遼州戦記 墓守の少女
ハワードはそう言うと再び被服を受け取る懲罰兵の方にカメラを向けた。そう言われて思わず照れた笑いを浮かべるクリス。
「じゃあ、行ってくるか」
そうハワードに告げて、クリスは本部の建物に向かった。比較的閑散としているのは格納庫がほぼ完成しつつあり、多くがその見物に出かけているからだろうとクリスは思った。
そこで珍しく喫煙所でタバコを吸っている楠木が目に入った。
「ご苦労さんですねえ」
そう言うと楠木はくわえていたタバコを手に持った。
「ゲリラの方はどうなっているんですか?動きがあったという話は聞かないんですが」
「ああ、今は隊長が自重するようにと言ってますから。とりあえずにらみ合いですわ」
そのままタバコを灰皿に押し付ける楠木。
「近いうちに動きがあると?」
「まあそうかもしれませんがね」
そのまま腰を上げ、楠木は管理部門の方に歩き出した。クリスはそのままエレベータの前に立つ。上に上がるボタンを押して静かにエレベータが来るのを待っていた。
「どうですか?慣れました?」
そう後ろから尋ねてきたのは明華だった。この部隊の人々は妙に人に絡んでくる傾向がある。それだけ人を信じているのかもしれない、そう思いながら小柄な明華を見た。幼く見える面立ちの中にも技術班を統べる意思の強さを感じさせる瞳にクリスは少し気おされていた。
「まあ慣れたといえば慣れましたがね」
そう言うと開いたエレベータに乗り込むクリスと明華。
「そう言えば柴崎機は誰が引き継ぐんですか?予備のパイロットはいないようですが、もしかして懲罰兵から引き抜くつもりだとか……」
「私が乗る予定ですよ」
明華はそう断言した。いまひとつピンと来ていないクリスを眺めながら明華はもう一度口を開いた。
「一応、私も二式のテストには参加していますから。あれはかなり扱いに癖のある機体ですから。それに機種転換訓練が出来るほど余裕がある情勢では無いですからね」
明華はそう言うと三階のフロアーに停止したエレベータから降りていった。
クリスはそのまま明華が降りた上の階でエレベータを降りた。部隊経営の事務方のエリアらしく。隊員が書類を持って走り回っている。クリスはその間をすり抜けながら連隊長室をノックした。
「どうぞ」
嵯峨の声が響く。入るとそこではボルトアクションライフルのバレルを取り外して掃除している嵯峨の姿があった。クリスもこちらに部隊が進出してから初めて嵯峨の執務室に入ったが、ある意味、嵯峨と言う人物をこの部屋があらわしているように感じた。
まだ4日も経っていないというのに、この部屋には物があふれていた。ソファーには東洋の楽器と言うイメージしかない琵琶が置かれている。テーブルには拳銃がばらされた状態で放置されている。机の上には決済済みの書類が詰まれ、その隣には通信端末が運ばれた時のまま緩衝材を被った状態で鎮座していた。
「ああ、すいませんねえ。取材中でしたか?」
クリスの方を向き直り、嵯峨がにやりと笑った。
「いえ、いずれ彼らからもインタビューを取りたいんですが……」
「ああ、良いですよ。まああまり愉快な話は聞けないとは思いますがね」
そう言うと嵯峨は机に置いてあったタバコに手を伸ばした。
「それとこっちでもちょっと愉快とは言えない話が入ってきましてね」
そう言うと嵯峨は琵琶の隣に腰掛けた。向かい合ってクリスが座るのを確認すると嵯峨はタバコに火をつけた。
「どうしたんですか?」
クリスの言葉を聞いているのかいないのか、嵯峨は琵琶を手に取ると調律を始めた。その慣れた手つきを見て、目の前の男が胡州貴族の名家で琵琶で知られた西園寺家の縁者であることを思い出した。
「一応、嵯峨の家の芸はコイツでしてね。演奏しましょうか?」
「ごまかすのは止めてください。何が起きたんですか?」
苛立つクリスを見てまた笑みを浮かべる嵯峨。彼はそのままタバコの灰をテーブルの灰皿に落とす。
「難民がこっちに向かっているとの情報が入ったんですわ」
嵯峨はそう言うとクリスの反応を見た。クリスはその言葉につい前のめりになっていた。
「共和軍が何かやったんですか?」
「いや、そんなことは無いと思いますよ。あちらさんも馬鹿じゃない。下手にゲリラ狩りを敢行すれば地球から支援に来ている各国の部隊が引き上げるなんて言う最悪のシナリオになりかねない。そのくらいのことがわかる分別はあるみたいでね、あちらの指揮官にも」
再び口にくわえたタバコから煙を吸い込む嵯峨。クリスは黙ってその姿を見守っていた。
「先日、ゴンザレス政権支持派の民兵組織が東モスレムへの越境攻撃をかけましてね。あちらではいつ本格的な民兵の侵攻が開始されるかってことで、パニックが起きているそうですわ」
事実ここから東に300kmも行けばイスラム系住民の多く居住する東モスレム州にたどり着くことになる。そこでは先の大戦の時期からイスラム系住民と仏教系住民の衝突が頻発していた。その対立は共和軍の介入で本格的武力衝突へと発展した。
ゴンザレス共和政府支持派に西モスレム系イスラム武装組織が接近している話はかなり前からあった。一方で東和に支援されたイスラム、仏教、在地信仰現住部族の三派連合が自治政府を名乗り共和軍支持派と激しい戦闘を繰り広げている無法地帯だった。そんな逼迫した状況だと言うのに嵯峨はのんびりと構えてクリスの出方を窺っていた。
「そうすると南と西には逃げられない住民が保護を求めて逃亡していると言う事ですか。規模はどれくらいですか?」
クリスの言葉に耳を傾けながらも琵琶を触っている嵯峨。静かに彼は口を開いた。
「こう言う状況では次第に雪だるま式に難民は増えるものですよ。うちに協力的なゲリラ勢力には彼らの保護を指示していますからどうにか統制は取れているみたいですがね。それでも少なく見積もって一万人。多ければ五万はいるかも知れませんな」
この人は状況を楽しんでいるのではないか?クリスはこの事態でも平然とタバコを吸って表情を崩さない嵯峨に恐怖のようなものを感じた。
「ですが、こちらとにらみ合っている共和軍は黙って通すでしょうか?」
「それが頭の痛いところでね。あまり優しい対応は期待できそうに無いですから。うちが見殺しにすれば地球各国に格好の兵員増派の口実を与えることになりますねえ。ようやく西部戦線で光明が見え始めたときに水を差すのは……どうもねえ」
嵯峨は頭を掻いている。
「護衛の戦力を出すつもりは?」
クリスは苛立ちながらそう尋ねた。その言葉ににやりと嵯峨は笑みをこぼした。
「ありますよ。それなりに少数精鋭なアサルト・モジュールを二機派遣するつもりでね」
その言葉がどうにもクリスには脳に絡みつくように聞こえた。明らかに自分とシャムで出る。そう言っているように聞こえた。
「それでは私には四式の後部座席を空けて置いてください」
「ああ、やっぱり俺が出るってわかりましたか。じゃあ相方もわかってるんでしょ?」
嵯峨はそう言うと吸いきったタバコを灰皿に押し付ける。
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直