遼州戦記 墓守の少女
そう言いながらシンはそのまま軍服の支給を行っている伊藤のところに近づいていった。だがゲリラ達があちらこちらで立ったまま雑談をしているのでまっすぐ歩くことは出来なかった。
「それであなたはどうするつもりですか」
クリスの目の前を歩く髭を蓄えた青年将校シンに尋ねていた。
「おそらくこの状況は、ゴンザレス政権になびいた背教者達の弾丸が発射された瞬間から仕組まれていた。そして我々には共和軍と背教者が闊歩する状況を受け入れることはできない」
「それは西部戦線を突破しての帰還を果たすということですか?」
クリスの言葉に、シンはタバコをもみ消すという言葉で応じた。
「それは上層部の指示があればそう動くつもりですが、私個人としては嵯峨と言う人物に興味があります。この状況を作り出した男が何を狙っているのか、それを知らなければ次の手をこちらも打つことができないですよ」
シンの言葉にクリスはハンガーの方を振り向いた。カネミツの前部装甲板は剥がされ、駆動系部品が取り外されて冷却コンテナに収容されている。その様を見つめる嵯峨には技術者が張り付いて各部位の調整に関する説明でもしているのだろう。
「ようこそ、人民軍西部軍管区へ!」
シンに向けて言葉をかけたのは伊藤だった。シンは人民軍の政治将校の制服を着た伊藤を棘のある視線で迎えた。
「やはりその目は見たくも無いものを見たという目ですか?」
「私は無神論者とは関わりたくないんだ」
シンはそう言うと再びタバコを口にくわえる。そしてくわえた紙タバコの先に火が灯った。クリスは目を疑った。ライターを使ったわけでは無かった。それ以前にタバコにシンは触れてもいない。典型的な発火能力『パイロキネシス』
「そんなに簡単に法術を見せてもいいんですかねえ」
「なあに、この程度の芸当なら地球の手品師だってやることですよ」
伊藤の言葉に笑みで答えるシン。クリスは二人がぐるになって自分をからかっているような妄想に取り付かれていた。
「こんな力、遼州ではそれほど珍しい能力ではありませんから。ひところの自爆テロではよく使われた能力ですよ。まあこのくらいに制御できるってのは私の自慢ではありますがね」
シンは大きくタバコの煙を吸い込んだ。
「それもまた遼州人の法術の特性、『空間干渉能力』の成せる技なんだよねえ」
クリスが振り向いた先にはいつの間にか嵯峨が立っていた。
「機体のほうは?」
「ああ、やっぱり技術屋さんが乗って調整した方が早いらしいんで。それでホプキンスさん。次の出撃の時はシャムの後ろに乗ってもらいますよ」
嵯峨はそう言うとタバコを口にくわえる。彼のタバコもシンが目を合わせたときには自然に火が付いて煙を上げ始めていた。
「秘術の安売りは命を縮めますよ」
シンにそう言いながら嵯峨は満足そうにタバコを吸った。
「伊藤、志願兵の方はどうなってる?」
嵯峨の言葉に伊藤が我に返った。
「現在五千人になりましたが、この有様ですよ。まあ一万は軽く越えるでしょうね」
伊藤の言葉はもっともな話だった。森から現れるゲリラの流れは本部前まで延々と続いていた。
「偽善者の真似事の効果にしちゃあかなりの成果だなあ」
嵯峨はそう言うとそのまま本部ビルに向かって歩き始めた。クリス、シン、そしてシンがその後に続いた。そして本部ビルの前に一人の男が立っているのが見えた。
「胡州海軍?」
その男の紺色の詰襟の制服にクリスは息を呑んだ。その腕の部隊章は胡州海軍第三艦隊教導部隊の左三つ巴に二引き両のエンブレムが描かれていた。そして胸には医官を示す特技章が金色に輝いている。
「別所!忠さんは元気か?」
嵯峨は気軽にその胡州海軍少佐に声をかけた。クリスはその言葉で胡州第三艦隊司令の赤松忠満少将の名前がひらめいた。そして現在政治抗争の中にいるその主君西園寺基義大公が嵯峨の義理の兄でもあることを思い出していた。
「まあいつも通りというところですよ」
淡々と答える別所と呼ばれた少佐。彼は三人を出迎えるように本部ビルの扉を開いた。
「ああ、ホプキンスさん。紹介しときますよ。彼が胡州第三艦隊司令赤松忠満の懐刀、別所晋平少佐ですよ」
静かに脇を締めた胡州海軍風の敬礼をする男を眺めた。別所の名前はクリスも知っていた。前の大戦時、学徒出陣が免除される医学生でありながら胡州のアサルト・モジュール部隊に志願。赤松の駆逐艦涼風の艦載機の九七式を駆ってエースと呼ばれた。戦後も赤松大佐のそばにあり、今は西園寺派の海軍の切れ者として知られる男。
「私の顔に何かついていますか?」
そのままエレベータに向かう別所が声をかけてきた。
「いえ、それにしても何故?」
「いいじゃないですか。とりあえず部屋で話を聞きましょう。シンの旦那も付き合ってもらいますよ。ホプキンスさんも来ますか?」
嵯峨の投げやりな言葉に、クリスは大きく頷いた。
「じゃあ行きますか」
開いたエレベータに嵯峨は大またで乗り込んだ。
沈黙が続いたエレベータを降りた嵯峨、クリス、別所。彼等は管理部門のあわただしく動き回る隊員達をすり抜けて嵯峨の執務室に入った。相変わらず雑然としている部屋を眺めた後、嵯峨はソファーに腰を降ろした。別所も慣れた調子でその正面に座る。クリスも後に続いた。
「西園寺卿からもよろしくということでした」
「ああ、糞兄貴ね。まあ、あのおっさんはほっといても大丈夫だろ?それより何で来たの」
嵯峨はくわえていたタバコをもみ消すと上目がちに別所をにらみつけた。人を警戒する嵯峨の目。
「うちはただでさえ北天のお偉いさんに目をつけられてるからなあ。助太刀なら断るぜ」
「それほど赤松大佐は親切ではないですよ。まあこの内戦に関する胡州民派の意向を伝えておけとと言うことです」
そう言うと別所はやわらかい笑みを浮かべた。貴族特権の廃止と官僚機構の平民への開放を掲げる西園寺基義公爵は自分達を『民派』と呼び勢力結集を図っていた。軍では赤松海軍中将や醍醐文隆陸軍中将を中心に着実に勢力を拡大させていた。
「いい加減、兄貴と烏丸卿の対立止めてくれないかねえ。ただでさえ今、遼州は爆弾抱えて大変なんだ。遼南、遼北、ゲルパルト、そしてベルルカン大陸。地球人達があちらこちらの戦場を我が物顔で歩き回っていやがる」
そして胡州四大公の末席、烏丸頼盛を担ぐ勢力。『民派』に対し『官派』と呼ばれることもある勢力は先の大戦の敗北で疲弊した貴族制度の再構築を掲げ『国権派』を自称した。先の大戦で敗戦国となった胡州は今、その二つに割れていた。貴族制政治の腐敗が敗戦を呼んだと主張する民派と経済の不調を統制制度の引き締めで解決しようとする官派の対立は遼州の各国を巻き込み拡大していた。
「おっしゃることはわかります。だが、こちらとしても引くわけにはいきませんよ。平民院選挙での官派による妨害工作のことも……」
「だからそんなことじゃないんだろ?俺のところに来たのは。そっちの政治の話は東和のテレビ局にでも出演するときに頼むよ」
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直



