遼州戦記 墓守の少女
「なるほど、しかし、先ほどの戦闘での撃墜数は5機を越えていましたね。見事なものですよ」
そう言ったクリスの目を鋭い嵯峨の視線が射抜いた。
「あのねえ、ホプキンスさん」
感情を押し殺すように一語一語確かめながら、真剣な表情の嵯峨が話し始めた。
「撃墜数を数える?自分の殺した人間の数を数えて何になるんですか?あいにく俺にはそんな趣味はないですよ」
「はあ……」
初めて直接的な嵯峨の殺気を感じた。いつもの皮肉屋で自虐的な笑みを浮かべている中年男の姿はそこには無かった。クリスの拍子抜けした顔を見ると肩をすぼめてタクワンの入っていた小さな鉄の容器から汁を口に注ぎ込む嵯峨。
「さてと、腹も膨れたしちょっと仕事をしようかねえ」
そう言うと嵯峨は脇に置いてあった通信端末を開いた。正面に展開される画像。まずそこには地図が映し出された。クリスも自然とそれを覗き込んでいた。
「合衆国陸軍が移動していますが……この方向は?」
「三日前に共和軍から香麗さんが奪い取った湖南川沿岸地域ですね。まあ順当な作戦ですね。この地域を押さえれば東モスレムへの街道が開ける。当然アメちゃんとしても面白くは無いことでしょうからこの地域の確保は最優先事項というわけですか」
嵯峨はそう言うと後方の補給部隊の動きをあらあわすグラフを展開させた。
「この情報も大須賀さんの絡みですか?」
「まあ、大須賀は元々楠木の部下ですからね。大須賀経由の話もありますが、それ以外に楠木が築いたネットワークだとかいろんな情報をまとめてあるんですわ。まあ俺にも一応は遼南帝国の末裔としてのコネもあるもんで」
そう言うと嵯峨は携帯端末をいじりながらタバコを取り出し火をつけた。
「なるほどねえ。東和の支援物資の共和国軍への移送が停止されたか。足元がお留守になってるんじゃないですかエスコバル大佐は」
「バルガス・エスコバルですか?確か共和国軍西部方面軍参謀長か方面軍司令か……」
クリスは携帯端末上の画面に映された画像を見つめていた。遼南共和国ゴンザレス大統領の腹心中の腹心であり、その残忍な作戦行動から王党派や人民軍を恐れさせた非情の指揮官。
「そして非正規戦闘部隊の通称バレンシア機関のトップでもある男ですな」
嵯峨の言葉は衝撃的だった。バレンシア機関。実在さえ疑われているゴンザレス大統領の私兵。不穏分子の抹殺や外国人ジャーナリストの拉致などを行っているとされる特殊部隊である。その過激な活動に、資源輸出条約の締結のために訪問したヨーロッパ代表使節団が各方面からの圧力に負けてその存在の確認を求めた時、彼等の面前でゴンザレス大統領は『そのような機関はわが国には存在しない』と明言した暗殺組織。
「あちらも本気。こちらも本気。まああれですな、根競べですよ」
そう言うと嵯峨は味噌汁を飲み干した。
「やはりこちらの行動はある程度予測してますか」
嵯峨は画面の共和軍の陣形を見てそう言うと皮肉めいた笑みを浮かべる。現在を表す地図には、彼の部隊の侵攻している廃村を示す星に向かい、エスコバル貴下の部隊が進撃を開始していた。
「やばいなあ」
そう言ってタバコをもみ消す嵯峨。クリスはその規模が中隊規模であることを確認しながら不思議に思った。クリスが言葉を挟む前にすでに嵯峨はクリスの言葉を読んだように口を開いた。
「勝てないことは無いですよ。まあ、間違いなくうちの馬鹿共が勝つでしょう。でもそこから先が問題なんだよね」
またタバコに手を伸ばし火をつける。
「がら空きの拠点を取るのに消耗は避けたいという訳ですか」
「まあね。それに部下が死ぬのは散々経験しましたが、どうにも慣れなくてね」
嵯峨はそう言うと携帯端末を閉じた。クリスも立ち上がる。風が止み、高地独特の突く様な強い日差しが気になる。
「まあ、こっちはこれくらいにして援護に回りますか」
そのままタバコをくわえて伸びをする嵯峨。彼は四式の陰に向かって歩き始めた。
「さすがに日差しは堪えるねえ、帽垂でもつけるかな」
そんな言葉を言いながら準備が出来たクリスと共に四式のコックピットに乗り込んだ嵯峨。
「しかし、ここからだとかなり距離がありますよ。低空飛行で行くんですか?」
「さすがにあれだけ派手にやったんだ、東和の戦闘機が警戒飛行しているでしょう。まあ少し時間は食いますが、ホバリングでもなんとか間に合うはずですから」
そう言うとアイドリング状態だった四式のエンジンを本格始動させる。パルス推進機関の立てる甲高い振動音がクリスの耳を襲った。嵯峨はてきぱきとサバイバルキットを片付ける、コンロも風除けのアルミのついたても彼の手にかかれば瞬時に解体されてバックパックの中にきちんと入る大きさにまとまった。その几帳面に見える一連の作業にあの混沌と言う言葉を絵に書いたような嵯峨の執務室の有様は想像がつかない。
「こう言うのは軽いのが一番ですよ」
サバイバルキットを手に嵯峨はかがみこむようなスタイルの四式の手のひらに登る。クリスもそれに続いてそのままコックピットに転がり込んだ。
「それじゃあ行きますか」
クリスがシートベルトをしたのを確認すると嵯峨は加速をかけた。森が続く。針葉樹の巨木の森が。嵯峨は器用にその間を抜いて四式を進める。
「まるでこういう土地で戦うことを前提にして造られたみたいですね」
「そうなんじゃないですか?少なくとも四式はこういう使い方が向いていますよ」
嵯峨は軽口を言いながらさらに機体を加速させた。
従軍記者の日記 10
「ずいぶんと森が深くなりましたね」
クリスは退屈していた。食事を済ませ、こうして森の中を進み続けてもう六時間経っている。時折、嵯峨は小休止をとりそのたびに端末を広げて敵の位置を確認していた。共和軍の主力は北兼台地の鉱山都市の基地に入り、動きをやめたことがデータからわかった。そこから索敵を兼ねたと思われるアサルト・モジュール部隊がいくつか展開しているが未だ嵯峨の部下達との接触は無い。
「なるほど、あちらも持久戦を覚悟しましたか」
そう言って笑った嵯峨だが、正直あまり納得しているような顔ではなかった。
「あと三十分で合流できそうですね」
嵯峨はそう言うと吸い終わったタバコを灰皿でもみ消した。
「この森には、人の手がまるで入っていないみたいですけど。なにかいわれでもあるのですか?」
クリスは変わらない景色を眺めながら、自分用の端末で今日の出来事を記事にまとめ終わると嵯峨にそう尋ねた。嵯峨もその言葉に頷きながら意識したとでも言うように両脇に広がる巨木を見上げている。
「遼南王家にはこんな言い伝えがありましてね。初代女帝ムジャンタ・カオラが地球人移民達と独立のために立ち上がった時、この森に眠っていた騎士の助けを借りて戦ったと。その騎士はまるで幼い少女のような姿でありながら、一千万の地球軍に立ち向かい勝利した。独立がなりカオラが即位すると、騎士は再びこの森に帰り長い眠りについた。まあ良くある与太話ですよ」
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直