遼州戦記 墓守の少女
一つの都市伝説として知られる『王家の力』。それは透視、空間干渉、思念介入と言った超能力者の部類に入るような力を持った存在がいるらしいというものだった。遼南王家は一切その件には沈黙を守っていただけに真実味がある。兵士達の顔が不安に包まれる。
「安心していいっすよ。俺は今のところそんな力を使う気は無いですから」
「じゃああなたは力が使えるんですか!」
幼く見える少年兵士が叫んだ。
「どうでしょうねえ。否定も肯定もできませんね、使えるかもしれない……あるかもしれない。そんなところでしょうか?不気味でしょ?それが俺の切り札でね」
そう言うと嵯峨はヘルメットの下から見える頬を緩めた。
「しかし、何ですかねえ。あちらさんもにらみ合いは疲れたでしょうに」
嵯峨はようやくコックピットから降りようとしている三派連合の隊長機を見つめていた。
「人の心配をしている場合じゃ……!!」
剣を預かっていた若い兵卒が急に剣を落としそうになった。傷がつけば駆逐艦一隻分の金額を請求されると思っていた彼が無理に手を伸ばしたのが悪かった。剣は地面に転げ落ちると誰もが思っていた。
しかし、剣は滑るように地面を飛んで嵯峨の手に握られた。
「危なかったなあ。ちゃんと持っといてくれないと」
嵯峨の言葉を最後まで聞くだけの度胸のある兵士はいなかった。彼らはそのまま蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「なんだよ。人のものが傷つくかもしれなかったって言うのにな」
「嵯峨中佐!」
クリスのその言葉に嵯峨は振り向いた。仮面の下ではいつもの困ったような顔をあるに違いない。
「見ました?」
嵯峨はそう言うとポケットを漁る。
「釣り糸、忘れたなあ」
「そうじゃないでしょ!今のはなんなんですか!」
確かに今の動きは嵯峨が剣を操っているとしか思えなかった。当然すべてを見ていたクリスにはこの芸当が手品などで無いことは分かっている。
「ちょっとしたお座敷芸。と言うことでどうです?」
嵯峨はそう言うと今度は自分の軍服のポケットからタバコを取り出して火をつける。
「それがちょっとしたお座敷芸?それなら……」
「ああ、なんならアメリカ陸軍に問い合わせてくださいよ。俺が知っている以上にあちらさんは俺のことを良く知っていますから」
嵯峨はそう言うと剣を腰の金具に取り付けた。本部のビルと思われるところで逃げ出した兵士が上官に何かを訴えているのが良く見える。
「まあ、初めて見る人には刺激が強すぎたかねえ」
タバコの煙が目にしみたクリスの表情を察して、嵯峨はタバコを携帯灰皿に放り込むと、四輪駆動車でこちらに向かってくる士官を待っているように直立不動の姿勢をとった。
「こいつはどうも」
降りてきた基地の幹部に嵯峨は敬礼をする。初老の共和軍の中佐は怪訝そうな視線を嵯峨に送る。
「嵯峨惟基中佐。難民の件で話をしたいとのことだが……」
「やっぱり基地司令は出てきませんか。それじゃあこっちから出向きましょう」
そう言って歩き出そうとする嵯峨の前に運転してきた士官が立ちはだかる。
「貴官の要求は基地司令に聞かせる!このまま帰りたまえ!」
「このまま帰れだ?なんなら帰るついでにここを血の池地獄に変えても良いんだぜ」
これまでと明らかに違うどすの利いた恐喝染みた口調の嵯峨。一同は明らかに怯んでいる。嵯峨はさらに追い討ちをかける。
「あんた等は状況がわかってるのかよ。あちらの三派の機体。そして俺とあの白い機体。現状じゃあこの基地を攻撃できる機動部隊は二つはあるってこと。それにあの難民の群れだ。ここの基地の鉄条網が破られたら乱入してきた難民になぶり殺しにされることくらい考えが回るんじゃないの?」
仮面の下だが、クリスはその口調から嵯峨が下卑た笑いを浮かべていることが想像できた。
「ならなぜこれまで攻撃してこなかった!」
白いものの混じる髭を直しながら、どうにか体勢を持ち直した少佐がそう叫んだのは無理も無いことだった。
「あのねえ、ここを攻撃するのは簡単ですよ、それは。だけどねえ、北兼台地の入り口であるここを維持するのは俺も難しいと思いますよ。うちが何機のアサルト・モジュールを持っているかは言うまでも無くそちらさんでつかんでいるでしょうが、もしここをすぐに北兼台地制圧の拠点にしようと思えば、この馬鹿みたいに目立つ台地の上、さらに街道の周りには障害物は何も無い。南部に見える山岳地帯の稜線沿いに砲台を並べりゃこの基地は良い的だ。本気でここを守るにはざっと見てあと三倍のアサルト・モジュールが必要になる」
そう言うと嵯峨は再びタバコに火をつける。
「一方、俺がここを攻めたとして近隣地域制圧のために必要な歩兵部隊、治安維持に必要な憲兵部隊、それに右派民兵の奇襲に備えての機動部隊。必要になるものばかりですわ。とてもじゃないが、今はこの基地は落とせないっすよ。今はね」
『今は』と言うことを強調する嵯峨。共和軍の少佐は言いたいことが山ほどあると言う表情で嵯峨をにらみつける。
「怖い顔しないでくださいよ。俺はシャイなんでね。だからこんな仮面をつけないと……」
「ふざけるな!」
「そうですか」
聞き分けの無い子供をあやすような声を漏らした後、嵯峨はヘルメットに手を当てた。将校が、しまったと言う顔で嵯峨に手を伸ばす。だが、嵯峨は何事も無かったようにヘルメットを脱いだ。悪戯を咎められた子供のような視線が共和軍の士官達を射抜いた。
「まあ、何度も言ってますが、喧嘩しに来たわけじゃないですからね」
足元に手にしていたヘルメットを放り投げる嵯峨。
共和軍の士官の顔が青ざめた。目の前にいるのはニュース映像でもよく出てくる北兼軍閥の首魁、嵯峨惟基のそれだった。
なぜ彼が奇妙なヘルメットを被っていたのかは、先ほど逃げ出した兵士から聞かされていたようでその足はがたがたと震えている。
「なんすか?取って食うわけじゃ無いんですから。いい加減、司令官殿にお目通りをお願いできませんかねえ」
クリスは一向に嵯峨がヘルメットを拾いそうにないと見てそれをまた持ち上げた。今度は嵯峨は彼に見向きもしない。その視線は共和軍の初老の佐官に送られている。
「それでは少し待ちたまえ」
そう言うと佐官は車の中の兵士に目配せした。
「あと、あそこの勇者も仲間に入れてやったほうが良いんじゃないですか?」
嵯峨はタバコの煙の行く先で押し問答を続けている東モスレム三派の英雄、アブドゥール・シャー・シン中尉の機体に目を向ける。
「わかった。これから調整する」
佐官はそのまま無線機に小声でささやいている。嵯峨はそれを満足げに眺めながらタバコをくゆらせる。
「まだっすか?」
嵯峨特有の自虐的な笑みがこぼれる。画像通信でもないのに頭を下げる佐官を見てクリスも噴出すのを我慢するのが精一杯だった。
「嵯峨中佐。来たまえ。それと記者の方は……」
「茶ぐらい出してやんなよ。わざわざ地球のアメリカからいらっしゃってるんだからさ」
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直