遼州戦記 墓守の少女
「大体、東モスレムの独立など無理なんだ!資源はどうする?経済は?すべて我々遼南に依存することになるんじゃないか!」
「遼南だけが東モスレムの頼みではありませんよ。最近では内乱の続く遼南ルートよりも西モスレムからのルートで貿易が行われていますから」
静かに、冷静に、若いジェナンの言葉は待合室に広まった。小男の顔が赤く染まり始める。言うことすべてを切り返されている彼。クリスもこういう短絡的な士官には泣かされてきたということもあり、ニヤニヤ笑いながら小男の次の言葉を期待していた。
「こらこら、いじめちゃあ駄目じゃないですか」
突然間抜けな声が響いた。嵯峨だった。クリスはライラの方を見つめた。先ほどの戸惑いは消え、憎しみに満ちた視線を嵯峨に向けて送っている。その後ろから髭を蓄えた若いアラブ系の青年が現れた。
アブドゥール・シャー・シン少尉。東モスレム三派のプロパガンダ映像では何度と無くその勲功と共に掲げられた写真を見てきたクリスだった。
「難民の誘導はジェナンとライラ、それにここには居ないがナンバルゲニア・シャ……」
「居るよ!」
突然彼らの背後で元気な少女の声が響いた。そこにはシャムがいつもの民族衣装を身に着けて、なぜかメロンパンをかじりながら立っていた。
「おい!後ろのはなんだ!」
ライラが叫ぶのも無理は無い。シャムの後ろには熊太郎が巨体を揺らし、ライラをにらみながら鎮座していた。
「ああ、この子は熊太郎。太郎って名前だけど女の子なんだよ」
シャムは無邪気にそう答えた。じっとシャムはライラを見つめる。ライラも負けじとシャムをにらみつけた。
「ああ、良いかね」
話を切り出したのはシンだった。髭を撫でながら静かな調子で話し始める。
「ライラ、我々の目的を忘れないでいてくれよ。目的は敵討ちでも議論でもないんだ」
シンの目がライラを捉える。彼女は上官の面子を潰すわけにも行かず、黙ってうつむく。
「現在、この基地の兵員が給水車を手配して難民に支給を始めている。ここでの暴発はとりあえずすぐには起きないだろう。それは専門家もそう分析している」
今度はシンの視線は嵯峨の方を向いた。水の支給と言う懐柔政策。おそらく嵯峨が提案したのだろうとクリスは思った。
「だが、ここから北兼軍の支配地域までの50キロの道のりは共和軍支持の右派民兵組織の支配下にある。残念だが、ここの基地司令には彼らに攻撃停止命令を出す権限がないということだった」
その言葉に共和軍の兵士達は動揺していた。シンは淡々と言葉を続ける。
「しかし、難民に対する攻撃にはこの基地の所属部隊には毅然とした態度を取ってもらうということで話はまとまっている。そこでだ。ジェナン!ライラ!」
「はい!」
二人は立ち上がって直立不動の姿勢をとった。
「君達は先行して脱出ルートの安全の確保を頼む。攻撃があった場合には全力でこれを排除するように」
「了解しました!」
ジェナンは良く通る声でそう答えた。ライラは腑に落ちないような表情を浮かべていた。
「そしてナンバルゲニアくん」
「シャムで良いよ!」
メロンパンを食べ終えて一息ついていたシャムに視線が集まった。
「君は最後尾について脱出の確認をしてくれたまえ」
「了解しました!」
シャムは最近覚えた軍隊式の敬礼をした。
「私は上空で待機する。今回の行動は人道的な処置として東和政府にも話がつけてある。彼らも偵察機と攻撃機を派遣して右派民兵組織の襲撃に備えてくれるそうだ。そして嵯峨中佐」
「はい?」
相変わらず間抜けな返事をする嵯峨。
「先行して受け入れ準備をお願いします」
「ああ、まあ俺が直接顔を出さなきゃならないこともあるでしょうからね」
そう言うと嵯峨はタバコに手を伸ばした。
「ライラ」
嵯峨はタバコに火をつけながら彼をにらみつけている少女の名前を呼んだ。少女は気おされまいと必死の形相で嵯峨をにらみつけている。恐怖、憎悪、敵意。そんな感情を鍋で煮詰めた表情。クリスはそれがどの戦場で同じ目を見たかを思い出そうとした。
「すまねえな。俺はしばらくは死ねねえんだ」
嵯峨はそう言ってタバコの煙を天井に吐き出す。その姿にライラは肩を震わせながら精一杯強がるような表情を浮かべた。
「しばらく?どこかの誰かに八つ裂きにされるまでの間違いじゃないの?」
声を震わせて皮肉をこめてそう言うライラに、いつもの緊張感のかけらも無い嵯峨の視線が向く。
「安心しろよ。俺はそう簡単に討たれるほど馬鹿じゃねえからな。この戦争が終わったら俺のところに来い。この首やるよ」
そう言いながら嵯峨は自分の首をさすった。それだけ言うと嵯峨はポケットから携帯灰皿を取り出してタバコをもみ消した。
「さあホプキンスさん。出かけましょうか」
振り向いて歩き始める嵯峨。唖然とする一同を振り向くことも無く自分の愛機に向かって歩き出す。
「本当にそのつもりなんですか?」
「何がですか?」
クリスの言葉にとぼけてみせる嵯峨。とぼけた表情で悲しく笑う嵯峨。広い舗装された基地を嵯峨は刀を腰の金具から外して肩に乗せて歩く。
「ホプキンスさん。あのね……」
検問所の前に給水車が並んでいる。難民は共和軍の兵士達から水の配給を受けていた。
「まあ口に出しても嘘っぽいから止めとこうかと思ったんですがね、一応俺も人間なんで言わせて貰いますよ」
そう言うと嵯峨は路面に痰を吐いた。品のない態度にいつものようにクリスは嵯峨をにらむ。
「この国には、こんないかれた騒ぎであふれかえっていやがる。親子が憎みあい、兄弟が殺し合い、愛するものが裏切りあう。遼南の現状とはそんなもんです。俺もその運命には逆らえなかった」
四式の前で立ち止まる嵯峨。彼はただ呆然と自分の機体を見上げていた。
「俺の首一つでその悲劇が終わりになるなら安いもんでしょ。ホプキンスさん。こう考えることは間違ってますかね?」
嵯峨の視線がクリスを射抜く。その視線はこれまでのふざけたような影はまるで無かった。父には玉座をめぐり命を狙われた。妻は故国の正義を信じると言うテロリストに殺された。弟は政治的駆け引きに利用されることを恐れて殺さざるを得なかった男の視線。それはクリスが見たどんな人物の瞳とも違うものだった。
言葉が出なかった。クリスはただ黙っていた。そのまま四式の手を伝ってコックピットにたどり着いた嵯峨が、後部座席に乗るはずのクリスを待っていた。
「私には答えられませんよ。あなたに比べたら私は幸せすぎたかもしれませんから」
そう言って立ち尽くすクリスを呆れたと言うように肩を落として見つめる嵯峨。
「あのねえ、俺は自分を不幸だとは思っていませんよ。楽があれば苦がある。それが人生。それで良いじゃないですか」
後部座席に乗り込むクリスにそう言いながら、嵯峨はいつもの帽垂付きの戦闘帽を被りなおした。
従軍記者の日記 17
「そんじゃあ、出ますよ」
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直



