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遼州戦記 墓守の少女

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 キーラが口を開いた。だがクリスは言葉が中々出てこなかった。
「ああ、別になんでもないよ」 
 たったそれだけの言葉だったが、キーラは安心したような表情を浮かべたあと、早足でシャムのほうに向かった。それをちらりと振り返ると今度はとんでもないスピードで悪路を走り始めるシャム。
「ホプキンスさん。シャムちゃんを見失っちゃいますよ!」 
 振り返ったキーラの言葉にクリスは笑顔を返すと、そのまま石造りの急な坂道を早足で登り始めた。村の中央の高台。初めてここに来た時は夜でよくわからなかったが、この墓の並ぶ広場は延々と続く北兼台地の入り口を見渡せる景色のよい場所だとわかった。シャムは摘んできた花を一本一本墓に手向ける。その隣では静かに花の入ったかごをくわえて待つ熊太郎の姿があった。
 泣いていなかった。シャムは泣いていなかった。
「奴は強いねえ、さすが騎士だ」 
 クリスは不意に後ろからの声を聞いて振り返った。嵯峨がタバコを吸いながら近づいてくる。
「ホプキンスさん。昼飯、一緒にどうですか?」 
「ええ、まあ」 
 曖昧にクリスは答えた。確かにそんな時間になっていた。
「ホプキンスさん。お仕事でしょうから……。シャムちゃんは私がつれて帰ります」 
 キーラのさびしげな言葉。嵯峨はそれを聞いてにやりと笑うと、そのままクリスを誘うように本部の建物に向けて歩き始めた。
「いやあ、午後にちょっとした人員補給のイベントがありましてね」 
 嵯峨は歩きながらそう漏らした。
「この近くに村でもあるんですか?」 
 クリスのその言葉にも嵯峨の笑顔は消えない。
「そこのところは食事でもしながら」 
 そう言いながらもう完全に前線基地の格好を取り始めた古びた保養施設の建物に入る。
「ここの食堂の風情はそこらの軍隊には負けないでしょうねえ」 
 そんなことを言いながらエレベータのボタンを押す嵯峨。論点をずらそうとしているのがさすがに腹に据えかねてクリスの語気も荒くなる。
「それでは魔女機甲隊から引き抜くんですか?」 
 そう尋ねるクリスに嵯峨は振り向くこともせずに開いたエレベータのドアをくぐる。
「いやあ、伊藤がね。良い仕事をしてくれたんですよ」 
 しばらくの沈黙のあと、言葉を選びながら嵯峨はそう言った。
「伊藤政治中尉。もしかして……」 
 エレベータの扉が開く。クリスはまじめに嵯峨の顔を覗き込んだ。
「ご推察の通り懲罰部隊ですよ。まあ、人民軍本隊は現在北天南部で反攻作戦で人手不足だ。まともな部隊を送る余裕は無いでしょうしね」 
 そう言うと嵯峨はそのまま食堂に入った。調べたところによると遼南末期のラスバ帝時代に完成したという保養所のレストランであったこのフロアーには窓の外の北兼台地の眺望が手に取るようだった。
「ホプキンスさんには良いねたになりそうでしょ?」 
 まるで子供が悪戯に成功したあとのように無邪気な笑いを浮かべる嵯峨の姿がそこにあった。
「鯵の干物定食、ホプキンスさんは?」 
「とんかつ定食で」 
 食堂の人影はまばらだった。一応は最前線の基地である。先の大戦の遼南戦線の飢えをくぐった嵯峨が食事を重視していることもあって、十分な補給に支えられてこの基地は機能し始めていた。しかし、だからといって補給部隊は安全とは言えなかった。共和軍の傭兵部隊が山中に侵入したとの情報があったのは昨日。そして、補給部隊のトラックが一台撃破されたとの話もクリスは知っていた。
