遼州戦記 墓守の少女
管制官の叫び声を無視して強行着陸を行う嵯峨。着いたのは兼天基地。『魔女機甲隊』と呼ばれる周香麗准将率いる北兼軍閥最強の部隊が後衛基地として運用している土地だった。
「やはりこっちは物資も豊富だねえ」
嵯峨は説得をあきらめた管制官から誘導を引き継いだ基地の誘導員にコントロールを任せながらつぶやいた。
「あれはM5じゃないですか?」
片腕が切り落とされ、コックピット周りに被弾したM5がトレーラーに乗せられて運ばれていくのが見える。
「アサルト・モジュールは貴重だからね。回収したんでしょう。それにしても贅沢な戦争してるよなあ、周のお嬢様の部下達は」
たしかに整備された管制塔付きの基地。どちらが軍閥の長かわからない有様だ。そんな基地を誘導されるまま倉庫に向かう嵯峨の四式。修理を終え、前線に送られる胡州の輸出用アサルト・モジュールの一式が並んでいる。几帳面に並べられたミサイルやレールガンの数は嵯峨の貴下の部隊の比ではない。
「嵯峨中佐。補給ですか?」
モニターに映し出されたのはプラチナブロンドの女性オペレーター。たぶん彼女もセニア達と同じ人造人間なのだろう。そのピンク色の髪に自分の表情が不自然になっているだろうと思うと自然とクリスには苦笑いが浮かんでいた。
「ああ、早くやってくれ。お客さんを待たすのは趣味じゃないからな」
そう言うと嵯峨は装甲版とコックピットハッチを跳ね上げた。北の遼北国境から吹きすさぶ冷たい風が心地よく流れ、クリスはそれまで耐え続けていた吐き気から解放されることになった。
「トイレ行っといたほうがいいですよ。ちょっと次に仕掛ける時は敵さんも腹をすえて来るでしょうから」
どこまでも舗装された基地の中央に着地して平然とそういいながら誘導員の指示でコックピットから降りた嵯峨。そのタラップのそばに秘書官らしい青い髪の女性を引き連れた女性士官が歩み寄ってきた。黒い髪が流れるように強風の中たなびいている。肩の階級章を見れば金のモールがついている。将軍クラスの階級であることはすぐにわかった。
「惟基!何のつもりでこんなところに来たの!」
表情は怒ってはいない、むしろ感情をかみ殺したような無表情を浮かべている。周香麗准将。現在は北兼軍閥の総司令官に君臨する彼女は、元はこの崑崙大陸北部を領有する遼北人民共和国人民軍第二親衛軍団司令官であった。遼北の政府における権力闘争で父、周喬夷軍務長官が事実上の幽閉状態に陥ると部下を伴ってこの北兼軍閥への亡命を求めた。
周喬夷は本名がムジャンタ・シャザーン。遼南帝国女帝ムジャンタ・ラスバの次男であり、嵯峨惟基にとっては叔父に当たる人物である。ある意味、目の前で雑談している二人が妙になじんだ様子なのも従兄妹同士ということもあるのだろうとクリスは思った。
「タバコが吸いたくてね。ホプキンスさんはタバコをやらないから機内じゃあ吸えないじゃないの。それに香麗にも紹介しておいた方が……」
「まあいいわ。どうせあなたに何を言っても聞かないでしょうから」
「いやあ、そんなつもりは無いんだけどね」
そう言うと嵯峨は胸のポケットからタバコを取り出そうとする。
「基地内は禁煙よ。ちゃんと喫煙所で吸いなさい」
「硬いこと言うなよ」
「それが組織と言うものです!」
ようやく怒りが香麗の表情に浮かんできた。嵯峨はタバコをあきらめるとそのまま補給が始められた愛機の方に歩き出した。
「あの……トイレは?」
クリスの質問に指で答える香麗。クリスはそのまま彼女の指差した方に駆け出した。明らかに嵯峨の連れてきた怪しいジャーナリストには係わり合いになりたくない。お高くとまったようなきつい表情は噂どおりだった。
周香麗はアサルト・モジュールパイロットとしては天才と評される人物だった。先の大戦時、胡州の勢力化である濃州アステロイドベルトの戦いで宇宙艦隊の半数を失って遼州、崑崙大陸北部に押し込められた遼北は英雄を必要としていた。
それが彼女率いる『魔女機甲隊』だった。第二次世界大戦におけるロシア空軍の『魔女飛行隊』から取ったその異名は、エースの香麗の活躍で遼州にその名を轟かせた。戦後、接収した人造人間製造プラントで造られた人造人間達がこの部隊に参加し、一個師団規模に拡大され、遼北を代表する部隊となった。
しかし、遼北で唐俊烈国家主席と父である周喬夷との軋轢が生まれると、その勇名は仇となった。解散、そして幹部の粛清が行われるとの噂に、香麗は部下たちの安全を図るために従兄の嵯峨がいる遼南に亡命を決意した。そうして北兼軍閥は人民軍、共和軍、花山院軍閥、南都軍閥、そして東モスレムと言った割拠する軍閥に伍する地位を得ることとなった。
女性指揮官の厳しい視線から逃れて走り去ったクリスの前に立派過ぎるアサルト・モジュール専用のハンガーには大きな入り口の女子トイレと、申し訳程度の男子トイレがあった。クリスは用を済ませるとそのまま辺りを見回してみた。パイロットスーツを着ているのは例外なく女性パイロット達であった。たまに整備隊員や連絡将校などに男性がいるものの彼らは非常に居づらそうにしている。クリスもまたそそくさと嵯峨の四式の前まで来た。
「惟基ならタバコを吸いに行ったわよ」
香麗はベンチに腰をかけていた。その前にはテーブルが置かれ、従卒の長身の女性将校に紅茶を入れさせていた。
「まあ、おかけになったらどう?今の情勢をアメリカ人記者がどう見ているか意見も聞きたいですし」
静かに紅茶の匂いを嗅ぎながら切れ長の目から鋭い視線がクリスに伸びる。
「そんな、私の意見が合衆国の意見だとは……」
「そういうことでは無いのよ。あなたのこれまで遼州を取材した感想を聞きたいわけ。ああ、紅茶はお飲みになる?」
「いえ、結構です」
残念そうな顔をしながら紅茶を入れていた赤い髪の将校を下がらせた。
「それは好奇心、ですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも……。見たでしょ?惟基の部隊の様子は」
無表情に見えた香麗がようやく笑みをこぼした。きついイメージの美女と言う感じが少し抜けてきた。
「まあ、かなり変わった人ですね、嵯峨中佐は。あの人は外務武官や憲兵隊などの後方任務上がりなのにまったく規律と言うものを気にしていないのは興味深かったですね」
「確かにそうかも知れないわね。一応あれでも私の従兄だから、子供の頃一回だけ会ったことがあるのよ。あの頃は惟基は遼南帝国の次期皇帝。おどおどしたひ弱な感じの子供ではじめてみた時はまるで女の子みたいと思ったわよ」
「あの人がですか?」
クリスは意外に思った。どちらかといえば嵯峨は下品な行動が目立つ人物であることは一日彼の近くにいればわかる。
「青白い顔をして、大人の顔色ばかり窺っている変な子供。でも話してみて彼がそうなった理由もわかったわ。生まれて初めて会った同じくらいの年の子供が私だったんですって。確か私は十歳くらい……彼は二歳上よね。弟のバスパにも会うことを許されず、一人で御所で勉強ばかりしてたって言ってたわ」
「青い顔でシャイな嵯峨中佐ですか。想像もつきませんね」
「でしょ?それで……」
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直