遼州戦記 墓守の少女
クリスのその言葉に、キーラの目が殺気を帯びて見えた。彼女の怒りにかつて自分が従軍記者をはじめたばかりのことを思い出した。それはアフリカの内戦だった。記者達は政府軍と国連軍の広報担当者の目の届く範囲だけの取材を許されていた。そこの難民は栄養状態もそれほど悪くなく、政府軍と国連軍のおかげで戦争が終わろうとしていると答えた。まるで版で押したかのように。
そんな光景に嫌気のさしたクリスが広報担当者の目を盗んで山を越えたところの管理されていない難民キャンプでの光景は今も脳裏に張り付いている。
積み上げられる餓死者の死体、見せしめに銃殺される反政府ゲリラへの協力者、もはや母の乳房にすがりつく力も無く蝿にたかられる乳児、絶望した瞳の遊ぶことを忘れた子供達。クリスはすぐに国連軍の憲兵に捕らえられて、その光景を一切報道しないと言う誓約書を書かされて、そのままその取材は打ち切りになった。
クリスはそんな昔話を思い出しながら、ただバスを降りていく難民達を見つめていた。
「嵯峨中佐はこれを偽善者ごっこと呼んだが、君はどう思う」
自然とクリスの口からそんな言葉が漏れた。キーラの肩は震えていた。
「ごっこでも何でも、どうして誰もこんなことになるまで手を出さなかったんですか?」
言葉が震えている。キーラは泣いていた。以外だった。クリスにとって戦う為に作られた神に背く存在の人工人間のキーラ。彼女が感情を露にしている光景があまりにも自然で彼女の生まれに拘ってこうして黙っている自分がおかしいように感じられてくる。
「いつもそうだよ。戦争ではいつもこうなるんだ」
声がしてクリスが振り返った先には民族衣装のシャムが立っていた。いつもの明るいシャムではない。彼女の目はようやくたどり着こうとしている渓谷に沿って続く難民の群れに向いていた。車、馬車、牛車。ある者はロバにまたがり、ある者は自らの足で歩いている。クリスもキーラも彼らから目を離すことは出来なかった。日の出の朝日が彼らを照らす。強い熱帯の日差しの中でその残酷な運命を背負った難民達の姿が闇の中から浮き上がって見えた。
髪は乱れ、着ている服は垢にまみれた。こけた頬が痛々しく、その振られることの無い腕は骨と筋ばかりが見える。護衛に出た北兼の兵士から配られたのだろう。誰もが手にしている難民支援用のレーションだが、いつ襲ってくるかわからない右派民兵組織に備えてか、手をつけずに大事そうにそれを抱えていた。
「どいてくれ!病人だ!」
サイドカー付きのバイクにまたがった兵士がサイドカーに老婆を乗せて難民の列の中を進んでくる。テントの下に寝かされている病人達の間から別所と看護士達が止まったバイクに駆け寄っていく。
「シャムちゃんは見たことがあるんだね。こんな光景を」
クリスは黙って難民の様子を窺っているシャムに尋ねた。
「この道をね、いっぱい通ったんだよ、こう言う人が。みんな悲しそうな顔をして北に逃げるんだ。でも誰も帰ってこれないよ」
静かに話すシャムの言葉を聞いて、再びクリスは難民の列に目を向けた。朝日を浴びて空から輸送機がハンガー裏の空き地に降りてくる。国籍章は東和。ハンガーにたむろしていた兵士が着陸する垂直離着陸の輸送機の方に駆け出した。
「支援物資ですね。私も行きます」
そう言うとキーラは輸送機に向けて走り出した。シャムもその後に続く。クリスはこの光景を見ながらただ呆然と立ち尽くしていた。
「もう三十年、いやそれ以上かもしれないな。地球人がいるかどうかなんて関係なくこんな光景が繰り広げられてきた」
後ろで声がしたのでクリスは振り向いた。タバコを吸いながら嵯峨は静かに座っていた。
「見てたんですか?」
「まあね」
そう言いながらタバコをふかす嵯峨。彼もまたこの国の動乱に運命をゆがめられた存在だと言うことを思い出してクリスは言葉を飲み込む。
「しかし、ここらで終わりにしたほうが良いよね」
嵯峨は立ち尽くしているクリスにそう言って立ち上がって伸びをした。
「あなたにはこの状況を終わりにするべき義務があると思いますよ」
クリスは本部に消えようとする嵯峨の背中に叫んだ。
「そうかも知れませんね。だが俺も神じゃない。でもまあ、ベストは尽くすつもりはありますよ」
嵯峨はそのまま本部に向かった。クリスは再び難民達の方に目を向けた。彼等の群れの中に向かって本部の裏手の倉庫から大量のダンボールを運び出す兵士の一群が現れた。そして輸送機からの荷物を運び出す隊員と合流してテントの下で受付の準備をしている管理部門の隊員の姿が見える。それを仕切っている伊藤を見つけるとクリスはそこに駆けつけた。
「ずいぶんと準備がいいですね」
「なにか問題あるんですか?……そこ!それは炊き出し用の白米だろ?そのまま食えるものを持って来いって言ったんだ!」
伊藤に怒鳴りつけられた政治局の腕章付きの下士官が頭を下げながら持ってきたダンボールを運び出す。
「戦争にはね、タイミングと言う奴があると隊長から言われてましてね。あなたに連絡を取ったのはこの日のためってこともあるんですよ。見ての通り遼南は貧しい。先の大戦では遼州枢軸三国と浮かれていたが、この有様を見てわかるとおり貧しい国なんですよ」
伊藤の口からの言葉が悔しさに満ちていた。クリスは彼の前に積み上げられていくレーションの山を見つめていた。難民達はすぐにそれを見つけて集まり始める。
「待ってください!数は十分にありますから!」
受付でキーラが支給品に次々と手を伸ばす難民達に声をかけていた。シャムが大きな鍋の下に入り込み火を起こしている。奥の仮説の診察室で別所は運び込まれる栄養失調の子供達の胸に聴診器を当てている。そしてハワードはそれらを一つ一つ写真に収めていた。それでもまだ難民の列は途切れることなくこの村に向かって続いていた。
「それにしてもこんなところを攻撃されたら一撃じゃないですか?」
クリスの言葉に伊藤は呆れたような視線を送る。
「エスコバルもそれほど馬鹿じゃありませんよ。上空で東和の攻撃機が警戒飛行を続けている。西部戦線では人道にうるさいアメリカ軍を主体とした地球軍が戦闘中だ。どちらも難民に共和軍が襲い掛かれば手加減せずに攻撃を仕掛けて共和軍が壊滅するくらいのことはわかりますよ」
伊藤はそう言うと上空を見上げた。いつもよりも低い高度を飛ぶ東和の偵察機が見える。
「しかし、スパイを難民にまぎれさせるなどのことはしているんじゃないですか?」
クリスが食い下がるのを見て伊藤は笑みを浮かべた。
「それはあるでしょうね。それに北兼台地南部基地の指揮官が吉田俊平にすげ代わったらしいですからそこはこっちとしては苦しいところですよ」
難民の食料を求めて集まる数が多くなってきた。それに対応するようにまだ帰還したばかりでパイロットスーツを脱いでもいないセニア達のパイロット連中までも、隣のテントに詰まれた缶詰の配布を手伝い始めた。
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直



