「よろしくね!」 
 そう言うとまたシャムはカブトムシ対決の土俵に集中した。いつの間にか広場には軍のトラックが到着している。クリスはそちらに足を向けることにした。移送可能な病人が担架に乗せられてトラックの荷台に運ばれていく。
「クリス、来てたのか」 
 その様子をハワードは写真に収めていた。
「これだけの数のトラックを集めるとは……」 
「それだけあの嵯峨と言う人物に力があるということだろ?力は人を惹きつけるものさ」 
 ハワードはクリスを振り向きもせずにシャッターを切り続ける。
「難民でも北兼軍に志願したのもいるんじゃないか?」 
「ああ、さっき受付をやっていたが、ゲリラ連中と同じく後方送りだね。右派民兵組織はかなり深くまで潜入しているとか言ってたから警備任務にでも就くんじゃないのかなあ」 
「あくまで手持ちの兵力で北部基地を押さえるつもりなのか?あの人は」 
 語調が強かったのか、ハワードがクリスを振り向いた。
「ずいぶんと入れ込むじゃないか。俺達はあくまで合衆国の敵を取材しているんだぜ」 
 ハワードの顔に笑みがこぼれる。
「そう言うお前はどうなんだよ」 
 その言葉を聞くとハワードはゆっくりと立ち上がった。
「誰が正義で、誰が悪などということは単なる立場の違いだと言うことは俺も餓鬼じゃないんだからよくわかるよ」 
 それだけ言うと彼は再び担架の列にレンズを向ける。
「それぞれが収まるべき鞘に収まった時、この戦争は終わるのさ」 
 ハワードはそう言うと再び中腰になって、トラックに運び込まれる担架を写真に収めた。
 次々と運ばれる病人を乗せた担架。それを積み終わると北への道を急ぐトラック。運転しているのは民族衣装のゲリラである。彼らに支給する軍服は足りていないようだった。
「手回しが良いと、仕事をしていても楽だね」 
 そう言って話しかけてきたのは別所だった。その隙のない態度に思わずクリスは身を固めた。
「病院の方は?」 
「ああ、今は一息ついてるところだよ。休んでいるのは軽症の患者ばかりだからとりあえず一服しようと思いましてね」 
 そう言うと別所は笑った。どこか人を緊張させるようなところがある。クリスは彼にそんな印象を持った。
「このまま帰られるんですか?」 
 クリスの言葉に別所は無言で頷いた。出て行くトラック、また入ってくるトラック。今度は子供連れを中心とした難民がトラックに乗り込んでいる。
「嵯峨中佐か。実に欲が無い人だ」 
 クリスの言葉をはぐらかす別所。クリスはその言葉を不快に思って別所を見つめた。
「わかるよ、君の気持ちも。彼に野心があれば君はここにはいなかっただろう。しかし、嵯峨中佐には利用されているよ、君達は」 
「それで良いんじゃないでしょうか?」 
 クリスは自然に出た言葉に自分でも驚いていた。
「確かにあの人は人民軍の西部戦線での中核を担わされている。しかも相手はアメリカ軍などの地球の精鋭部隊。そして今度は吉田俊平という化け物の相手までさせられることになる。でもあの人はこのくだらない戦いを終わらせる早道としてそれを選んだ」 
「ずいぶん入れ込んでいるんだね」 
 別所の言葉を聞いたとき、クリスは自分が迷っていないことに気付いた。
「確かに、はじめはただの戦争マニアだと思ってましたよ、あの人を。だが、そう言う見方が次第に変わって行って、今こうして彼を頼りに逃げ延びてきた人達を見てわかりました」 
「そういう見方も有りますね。北兼王、ムジャンタ朝の廃帝の称号だけではこれだけの民が動くのは説明がつかない。人を惹きつける才能に恵まれている。それは認めますよ」 
 そう言うと別所は再び病人の待つテントへ向かう。クリスもまた、子供達を写真に写すハワードのところに歩き始めた。
「ああ、いましたね。ホプキンスさん!」 
 駆けてきたのは伊藤だった。珍しく動揺している伊藤を不思議そうにクリスは見つめていた。
「どうしたんですか?慌てて」 
 周りの親子連れの難民が不思議そうな顔で、息を切らして立ち止まった政治将校の様子を伺っていた。
「ちょっと……待ってください……」 
 相当走り回ったのか、伊藤はネクタイを緩めてうつむきながらしばらく息を整えていた。
「大丈夫ですか?」 
 クリスの言葉に苦笑いを浮かべる伊藤。
「実は嵯峨隊長が会わせたい人物がいると言うことなので来てくれませんか?」 
 思い当たる相手が想像できず、クリスは当惑した。難民や胡州海軍の施設である別所で十分クリスは衝撃を受けていた。それを上回る人物らしいと思うと心当たりが無かった。
「あの嵯峨さんがですか?」 
「行ってこいよ、俺はしばらく写真を取る」 
 ハワードはフィルムの交換をしながらクリスに告げた。
「そうか、じゃあ伊藤中尉、お願いします」 
 ようやく息を整えた隼は愛想笑いをするとそのまま本部へと歩き出した。本部の前では北部への出発を前にしてシャムに礼をしている親子連れの姿が見えた。彼らから見ても、黙って隣で座っている熊太郎が珍しく見えるらしく、撫でたり引っ張ったりしている。
「こちらです」 
 そんなほほえましい光景も目に入らないといった伊藤だった。彼がいつに無く緊張しているのはすぐに感じ取れた。本部ビルは相変わらず閑散としていた。だが、伊藤が厳しい視線を送る先に居る武装した人民軍の兵士が居るところから見て、人民政府の高官が来ているらしいことがわかった。
「本当に私が来て良かったんですか?」 
 クリスは小声で訪ねるが、伊藤は答えようとはしない。エレベータに乗り込む。
「なんだよあの仰々しい警備。まるで囚人じゃねえか」 
 ゆっくりと上がっていく箱の中で、伊藤は吐き捨てるようにそう言った。その憎たらしげにののしる様子をクリスは不思議に思いながら昇るエレベータの感覚を感じていた。着いたのは最上階のロビー。嵯峨が目の前の点滴を受けている老人と話を続けているのが見えた。



 従軍記者の日記 21

作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直