遼州戦記 墓守の少女
「あのー。香麗さん。何話してるんですか?」
いつの間にか香麗の後ろに立っていた嵯峨が声をかけた。
「別にいいじゃないの。昔話よ」
香麗は微笑を浮かべながらそう言うと再び紅茶のカップを手に取った。
「それにしても立派なもんだねえ」
嵯峨は一糸乱れぬ更新を続ける前線に向かう歩兵部隊の行進を眺めていた。
「それ、皮肉?」
鋭い視線を投げる香麗。嵯峨は頭を掻きながらごまかそうとしていた。
「もうそろそろ終わらないかねえ、補給」
そう言いながら自然にタバコに手が伸びる嵯峨だが、香麗の鋭い視線に気付くと渋々手を引っ込ませる。
「なんならついでにそちらの連隊までの護衛もつけてあげましょうか?中佐殿」
紅茶を飲み終え立ち上がる香麗。嵯峨は走ってきた女性の整備員から伝票を受け取っていた。
「じゃあ、いずれこの借りは……」
「気にしなくていいわよ。いずれ倍にして返してもらうから」
そう言うと嵯峨は四式に向かって歩き始めた。
「紅茶勧められませんでした?」
嵯峨はコックピットに上るはしごに手をかけるとクリスにそう言った。
「ええ、それが何か?」
「いやあ、香麗のすることは誰でも同じだねえ。もう少しひねりが欲しいな」
そう言うと嵯峨はコックピットに座り込んだ。クリスもその後ろに座る。
「ちょっと荒い操縦になりますが勘弁してくださいよ」
そう言うと嵯峨はパルスエンジンに火を入れる。甲高いエンジン音が響く。そのままコックピットハッチと前部装甲版が降り、全周囲モニターが光りだす。
「さてと、お休みしてた間に敵さんはどう動いたかな?」
そう言うと嵯峨は機体を浮上させた。高度二百メートルぐらいの所で南方へ進路を取り機体を加速させる。明らかにはじめの出撃の時とは違い、重力制御コックピット特有のずれたような加速感が体を襲う。
「ちょっとここからは乱暴にしますから注意してくださいよ!」
そう言うと森林地帯に入った機体を森の木すれすれに疾走させる。迎撃するために出撃したらしい97式改が拡大されてモニターに映る。
「あらあら。結構てぐすね引いて待ってるじゃないの。まあ、星条旗の連中はお見えじゃないみたいだけどな」
そう言うと嵯峨は朝とは違い狙撃することなく、機体を森の中に降下させ、そのままホバリングで敵部隊へと突入していった。距離を取るだろうと思っていた黒い敵機の突然の加速に驚いたように97式改は棒立ちになる。
「なっちゃいねえ。まったくなっちゃいねえな!」
突然の黒い機体の襲撃に耐えられないというように寄り合う敵97式改に、嵯峨は容赦なく弾丸を浴びせる。次々と火を噴く敵。眼下には恐怖し逃げ惑う敵兵が見える。
「なんだよ……逃げるの?もうちょっと踊ってくれないとつまらねえな」
嵯峨はわざと敵のミサイル基地の上空に滞空する。当然のように発射されるミサイル。それを紙一重でかわすと、ミサイル基地に四式の固定武装であるヒートサーベルをお見舞いする。ミサイルを乗せた車両が一刀両断される。担当の敵兵は泣き叫びながら爆発から逃れようと走り始める。
「これじゃあまるで弱いもの虐めだ。感心しないねえ」
そう言うとミサイル基地の司令部があると思われるテントに榴弾を打ち込む。火に包まれる敵陣地。そこで急に嵯峨は機体を上空に跳ね上げる。徹甲弾の低い弾道が、かつて嵯峨の機体があった地点を低進してバリケードを打ち抜く。
「いつまでも同じ場所にいる?そんなアマチュアじゃないんだよ!」
嵯峨はすぐさま森の中にレールガンを撃ち込んだ。三箇所でアサルト・モジュールのエンジンの爆発と思われる炎が上がる。
「まあ、こんなものかね」
クリスはこの戦闘の間、ただ黙ってその有様を見つめていた。共和軍の錬度は高いものでは無いことは知られている。特にこうして最前線の穴埋めに回されてきているのは親共和軍の軍閥の予備部隊か、金で雇われた傭兵達である。一方、嵯峨は先の大戦で相対した遼北機動部隊から『黒死病』と異名をとったエースの中のエースである。はじめから勝負は見えていた。
「確かにこれは弱いものいじめ、もっと悪意を込めて言えば虐殺ですね」
皮肉をこめてクリスがそう言う。嵯峨は振り返った。その狂気と獣性をはらんでいるような鈍く光る瞳を見て、クリスは背中に寒いものが走るのがわかった。
「そう言えば腹、減ったんじゃないですか?」
不意に嵯峨がそんなことを口にする。敵前衛部隊は嵯峨一機の働きで壊滅していた。反撃する気力すらこの前線部隊の指揮官達には残っていないことだろう。
「まあ、すこしは……」
「敵支援部隊が到着するまで時間がありそうですから、そこの小山の下でレーションでも食べますか」
そう言うと嵯峨はそのまま先ほど徹底的に叩きのめしたミサイル基地の隣の台地に機体を着陸させた。
従軍記者の日記 8
「支援は出来ない?!じゃあ何のためにあなた達は遼南に来たんですか!」
そうスペイン語訛りの強い英語で叫んだのは、遼南共和国西部方面軍区参謀バルガス・エスコバル大佐だった。スクリーンに映し出されたアメリカ陸軍遼南方面軍司令、エドワード・エイゼンシュタイン准将はため息をつくと、少しばかり困ったように白いものの混じる栗毛の髪を掻き分けた。
「我々は遼南の赤化を阻止するという名目でこの地に派遣されている。そのことはご存知ですね?」
「だから人民軍の手先である北兼軍閥を叩くことが必要なんじゃないですか!」
エイゼンシュタインの曖昧な出動拒否の言い訳を聞いていると、さすがに沈黙を美徳と考えているエスコバルも声を荒げて机を叩きたくもなった。だが軍でもタカ派で知られるエイゼンシュタイン准将は聞き分けの無い子供に噛んで含めるように説明を始める。
「単刀直入に言いましょう。我々は嵯峨惟基と戦火を交えることを禁止されている。それは絶対の意思、国民の総意を背負った人物からの絶対命令です。いいですか?これはホワイトハウスの主の決定なのです。つまり、我々に黒いアサルト・モジュールとの交戦は決してあってはならない事態と言うことになります」
子供をあやすようなその口調は、さらにエスコバルの怒りに火をつけた。
「つまり、魔女共を潰すことならいくらでもやるということですか?」
大きく息をしたあと、エスコバルはこの言葉を口にするのが精一杯だった。
「そちらは任せていただきたい。現在アサルト・モジュール二個中隊を魔女共粉砕のために投入する手はずはついている。さらに東モスレムの我々に協力的なイスラム系武装勢力にも十分な支援を行う準備もしています!」
エスコバルの怒りに飲まれないようにと注意しながら画像の中のエイゼンシュタインは額の汗をハンカチで拭った。
「そちらの方は期待していますよ」
「嵯峨惟基には賞金がかかっています。撃墜した際にはぜひ……」
エイゼンシュタインの言葉が終わる前にエスコバルは通信を切った。
「なにが撃墜した際だ!嵯峨惟基との戦闘は禁止されているだ?グリンコはいつからそんな腰抜けになったんだ!」
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直