遼州戦記 墓守の少女
「ああ、あいつ等まで手伝い始めたか。すいませんね、俺も働かなきゃならなくなりましたんで。取材は自由でいいですよ。ここの困窮が宇宙中に知らされたならそれだけ難民への支援も集まるでしょうから……俺も隊長もどこまで行っても偽善者なんでね」
そう言うと伊藤はセニア達のところに駆けていった。クリスは一人になると、難民達を見て回ることにした。怪我人はそれほど出ていないようだが、医療スタッフが設置した大型のテントは一杯になりつつあった。点滴のアンプルの入った箱が山のように積まれているのが見える。クリスは嵯峨がこのことを予定していたことを確信した。
走り回る別所と、懲罰部隊の階級章を剥がされた制服のままの医師が走り回っている。その周りを駆け回る看護師達も緊張した雰囲気に包まれていて、クリスは取材をすることを断念した。
邪魔にならないように病院のテントを離れて散策するクリス。ゲリラが残していったテントには仮眠を取ろうと難民達が次々に腰を下ろしていた。疲れ果ててはいたが、クリスがこれまで見てきたどのキャンプの難民達より目が光に満ちていると感じた。
昨日はカネミツの整備を行っていた菱川重工の技術者達が、それぞれダンボールを抱えて、中に入った水のボトルを配っている。クリスはそんな群れを抜けて村の広場にたどり着いた。いつものように朝の光の中、夜露を反射して光る塔婆の群れ。
一人の少女が花を手向けていた。クリスが近づいていくと、その隣の大きな黒い塊が彼に振り向いた。
「元気か?熊太郎」
そんなクリスの言葉に舌を出して答える熊太郎。シャムは墓の一つ一つに花を配って回った。
「今日もお墓参りかい?」
シャムは振り向くと静かに頷いた。
「しばらくは君の友達も静かに眠れそうだね」
クリスは静かに墓に額づく。そんなクリスを見ながらシャムは笑顔を浮かべた。
「でもこれで戦いが終わるわけじゃないよ」
シャムはきっぱりとそう言い切った。見上げるシャムの向こう、広場は高台になっていて、難民の列が渓谷のヘリに消えるまで続いているのが良く見えた。
「これだけの難民をさらに北上させるとなると、難しいかねえ」
「きっと陛下がなんとかしてくれるよ」
その声には強い意志が感じられた。クリスはシャムの瞳を見つめる。熊太郎は黙って二人を見守っている。
「ああ、こんなところにいたんだ!」
そう言って息を切らして走ってきたのはキーラだった。
「二人とも食事を早く済ませてください!それとシャムちゃん。昨日シャワー浴びなかったでしょ」
「だって目に泡が入ると痛いんだよ!」
「駄目!ご飯が終わったら一緒にシャワー浴びましょうね。熊太郎もシャワーが大好きなんだから」
キーラの言葉に自然とクリスの頬が緩んだ。
「さあ、行きますか」
クリスはそう言うと立ち上がった。シャムもそれを見て立ち上がる。
「なんか僕だけ遊んでるみたいで済まないねえ」
「いえ、ホプキンスさんはそれが仕事なんですから」
クリスの言葉に黙って視線を落とすキーラ。
「いつまで続くんでしょうか?」
歩き出したキーラがクリスに尋ねた。彼女の白から銀色に見える髪が台地から渓谷を伝う風になびいている。
「ゴンザレス政権にはまだ余裕があるね。西部戦線では苦戦しているが、中央戦線では激しい消耗戦が展開されているらしい。現在の状況を見れば東和の権益の地である北兼台地をどちらが抑えるかで状況はかなり変わると思うよ。当初は地理的価値が無いとされてきたが西モスレムが三派を通じてこの内戦に干渉すると言う状態になるような気配だから、その国境線の喉首に当たる北兼台地は戦略的要衝の意味を持ってくる」
坂道を元気良くシャムが駆け足で下っていく。その後ろにつき従う熊太郎が心配そうにクリスとキーラを見つめている。
「あの人はどこまで先の状況を読んでいるのかな」
クリスはそう言って熊太郎の頭を撫でると急な坂道を滑らないように慎重に下り始めた。
「あそこに並ぶんですか?」
キーラは本部ビルを通り抜けてそのままハンガーの前の大なべに群がる難民の列へと足を向ける。良く見れば人民軍の制服を来た隊員達もその列に並んでいた。
「これも隊長の意向ですので」
そう言うと鍋から百メートル以上離れた最後尾に並ぶ三人。
「すみませんねえ、私は後でいいですから。前にどうぞ」
前に並んでいる老婆が三人に前に行くように薦めた。
「いいですよ、ここで待ちますから」
「お嬢さん兵隊さんでしょ?だったら……」
そんな老女の一言に首を振るキーラ。
「いえ、いいです本当に」
「そうかい、じゃあ私は少なくしてもらおうかねえ」
苦笑いを浮かべるキーラ。クリスもそれにあわせた。列は比較的早く流れていた。準備周到に用意された鍋と椀。いつも最上階の厨房にいる炊事班の面々が手際よく難民や兵士にスープを配っていく。
「パンなんだ。私パンよりおコメがいいなあ」
「シャム!贅沢言わないの!」
キーラと熊太郎がシャムをにらみつける。シャムは舌を出すとそのまま鍋の方に向いた。スープと受け取ったパンを口にする難民や兵士の群れを伊藤達人民党の政治局員が整理している。
「あの人も苦労性だな」
「今回の難民受け入れの件で北天から呼び出しがかかっているらしいですよ」
クリスにキーラが耳打ちをした。明らかに人民党本部に戻ればかなりの叱責を受けることは間違いないというのにそんなこととは関係なく伊藤達は鍋に並ぶ列の周りで食事をしようとする難民達をテントに誘導している。
「本当に材料が足りるのかね」
「大丈夫ですよそれは。ホプキンスさんが隊長と出かけた後に東和の人道物資の空輸がありましたから。数日分は材料の心配はしないで済むって言う話しですよ」
そう言うとキーラはようやく渡されたスープの木の椀とスプーンをクリスに渡す。
「すべては予定通りというわけですか」
クリスは目の前で椀を渡されて目を輝かすシャムの姿を観察していた。
「熊太郎の分ももらったの?」
「あ!忘れてた!すいません、もう一つください!」
シャムは立ち去ろうとする食器を配る炊事班員に声をかけた。
食べる場所が無くて、クリス、キーラ、シャム、熊太郎は鍋の裏手をぐるりと回った。薪を割る音が響いている。クリスは釣られるようにその音の場所へ向かった。薪を割っていたのはシンとジェナンだった。原木の山を崩して運んでいるのはライラである。
「御精が出るんですね」
キーラはそう言うと原木を一つ、椅子代わりにして座る。クリスもシャムも彼女の真似をしてそばに座った。
「まあ、このような状態を見て手伝わないわけには行かないだろ?それに北兼台地の戦いの間は世話になるんだ。少しは役にたっておかないと立場も無いしね」
そう言うとシンは原木に斧を振り下ろす。中心を離れたところに振り下ろされた斧に跳ねられて、原木が草叢に転がる。
「見てられないよ。ちょっとかしてね」
すでにスープを飲み終えていたシャムがシンのはじいた原木を取り上げた。彼女はそのままシンから斧を受け取ると、原木を正面に置く。
「えい!」
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直



