遼州戦記 墓守の少女
エスコバルはグリンゴと言うアメリカ兵の蔑称まで叫ぶと、怒りのあまり高鳴る胸を押さえながら執務室の机に腰掛けた。
「あらー。これはだいぶ話が違うんじゃないですか?」
ソファーから声が聞こえた。エスコバルは再び胸を押さえながら立ち上がった。そこには遼南共和軍とは違う東和陸軍風の夏季戦闘服に身を包んだ若い男が風船ガムを膨らませながら横になっていた。北兼台地防衛会議を終えたエスコバルにつれられてこの会議でアメリカ軍からの支援を受けるところを見せ付けてやろうと意気揚々とエスコバルがつれてきた男。
「吉田君。グリンコの連中が怯えて……」
「そう言う問題じゃないでしょ?共和国とアメリカ軍は一体となって北兼台地の菱川鉱山の施設を防衛してくれるという話だから我々は共和国軍に協力してきたわけだ。それが……はあ」
ため息と挑戦的な目つきに再びエスコバルは怒りを爆発させる。
「戦争屋が指図をする気か!」
エスコバルは息を荒げながら再び机を叩いた。ガムを噛む将校。吉田俊平はそんなエスコバルを同情と侮蔑の混じった目で見つめていた。
「戦争屋だからですよ。我社の目的はあくまでも北兼台地の鉱山群と、それに付随するインフラの警備。これまでの協力体制はアメリカ軍と共和軍の協調体制が保たれていることを前提に契約された内容を履行しているに過ぎないわけですが。現在そのアメリカ軍との共同作戦に問題が発生している以上……」
そう得意げに言葉を続ける吉田はエスコバルの歪んだ口元を見て言葉を呑んだ。エスコバルは吉田の表情を観察している。
『なんだ、コイツの顔は?まるで餓鬼がゲームを楽しんでいるみたいじゃないか!』
エスコバルはそんなそれを口にするつもりは無かった。菱川警備保障。遼州だけでなく地球のアフリカや中東の紛争地帯にまで部隊を派遣する大手民間軍事会社。その一番の切れ者として知られる吉田俊平少佐。相手が悪すぎることぐらいエスコバルにもわかった。
「我社は現状では本来の業務である鉱山とインフラの警備に全力を割かせて頂きます。なお防衛会議の我々の協力事項はすべて白紙に戻させてもらいますのでご承知おきを」
そう言うと吉田は立ち上がった。呆然と彼を見送るエスコバル。吉田は部屋を出るとドアの前で待っていた副官の中尉を呼びつけた。
「やはりアメリカは嵯峨との直接対決を避けましたか」
吉田は頷きながら満足げに笑みを浮かべた。
「良いじゃないか。これで懸賞金を独占できるんだ。せいぜい共和軍には我々が嵯峨の首を取るためのお膳立てに奔走してもらおうじゃないの」
そう言って歩き始める吉田に端末を示して見せた副官。その表情はまるでいたずらがばれなかったときの子供のようにも見えた。
「また懸賞金が上がったという連絡が入りましたよ」
その言葉に吉田はにんまりと笑顔を作った。
「それはいい!それと各部隊員には通達しておけ。黒いアサルト・モジュールには手を出すなとな。あれは俺の獲物だ」
「了解しました。少佐の思惑通り動きますよ、我々は」
それなりに実戦をくぐってきたのだろう、頬に傷のある副官はそう言うとにやりと笑って見せた。
「黒死病だか人斬りだか知らねえが、所詮は青っ白い王子様の成れの果てだ。それほど心配する必要はないだろ?」
そう言うと目の前で談笑していた共和軍の将校を避けさせて二人は進む。思わず吉田はいま後にした司令部が置かれたビルを振り返る。北兼台地の中心都市アルナガの共和軍本部。そのビルの中は黒いアサルト・モジュールが現れたということで、吉田が会議に出席するために三時間前に到着した時からの喧騒が続いていた。
「しかし、共和軍はあてになるのですか?」
「まあ、ならないだろうな。そのことは最初から織り込んで俺がここにいるんだろう?嵯峨惟基。いや、ムジャンタ・ラスコー!今度こそ奴の首は俺が取る」
そう言うと吉田は晴々とした顔で共和軍本部の建物をあとにした。
従軍記者の日記 9
「はいはい!お湯が沸きましたよー。カップを出してくださいな」
歌うようにそう言うと嵯峨は慣れた手つきで携帯型のホワイトガソリンバーナーの上の鍋を持ち上げた。小型のコンロを扱うのに慣れているその手つきにエリートとして育ってきたはずの嵯峨の器用なところにクリスは関心させられていた。
「ずいぶん慣れた手つきですね」
クリスはレーションの袋に入っていた折り畳みのコップを差し出す。中にはインスタントコーヒーが入っており、お湯が注がれるにつれてコーヒーの香りが辺りをただよう。
「まあ、やもめ暮らしも今年で7年目になりますからね。ホプキンスさんは名門の出でしょ?誰かいい人いませんかね」
そう言うと嵯峨はアルミ製のマイカップに味噌汁の素を入れた。
「そんなこと必要ないんじゃないですか?嵯峨公爵家の奥方となればそれこそ……」
「王侯貴族なんかに生まれるもんじゃないですよ。ただ面倒なだけですわ。それに家柄で見られるってのはどうにも性に合わなくてね」
嵯峨は十分に湯を注いだカップを箸でかき混ぜ、弁当として持ってきた握り飯四つとタクワンを食べ始めた。
「しかし、ここは安全なんですか?」
クリスは辺りを見回した。針葉樹の深い森の中。四式は森に潜んでいる形だが、下草のほとんど無い森の下は百メートル以上は視界が利く。もしここに歩兵部隊などが投入されれば勝負にはならないだろう。
「心配なのはわかりますがね。混乱している共和軍に、それほど気の効く前線指揮官がいるとは思えないですがねえ」
そう言うと嵯峨は握り飯にかぶりついた。
「さっきから不思議に思っていたんですよ。あなたのその余裕のある態度はどこから来るものなのですか?最初の一撃。あれだっていくら共和軍の指揮官が無能でも、もう少しましな対応の仕方があったのにまるで混乱しているかのような反撃じゃないですか。さっきだって……」
「混乱しているかのように?違いますね。混乱させているんですよ」
そう言うと嵯峨は不敵な笑みを浮かべたあと、カップから味噌汁を飲んだ。
「俺の下河内連隊時代からの部下で大須賀と言う技官がいましてね。現在は成田と言う名前の胡州浪人と言うことで共和軍の通信将校を務めているわけですが、まあそこまで言えばわかるでしょ?」
嵯峨は二つ目の握り飯を手に取る。
「通信妨害?」
「そんな甘い人間に見えますかねえ俺が。通信器機にウィルスを仕込んだ上で、さらに作戦部にシンパを作って上層部の指揮命令系統をかく乱。そして、前線部隊の補給物資の要求リストを改ざんして拳銃の弾の口径さえまちまちで使い物にならない、今の共和軍の最前線はそんなありさまにしておいたんですよ。戦争と言うものは始める前にはそれなりの準備をしておくものですよ」
得意げに話し続ける嵯峨。クリスはレーションのピーナツバターをクラッカーに塗りながら聞きつづける。
「最初から勝つ戦いをしていたわけですか」
「あのねえ、戦争ってのは勝てるからやるんですよ。まあ、前の大戦のときに関しては俺も人のことは言えませんが」
そう言うと嵯峨はタクワンをぼりぼりと齧りだした。
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直