「しかし、懲罰部隊ですか。どうするんですか?」 
 クリスの言葉を背中に聴きながら、嵯峨は相変わらず不敵な笑みを浮かべていた。
 嵯峨は窓際の椅子に腰掛けた。その正面に座るクリス。
「ああ、大丈夫ですよ。一応、防弾ガラスには交換してあります。それにここを狙撃できるポイントはすべて制圧済みですから」 
 そう言うと机の上に置かれたやかんから番茶を注ぐ嵯峨。
「懲罰大隊ですか、いい話は聞きませんね」 
 クリスは慣れない箸でとんかつをつまみあげる。嵯峨は大根おろしに醤油をかけながら次の言葉を捜していた。
「まあ、そうなんですけどね。機動兵器は敵拠点制圧には便利だが、その維持となるとコスト的に問題がある。まあ兵隊ならいくらでも欲しいというのが本音ですよ」 
 そのまま鯵の肉を器用にばらして口に運ぶ嵯峨。
「結構いけるんだな。西モスレム産も食ってみるもんだ」 
 驚いたようにそう言うとさらに嵯峨は箸を進めた。
「そう言えば取材の方は上手くいってますか?」 
 嵯峨の目つきが鋭く変わる。かつての鬼の憲兵隊長の視線だ。そうクリスは思いながら箸を置いた。
「なんとか進んでいます。しかし、良いんですか?かなり人民党への不満の声も聞こえるんですが」 
 予想の範囲内の答えだったのだろう。嵯峨は気にする様子も無く鯵の中骨にへばりついた肉をしごき取っている。
「そりゃあそうでしょう、完璧な為政者なんているわけが無いんですから。それにうちは外様なんで。北天の連中が偏見の目で見てることぐらい誰でもわかりますよ」 
 嵯峨は再びとろんとしたやる気のなさそうな目に戻ると、茶碗の飯を掻きこんだ。
「コメはいまいちだな。東和産があればいいんだけど……そうも行かないか」 
 そう言うと番茶を口に含む。
「しかし、本当に大丈夫なんですか?この部隊の将校クラスはほとんどすべてが北兼出身のあなたの直系の部下ですよね。そこに人民党が敗北主義者と規定した懲罰部隊を入れるというのは……」 
「まあ、北天のお偉いさんからは目をつけられることにはなるでしょうね。また伊藤の奴には苦労かけちまうことになるでしょうが」 
 そう言いながらタバコの箱を取り出す嵯峨。
「ここ、禁煙みたいですよ」 
 クリスの言葉にはっとする嵯峨。そのまま箱を胸のポケットに戻す。
「まあ、いろいろ考えるつもりですがね」 
 そう言うと嵯峨は最後に腹骨の周りの肉を口に放り込むと、番茶を茶碗に残った白米にかけてくるくると回し、それを一息に飲み込んだ。
「じゃあお先に失礼しますよ。その件での書類のチェックがあるもんでね」 
 そう言うと嵯峨はトレーを持って立ち上がった。クリスはまだ半分くらいしか食べていなかったので、そそくさと立ち去る嵯峨を追うことが出来なかった。無理に味噌汁でコメを流し込みようやく食事を終えると、クリスは立ち上がった。
 そのままトレーを戻してエレベータから吐き出された工兵の群れに逆流して下の階を目指す。扉が開くと本部の前に人だかりが出来ていた。クリスはそのままその集団に吸い込まれた。
「まるで囚人護送車だぜ」 
 人だかりの中の一人がそんな言葉を吐き捨てた。目の前に止まったトラックには厳重に外から鍵が掛けられている。政治部局の兵員がその鍵を一つ一つ開けて回る。
 そこから降りてきたのはぼろぼろの軍服に身を包んだ兵士達だった。着ている軍服はまちまちで、あるものは夏用の半袖を着ていたり、あるものは冬物の耐寒コートに身を包んでいた。政治局の兵士達はそれを馬かヤギでも追い立てるように一所に集めた。
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直