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遼州戦記 墓守の少女

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 クリスは少年兵に継がれた日本茶を口に含んだ。遼南の南部地方の茶畑は地球でも珍重される南陽茶の産地である。この甘みを含んだ茶を飲めることは遼南の取材を始めた時からの楽しみだった。だがライラの剥き出しの敵意を受けながら飲むお茶には味を感じることは出来ない。
「じゃあなぜそんな残忍な男の乗る特機なんかで取材にまわってるのよ!」 
 クリスの一息ついたような顔にライラの苛立ちはさらに募った。
『俺もだいぶあの昼行灯に毒されてきたな』
 そんなことを思いながらクリスは湯飲みをテーブルに置いた 
「そうだな。私もよくわからない」 
 クリスの言葉に、ライラの表情が侮蔑のそれに変わった。だが、クリスは言葉をつないだ。
「しかし、彼は王族の伝を使うことなく徒手空拳からこの北兼台地の北に広がる地域の軍閥の首魁となった。そして彼を慕う多くの兵士達が今も戦っている。その理由を私は知りたいんだ」 
 クリスはそう言うとライラの顔を見た。戸惑いのようなものがそこにあった。クリスは彼女に多くを語るつもりは無かった。戦場で、憎しみと悲しみを経験した人々を取材しながら得た作法。彼ら自身が今の自分を落ち着いてみることが出来なければ語りかけるだけ無駄なことだ。そんな教訓が頭の中をよぎっていた。
 じっとクリスをにらみつけるライラ。だが、今の彼女には何を言っても無駄だとあきらめ、クリスは再び自分で急須にお湯を入れた。
「難民の状況はどうなんですか?」 
 ジェナンと言う東モスレム三派の士官は、落ち着いた調子で自分達を取り巻いている兵士達に声をかける。兵士達は困惑していた。彼らも今の状況を把握できてはいないのだろう。
「増えてはいるが減る見込みは無さそうと言うのが現状だな」 
 ジェナンの言葉を扉の向こうで聞いていたらしい通信部隊の士官と思われる、いかつい体格の男が現れた。兵士は彼に敬礼をする。
「クリストファー・ホプキンスさん。お目にかかれて光栄ですね」 
 口ひげを蓄えた男は右手を差し出した。
「どちらで私のことを?」 
「西部に向かったアメリカさんの部隊が軍の機関紙を残していきましてね、暇に任せて読んでみたんですが……」 
 男は静かに笑みを浮かべた。半袖の勤務服から伸びる腕に人工皮膚の継ぎ目が見えるところから、サイボーグであることがわかる。
「お名前聞いてもよろしいでしょうか?」 
「一地方基地の将校の名前なんか聞くのはつまらないでしょう?」 
 どこかなれなれしい調子で話しかけてくる男にクリスは興味を覚えた。
「一応、読者の意見と言うものも聞かないといけないと思っているので」 
 そんなクリスの言葉に、どこか棘のある笑みを男は浮かべた。
「成田信三って言います。ここの通信施設の管理を担当していましてね」 
 男は目をライラの方に向けた。ライラの目は憎しみに燃えた目と言うものの典型とでも言うべきものだった。
「通信関連の責任者ならご存知でしょう。難民の方は……」 
「ジェナン君。聞いているよ君の噂は、なんでも北朝の血を引いている東モスレムの若き英雄。いいねえ、若いってことは」 
 そう言いながら成田は部屋の隅に置かれた紙コップを手に取ると、自分の分の茶を注いだ。
「難民の北兼軍閥支配地域への移動を支援すると言うことでまとまってきてるよ、話し合いは。上を飛んでる東和の偵察機の映像がアンダーグラウンドのネットに流出して大騒ぎになってるからな。もし、ここの検問で銃撃戦にでもなったら基地司令の更迭どころじゃ話がすまなくなりそうな状況だ」 
