遼州戦記 墓守の少女
「現在、山岳民族部隊と交戦中ですが敵さんももう抵抗が無意味なのはわかってるみたいですから。もうそろそろ決着はつくんじゃないですか」
楠木の言葉に嵯峨は安心したようにハンガーへの道を進む。北兼軍の兵士達がゲリラや傭兵の死体や負傷者を運び出している。
「ずいぶん手回しが良い事ですね」
クリスの言葉に嵯峨はにんまりと笑った。
「まあ相手を知らずに戦争を仕掛けるほど俺は耄碌しては居ませんから」
そんな言葉を返す嵯峨をクリスはただ見守っていた。ハンガーに出ると、カネミツの後ろに東モスレム三派のアサルト・モジュールがあった。その足元には、アブドゥール・シャー・シン少尉が北兼軍の将校と押し問答を続けていた。
「嵯峨中佐!」
シンの叫び声が届いて、嵯峨はめんどくさそうに階段を折り始めた。その髭面の下には怒りのようなものが満ちているのがクリスにもわかった。
「これはどう言うことなんですか!」
シンの言葉に頭を掻く嵯峨。取り巻いている兵士達はどこと無くシンの雰囲気に緊張を強いられていた。
「どう言うことって、ただの民兵組織の掃討作戦ですよ」
淡々と嵯峨は言葉を並べる。
「しかし今の時期。共和軍との協定の……」
「そんな協定結んではいませんよ。俺は共和軍への攻撃はしないと言っただけ。あちらがどう解釈しようが俺の知ったことじゃない」
「しかし……」
食い下がるシンの肩に嵯峨は手を添えた。
「彼らに難民への攻撃の意思があれば出動する。それが俺らの協定でしょ?未然にそれを防いだのは当然のことなんじゃないですか。それに今回は油断をしていたこいつ等が悪い」
そう言うと嵯峨は振り返りもせずにそのままカネミツに乗り込もうとしていた。
従軍記者の日記 18
「それでは私も基地まで同行させてもらいますよ」
「ええ、どうぞどうぞ」
シンの言葉に嵯峨はそう返す。そんな姿を見ながら翻すようにシャレードに乗り込む。
「実直な好青年ですねえ。うちの餓鬼の婿にでも欲しいくらいだ」
そう言うと嵯峨はタバコをくわえながら黒い愛機に乗り込む。クリスもせかされるように後部座席に座った。
「なにか言いたいことがありそうですね、ホプキンスさん」
嵯峨はコックピットのハッチを下ろしながらタバコに火をつける。クリスはその有様を黙ってみていた。クリスはただ黙って目の前の怪物のような心の男に目を向けていた。
「言いたいことは言っちまったほうがいいですよ。まあ大体何を良いたいかは見当がつきますが」
「あそこでの実験はなんなんですか?」
とりあえずクリスが言葉に出したのはそのことだった。嵯峨は頭をかきながらエンジンに火を入れた。
「典型的な人体実験って奴ですよ。ここらの山岳民族を拉致して法術能力の開発テストを行っている。それがこの基地に親切なアメちゃんがやってきた理由ですわ」
嵯峨はシンのシャレードの後ろに続いて坑道を進んだ。
「それはわかります。確かにこの基地にいたのは合衆国の軍人だった」
「そうですねえ。まあ法術関連の技術についてはアメリカは前の戦争で貴重な実験材料を手に出来たので非常に進んでいますねえ。東和の次ぐらいの研究成果は提出できるレベルなんじゃないですか?」
タバコの煙がクリスを襲う。手でそれを払いながらクリスは言葉を続けようとしたがそれは嵯峨にさえぎられた。
「だが、どちらも法術と言うものの存在を発表していない。今のところそれは存在しないことになっている」
嵯峨はそう言い切って後続のシン達の期待を確認するためだけに振り向く。いつものふざけたような表情はそこにはなかった。
「確かにこの事実が公にされればこの非人道的な実験を認めなければならなくなる」
「まあ、それもあるんですがね。それは実は些細な理由でしかありませんよ。本当の理由。それは法術と言うものが今公になれば遼州人に対する地球人の差別感情に火が付くことになるでしょうね。ただでさえ遼州の不安定な政治状況の結果、地球に流れ込んでいる難民の問題で世論は二つに割れてる。税金泥棒扱いされている遼州難民が実は超能力を持ったインベーダーと言う話になれば感情的になった地球人の天誅組がハリネズミのように武装して難民キャンプを襲撃する事件が山ほど起きるでしょうね」
淡々と答える嵯峨。彼の表情が珍しく真剣だった。
「だから、今はこのことは見なかったことにしていただけませんか?」
嵯峨はそれだけ言うと基地に向かって機体を一気に加速させた。クリスは言葉が無かった。ネタとしては最高の話題。だがそれを公にすれば銀河に騒乱の火種を撒き散らすことになるのは間違いない。黙ってうつむくクリス。ちらりとそれを見ながら椅子の下から軍帽を取り出して被る嵯峨。
『嵯峨惟基中佐。先導お願いします』
「わかりましたよー」
シンの言葉に返す嵯峨はいつもののんびりとした調子に戻っていた。滑るように森の木々すれすれにカネミツが飛行を開始する。
「なるほどねえ、シンの旦那が虎と呼ばれる理由もよくわかるわ。動きに無駄ってものがねえな」
嵯峨はそう言うとまたタバコを取り出して火をつけた。渓谷の峰にちらほらと山岳民族のゲリラ達が嵯峨の機体に手を振っている。
「山岳少数民族の難民救援劇。そう書いてもらいたいと言うことですね」
クリスの言葉は嵯峨の笑顔に黙殺された。沈黙が続く。クリスは話すつもりの無い嵯峨から意見を聞こうという意欲を無くしていた。そうして沈黙のまま嵯峨のカネミツとシンのシャレードは基地の格納庫前に着陸した。
クリスは周りを見渡した。その風景は出撃前とは一変していた。
紺色に染め抜かれた笹に竜胆の嵯峨家の旗印が人民政府の黄色い星の旗と同じくらいにたなびいている。数知れぬ数の遊牧民のテントが作られ、銃を持った山岳民族のゲリラ達が徘徊している。
目の前のモニターの電源が落ちてコックピットが開く。嵯峨は満足げにその様を見つめていた。クリスが降り立つとすばやく青いつなぎの集団がそれを取り巻いた。
「嵯峨中佐。機体の感触は……」
「遊びが多すぎるよ。あれじゃあ機体の制御に誤差が出る。もう少し調整してくれないと次乗る気無くすよ」
「ですが、あれでもかなり……」
技術主任を問い詰めている嵯峨。その周りの菱川の技術者は機体を固定して装甲板の排除にかかった。
「あれでは話は聞けませんね」
降り立ったクリスの前にシンが立っていた。彼は静かにタバコをくゆらせながら周りの光景を眺めていた。
「さすがに北兼王殿下の御威光という奴ですね。正直これほどにゲリラの支援を受けられるとは……」
本部のビルの前にはまちまちの民族衣装を着た山岳ゲリラ達が並んでいる軍服の支給を受ける列が出来ていた。
「私が出るときはこんな風になるとは……」
「おそらく嵯峨中佐はすべてを計算に入れて情報を流していたのでしょう。山岳民族にとって右派民兵組織とそれを指導するアメリカ陸軍特殊部隊は恐怖の対象でしたから。それに悲劇の北兼王、ムジャンタ・ラスコーは彼らにとっては今でも彼らを導く若き指導者と言うことなのでしょうね」
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直