 成田は悠然とそう言うとクリスの正面に腰を下ろした。
「しかし、ライラ君だったかね。そんなに嵯峨と言う男が憎いかね」 
 成田は茶を口に含みながらつぶやいた。
「父の仇ですよ!……憎いに決まってるじゃないですか!」 
 ライラはクリスに当り散らした後で、少しばかり冷静にそう答えた。
「殺されたから殺す。悲劇の連鎖か。あの御仁にも娘さんが二人いたと思ったが、今度は君が彼女達に狙われることになるわけだな」 
 一瞬、ライラの表情が曇った。そのようなことは考えたことも無い、そう言う顔だ。クリスは何故成田がそれほど嵯峨の肩を持つのか不思議に思いながら二人のやり取りを眺めることにした。
「それは……覚悟してます」 
「本当にそうかね?今の今まで気がついていなかったような感じに見えるけど」 
 ライラは戸惑っていた。伯父の双子の娘、茜と楓。クリスは嵯峨の執務机の上、いつも荷物の下に隠してある写真のことをクリスは知っていた。そこには大戦中に取られた嵯峨と妻のエリーゼと双子の乳飲み子の写真と、くたびれた背広を着込んだ嵯峨を挟んで立つセーラー服の少女と胡州海軍高等予科学校の制服を着た少女の写真が並んでいた。
 嵯峨の妻、エリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨は前の大戦の最中、戦争継続に反対する嵯峨の義父、西園寺重基を狙ったテロにあい死亡していた。セーラー服の少女は嵯峨茜。現在は東和の女学院高等学校付属中学に通っているという。予科の制服の妹、楓は胡州海軍第三艦隊で研修中だとクリスは話好きな楠木から聞いていた。
 ライラも二人の従妹のことは知っているようだった。明らかにそれまでの憎しみばかりに染まっていた視線はうろたえて、成田とクリスの間を泳いでいる。
「迷うなら見てみることだな。嵯峨と言う人物を。それから考えても遅くは無いだろ?」 
「あなたは何でそんなに嵯峨惟基の肩を持つんですか?」 
 肩を震わせながら、ついにうつむいたライラはそう言った。
「なあに、人間長く生きていればいろいろ学ぶこともあるということさ。この三十年。遼州ではいろんなことが有り過ぎた。嫌でもなんでも覚えちまうんだよ、心がね」 
 そう言うと成田は茶を飲み干してそのまま立ち上がった。
「さあて、仕事でもするかなあ。もう会合も終わったみたいだしね」 
 軽く歩哨達に敬礼すると成田はそのまま待合室から出て行った。
 クリスはライラの方に目をやった。彼女は明らかに迷っていた。それも良いだろう。若いのだから。クリスはそう思いながら急須にお湯を注いだ。
 成田と入れ違いに入ってきた将校は、静かにクリス達を眺めていた。その極めて事務的な感情を押し殺した顔に嫌悪感を感じながらもクリスは茶をテーブルに置いて立ち上がった。
「会談は……」 
 目だけでクリスを見つめる将校。
「今、終了したところだ。難民の誘導は君達に一任することになる」 
 忌々しげに吐き捨てるその浅黒い肌の小男に、クリスは言いようの無い怒りを感じながらも、そのまま黙って歩き回る彼を見つめていた。
「すべての元凶は東モスレムのイスラム教徒達にあるわけだが……」 
「いえ、言葉は正確に言うべきです。あなた方と同じ命令系統で動いた親共和軍派のイスラム系民兵組織の行動と言うべきですね」
 ジェナンの声が鋭く響いた。クリスはそれが先ほどまでライラをたしなめていた温和な青年の言葉とは思えず、ジェナンの顔をまじまじと見つめた。
 小男は鋭く視線をジェナンに向けた。
「すると、君はすべての責任は共和軍にあると言うのかね?」 
「違いますか?」 
 ジェナンの笑み。それは明らかに小男を挑発していた。
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直